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 たとえば、この「三本のローソク」の作者も責任編集者の一人である「日本児童文学大系」 (三一書房・五五年)-その五巻は戦後児童文学を網羅したものである。(いや、少くとも網羅したものであるらしいことは、その刊行のことば「日本の児童文学のエッセンスを集めたこの大系」という一句があることによっても解る)つまり、一種の「戦後」の代表である。
 しかし、それにもかかわらず、この代表作品と目せられているものの「戦後性」は、決して、先に指摘した「非戦後的性格」からは脱しきっていないのである。脱しきるというより、作家自身が作品の中で自らの立場を凝視する目に欠けているのである。
 一例をあげると、川崎大治の「あたらしい魔法の町」(一九四八年)がそうである。
 これは「世界を明るくするふしぎなランプの物語」という人形芝居を、子ども会の連中がやろうとする話しが骨子になっているのだが、そこでの戦後は次のように記されているだけに終る。
 「おかあさんは、昨夜、雨のふる夜ふけの電燈の下で、ひとりこの本を読んでいて、この不幸な町というのは、なんとまあ、いまの敗戦後の日本の自分たちの町と似ていることかと思いました。私たちは、ちょうど、このお芝居にあるような不幸な町にすみながら、そこの子どもたちのように、幸福のランプを求めようともせずにこまっているのではないかしら。ほんとうに、このお芝居のように町を明かるく幸福にするランプがあったら、どんなにいいのに。こういうお芝居なら、民雄のためになるばかりか、自分までがはげまされると思うと、お母さんはほんとに嬉しかったのです」
 これは、母親が、自分の子どものやろうとしていることを、始めは理解することが出来ずにいるが、その台本を読むにいたって、心から賛成したという個所である。そこでは「敗戦後の日本の不幸な町」が「お芝居にあるような不幸な町」と記されているだけで、どんなふうに不幸なのか。また、その不幸をどんなふうにお芝居が表現しているのか、全く描かれずに終わっているのである。言うならば一行の説明文で、この作品内の状況は表現されることにより、作品全体から「状況」なり、「状況の中での人間の葛藤」なりは、すべて排除されるのである。(葛藤ということに関して付け加えるならば、かって、ソビエトの文学理論の中で「無葛藤の理論」が提唱され、創作活動を平板したことがある。児童文学の領域でも長くこの無葛藤性がしみこんでいて、それが一つの不振の原因ではなかったか-と言うことを、わたしは新美南吉の作品を分析した時、書いたことがある/一九五五年一一月 馬車・三号/そのことは、この「あたらしい魔法の町」でも見られることであり、ここでは、葛藤が人間と人間の対立、人間と状況との対決という形を取るかわりに、母親の心配「民雄はどうして勉強しないで、イ ロハ長屋の連中と人形芝居ばかりしているのだろうか」少年の心配「なんとか抜け出して練習に加わりたい」という個人的心配にすりかえられることにより、無葛藤・無感動なものになりさがっている)
 作者の書かねばならぬことは「世界を明るくするふしぎなランプの物語-を人形芝居でやろうとする少年の不安、母親の心配」ではない。ここでは、ずばり「世界を明るくするふしぎなランプの物語」こそ書かれねばならぬのである。「勉強し、いい子になることを願う母親」の心配を書くかわりに「不幸な日本の町」で、なぜ親がそう願うのか。そう願うことが戦後の状況の中でどんな意味を持つのか-そのことを書かねばならぬと思うのだが。この作品を読んでいると、今さらながら坪田譲治の「風の中の子供」のすぐれた一面が、われわれに理解できるのである。そこでは、善太と三平が、まさに「風の中」に置かれ、「風の中」でとらえようと努力されたことが納得できるのである。(坪田譲治に関しては、そのネガティブな面から分析したことがある/芽を出さない柿の種/一九五五年一月 馬車・二号載/いずれポジティブな評価をやってみたいと考えている)しかし、人形芝居の少年は、「風の中」にいない。「金木犀のあまい香りがどこをあるいてもただよっている」町の、「家の中」「風の外」の少年である。この少年は、一九四八年でなくても存在するし、存在することが出来た少年である。お よそ、「戦後」に登場しなくても、その登場の場は、どの時点にでもおけたはずだと思えるのだ。
