「少数派」としての子どもたち
-同時代的芝田勝茂論-(2)

奥山 恵
(UNIT評論98・論集)

           
         
         
         
         
         
         
     
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 『ふるさとは、夏』は、両親の仕事の都合で、夏休みを父親のふるさとで過ごすことになったみち夫の物語だ。北陸の小さな村での慣れない生活の中、みち夫は不思議な雰囲気をもつヒスイという少女に出会い、また、村のあちこちに住み着いているという愉快な雑神たちに遭遇し、白羽の矢が立つという珍事に巻き込まれながら、東京での日常とは異質なひと夏を経験する。一九九〇年版と「加筆訂正」の九六年版とでは、こうした物語の展開、章立て、登場人物、文体などは変わっていない。ほんの数箇所、《両親の話し声に》が《両親の話し声で》に、《アロハ》が《アロハシャツ》に、《「何をして?」》が《「何をして……」》に、《とんと足で踏んだ》が《どんと足で踏んだ》に、《バシッ!》が《パシッ!》に、《いーっぱい!》が《いっぱい!》に、といった具合の細かな助詞や擬音語や記号の訂正が見られる程度で、話の展開を大きく左右するようなものとは言い難い。
 となると、結局、見逃し難い「加筆訂正」は、次の二か所だけといえそうだ。一カ所は、村での暮らしになじめないみち夫が、父親に電話で《「帰りたい」》と訴える場面である。九〇年版での父親の返事は《「いいかげんにしろ!」「そんな情けないやつだったのか、おまえは。ひさしぶりの電話で泣きごとしかいえないのか、バカ。帰ることは許さん。もう切るぞ」「どっちがひどいか、よく考えろ」》となっている。そして、一方的に電話が切られたあとで、伯父と伯母の親子談義があったのち、道夫は《父のいいたかったことが、ほんのすこし、わかったように思った。自分で解決しろ。父はそういいたかったのだ。》と納得し、村に残ることになる。一方、九六年版では、父親の返事は、《「待ってくれ。そんな、いきなり帰るなんて」「だって、帰ったってこっちには母さんもいないんだから……何とかそこでやってくれないか」「だめだよ。だめ。じゃあな」》であり、伯父と伯母の親子談義も簡略化され、《いずれにせよみち夫は東京に帰れそうもなかった。》とあきらめる、という書き方になっている。帰京を思いとどまり、より深く村での不思議なできごとにかかわっていくことになる大 きなポイントの場面だが、九〇年版では、その原動力は父親の強くきびしい言葉だった。ところが、「加筆訂正」版の父親の言葉は弱気なもので、みち夫への影響力は大幅に弱まっている。
 もう一カ所の大きな「訂正」は、作品最後の場面である。九〇年版では、村から自宅に帰りついた後で、《一カ月ぶりに、親子三人がそろって夕食を囲ん》でいる場面が描かれていた。その場面でみち夫は、両親に次のように語る。 

「ふるさとは、ぼくも父さんも母さんも、いっしょだよ。」
「だって……だって、そうじゃなきゃ、おかしいものどうして父さんは母さんのことすきになったの? どうして、たったひとりの人を見つけられるの? きっと、思い出したんだよ。遠いふるさとで出会って、そこでもなかよくしてたんだ。最初はわかんないけど、だんだんわかってくるんだ。あ、この人だ、って。でなきゃ、こんなになかよく暮らせないよ。父さんのことも母さんのことも大すきなのは、きっと、ぼくたち同じふるさとから来たからだよ」

 そして、この言葉に対して父親が《「いい話だな、そりゃ」》と、母親が《「よかったね、みち夫の夏休み」》と答えて、作品は閉じられる。みち夫の言葉の背景には、村で同じ不思議な体験をしたヒスイという少女との忘れ難いつながりが隠されている。それが、この場面では、親子の関係へと普遍化されているのだ。ところが、「訂正」版では、この夕食の場面はすべて削除されている。東京へ向かう列車の場面で物語は終わっているのだ。この結末の大幅な削除と、先の「帰りたい」という場面での父親の反応の改変。これらを合わせると、作者が徹底してはずそうとしたものが明快に見えてくる。それは、親というものの子どもへの影響力、親子関係の普遍性である。子どもという存在は、いやおうなくより身近な親や教師といった大人との対の関係の中にある。しかし、芝田のなかには、どうもそうした対の関係を絶対としない志向、子どもをもっと雑多な関係のなかに置いてみたいという志向があるように思える。親子関係を払拭しようとした『ふるさとは、夏』の改変は、そうした志向を実にはっきりと示しているのではないだろうか。
 ここでふと思い出されてくるのは、芝田勝茂がこれまでしばしば作中の子どもたちを様々な「舞台」に立たせてきたことである。『ふるさとは、夏』にも、みち夫とヒスイと村の雑神たちが、白羽の矢が立ったという不思議な夜を演じつつ検証してみるというロールプレイング的な場面が描かれていた。このように主人公をなんらかの祭りやイベントの「舞台」に立たせるという手法は、デビュー作の『ドーム郡ものがたり』(福音館書店 八一)から、続く『虹へのさすらいの旅』(福音館書店 八三)、『アイドルをめざせ!』(講談社 八九)、『あしたへ、アイドル!』(講談社 九一)、『星の砦』(理論社 九三)、そして最近作の『雨ニモ マケチャウカモシレナイ』(小峰書店 九八)まで、多くの作品に見える。
 では、芝田の作品において、「舞台」に上がるとはいったいどういうことなのだろうか。芝田勝茂の作中人物たちにとって、「舞台」とはどういう場所なのだろうか。まずはっきりといえることは、芝田がそこで描く「舞台」とは、堅牢に建築され、さまざまな設備が完備され、舞台と客席とが画然と区別された大ホールのような場所ではない、ということだ。たとえば私が印象的に思い出すのは、『ドーム郡ものがたり』の次のような場面である。

 ジャムジャムが指揮する若者たちが、東の壁を、大きな丸太でつきくずしました。(中略)たちまち、東の壁は大きくとりはらわれ、ドーム郡に、朝の光と風が、さっと入っていきました。すがすがしい空気でした。
 フユギモソウが見えます。でも、みんなそちらを見ようともせず、道具を運びだしました。みごとなうごきです。広場には、幕がはられ、フユギモソウをさえぎりました。たくさんの長いすがならべられ、舞台がつくられました。屋台があちこちに置かれ、いろんな食べものや、飲みものが運ばれます。