 さて、ここでの「定点」は、母親と一人の教師である。この人物は、たしかに一個の批判者・絶対者の相貌は身につけていないが、それが、戦中・戦後の変わることのない「善意」の持ち主である点では、先のローソクと同じである。
 「たくさんのお兄さんたちや、お父さんたちは、とおい島や海へおくられ、戦災でたいてい家はやかれ、つみのない子どもたちまでおそろしいめにあって、とうとう国は戦争に負けてしまいました。ああ、そのあいだ、岡先生は、どこに居られたのでしょうか。はげしい戦時中を、よくもまあ生きぬかれて、いまもまた、ここにこうして、子どもたちのまえに姿をあらわしてくださった。このかたがいてくださるのなら、もう、なにもかも大丈夫」
母親は一人の教師に再会してそう思うし、教師は教師で、
「その幸福のランプを、いっそう明かるいものにするか、あるいは消してしまうかは、私たち大人の責任です」
と決意を語る。母親にとっては一人の先生は「なにもかも大丈夫」と思わせるような不変の価値であり、また、先生にとっては、その母親は、共に語り、共に考え合うことのできる同質の善意なのである。この善意が戦乱の中の生を支え、今また「戦後」の生を支えるというオポチ二ズム-いったい、そのような精神の安定を保つ絶対的な価値が、果して存在可能な状況だったのであろうか。わたしは文中のことばをかりて、「ああ、その間、作者はどこに居られたのでしょうか」と思わずつぶやきたくなるのである。
 わたしは、作者の意図を故意に無視しているのではない。「新しい時代がやって来た。子どもたちも新しい出発をする。大人たちもその子どもにならって、新しい時代に生きよ」たぶん、そうした主張が、そこには封じ込められているのであろう。しかし、問題は、作者自身が、その新しい状況を生きるために、自らをまきこみ、傷つけた戦争を凝視しなおし、それをどう自分の中で乗りこえるか、「戦後」の中にもちこみ処理するか-すなわち、戦争責任を自らに問いかけることなしには、少しも「新しいもの」は生まれないということである。もし、精神の動乱をもたらした戦争を、彼岸の悲惨視してすり抜けるならば、あるいは、「善意」のごとき抽象的な「定点」に寄りかかることで処理するならば、それは、いかに新しい時代の要請を説いたとしても、空虚な一人よがりに転落するのではなかろうか。
 (児童文学者の戦争責任については、かつて「小さい仲間」26号で佐々木守が論及し、それに反対する形で、わたしも「馬車」26号に書いたことがある。わたしの所論は、「戦争・戦後責任という問題は、協力者の摘発でも主体性なきものへの告発で終るものでもない。」「自ら民主主義革命の遂行者と規定して、そこに足場をすえた-そのすえ方」が問題であり、「もう一つ言えば、朝鮮戦争前後から、確実に民主々義を裏切られた児童文学者たちが、そこで、もう一度、自分自身のよって立つ民主々義革命遂行者-という主体設定を自己批判しなかったことで、戦後責任を二重に背負ったということの方が大事である」ということである。この考えは、この小論にも関係ありと思うので付記しておく。「児童文学者の戦争戦後責任」への疑問/一九五七年六月 馬車・二十六号)
 状況は説明されるものではない。少くも文学作品として特定の時代の特定の人間と事件を描こうとする場合、それは登場人物の言動または心理のひだに付着して表現されねばならなかったと思うのである。ただ、作者が、固定の観点に寄りかかって物を考える場合にのみ、説明的になる。特定の状況から自己を切り離している場合にのみ状況は類型化する。戦争といい、戦後といい、作者は、それを自己とは対立するもの、いや、自己の心情や思考とは異質の次元のものとして受け取ったのであろうか。
 わたしは、筒井敬介の「コルプス先生」をはじめとする「無国籍童話」についても同様の事を感じる。しかし、無国籍童話は次の問題-「ノンちゃん雲に乗る」とあわせて検討するつもりだから、ここでは二つの作品の「戦後性」を考えることで、次に進みたいと思う。それは、「三本のローソク」や「あたらしい魔法の町」にみられる作家の姿勢、つまり、「戦後」における民主主義啓蒙家の姿勢が、実は「戦争」を「他人の悪」視することによって、自らそれとの対決を避けてしまったことを、「ビルマの竪琴」との連関で考えてみたいということ-言いかえるならば、「ビルマの竪琴」における「戦後性」の検討に進みたいと言うことである。
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