 人の心を《にくしみ、ねたみ、うらみ、そういった悪いものでいっぱいにする》花、フユギモソウが、ドーム郡の東の谷間に迫っているという危機の中、主人公のクミルはじめ若者や子どもたちは、舞台をつくる。長い探索の旅のすえに、フユギモソウに抗するには人々の心をひとつすることが何よりも大切であることを知ったクミルが、夏まつりの開催を呼びかけたためだ。フユギモソウを遮るべく郡の役人がつくった堅固なれんがの壁を突き崩し、そのかわりに邪悪な花に対峙して舞台がつくられていく。「境界」というとき《そこで反転が生じざるをえないような或る「空虚」》としてのそれと《両義的な場所》としてのそれとがあると言ったのは柄谷行人だが(「マクベス再考」『文藝』八二・六)、いかに堅固に見えても花粉や根の力によっていったん花の侵入をゆるせばたちまち無用のものに転じてしまう壁が「空虚な境界」とするなら、この朝クミルたちが作り上げた舞台はまさに「両義的な境界」に私には見える。手作り、野外、客席との接近など、芝田的「舞台」に共通する特徴が、すでにデビュー作のこの場面から見られるが、それらはすべて日常と非日常、はじまりとおわり、勝利と敗 北、見る者と見られる者といった要素を同時に合わせもち得る特徴ともいえる。そこではいかなる企画も偶然性に包みこまれて、何が起こるかあらかじめ予測することは出来ない。フユギモソウとドーム郡との戦いという事件の「境界」にあって、勝つ可能性も負ける可能性もどちらもある。芝田の「舞台」とは、そんな両義的な場所なのだ。
 それは確かに不安定な場所ではある。しかし、だからこそ、芝田的「舞台」には、ありとあらゆるものたちが、つぎつぎと、またいっしょくたになって、上がることができる。選ばれし名優など存在しない。ドーム郡の夏まつりには、木こりや炭焼きの若者たち、農夫たち、学校の生徒たち、小鳥たちまで出しものを演じ、《おとなも年よりも、みんな、友だちどうし、家族、いろんな人どうしで》楽しみ、しまいには《みんなが肩を組み、腕を組んで、心をひとつにしてうたった》りもする。『アイドルをめざせ!』でも、小学生バンドの演奏がより印象的に盛り上がったのは、近所の幼稚園の子どもたちを集めての野外コンサートだった。近作の『雨ニモ マケチャウカモシレナイ』になると、主人公のアミとゆりが誘われて上がることになる《劇団イーハトーヴ》の不思議な特設ステージには、《デクノボー》や《山猫博士》なる宮沢賢治の作中人物を思わせるファンタジー的存在、《軍服を着、銃剣を担いで行進してくる》男たちなど歴史上に存在しえた人物たちまで、次々とやってくる。芝田の作品の主人公である子どもたちは、「舞台」に上がることで、人間と動物、現実的存在と虚構的存在、子 どもと大人といったあらゆる区別をこえて、他との同質性に溶け込んでいくことになる。
 しかし、そのうえで見落としてならないのは、芝田の作品ではまた、かならず一度は子どもだけで孤独に「舞台」に立つ場面が用意されているということだ。みんなで成功させた夏まつりが終わっても、クミルは《ただひとり、まつりの広場に残》る。そして、舞台で演じた劇の延長のように伝説の剣をたずさえて、フユギモソウの親玉に孤独に立ち向かうことになる。特設ステージ上でのさまざまな出会いによって、「雨ニモマケズ」の詩を読み解き、《デクノボー》の生き方を理解し、軍服の男たちを退散させた後、アミとゆりもまた、まったく二人だけになって、改めて自分たちの本音をぶつけあうことになる。《あたし、デクノボーなんか、きらいだっ!》、《まちがってると思う》けれど、わたしたちは、《雨ニモマケチャウカモシレナイ!》と……。『星の砦』でも、子どもたちが文化祭のために作り上げたプラネタリウムーーこれもひとつのイベントの「舞台」といえるーーに、当の子どもたちだけで立てこもる場面がある。さまざまな妨害のために、立ち入り禁止となってしまったその「舞台」で、子どもたちは歌い、星を眺め、学校という場所から切れていく。そして、そのまま子どもたち は《星間ベース》という異空間へ入り込んでいく。「舞台」に立つということは、共同性や歴史性から切れた、あるいは、それらを大きく変えていく、子ども独自の立ち方を探ることでもあるのだ。
 演出家鈴木忠志は、ピーター・ブルックとの対話「演劇の〈方法〉--同質性と異質性を提出しながら」(『季刊思潮』八八・六)のなかで、「わたしが考える演劇のたいへん面白いところは、人間が同じであるということと違うということが同時に見れることです」と語っている。芝田勝茂的「舞台」もこの面白さに近い。鈴木の言葉を借りれば、「子どもが同じであるということと違うということが同時に見られる」ということ、まさにそれが芝田の描く「舞台」なのではないだろうか。そして、私がそうした同質性と独自性を重要に思うのは、それが、子どもをめぐる既成の方向づけを両面から崩壊させるからである。
 たとえば私が、対照的に思い出すのは、小浜逸郎の次のような言葉である。

 やはりこの共同社会のそれぞれのメンバーが自分をよりよく生かすことができるようになるために、若者は若者自らの課題として、また、大人は大人自らの責任として、子どもから大人への道筋の、しっかりした新しいイメージというものを模索すべきだと考えている。(『大人への条件』筑摩書房 九七)

 小浜は、『方法としての子ども』(大和書房 八七)以来、多くの子ども論を書いているが、一貫しているのは、子どもを《エロス的》すなわち《対なる関係の展開のうちに》段階的に位置付ける視線である。引用した『大人への条件』でも、対関係、とりわけ夫婦・親子といった家族関係を重視する思考は基本的に変わらない。《新しいイメージ》の質はともかく、《子どもから大人へ》、すなわち、子どもは大人の築いたものを受けとめながらある発達課題を経て大人になっていくという方向づけだけは自明のものとして保持されている(そして、一定の親和的読者をも得ている)。
 しかし、芝田の「舞台」の上では、そのような方向づけはありえない。子どもも、大人や他の存在と同質なものとして状況に立ち向かうのであり、同時にまた、子どもは、他のだれとも違った独自のものとして《ひとりぼっち》で《たいそうなことをやってのけようと》もする(『ドーム郡ものがたり』前出)。そして、そういう場所では、子どもが、「大人」という二項対立的な範囲をこえて、なにか別のとほうもないものに「なる」可能性を持っていることに改めて気づかされるのである。
 こうして考えてみれば、初版の『ふるさとは、夏』における父親の強い影響力や最後の場面の親子関係の確認は、芝田的世界において、かなり異質な書きぶりであったことがはっきりとわかる。それが明快に「加筆訂正」されたのも当然といえるだろう。

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