片岡義男[本読み]術・私生活の充実

片岡義男

晶文社


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 書き手としての片岡もいいし、聴き手としての片岡もいいなあと思っていたら、なんと読み手としての片岡義男が登場した。これは、作者自身が撮った写真をまじえた、英語のペーパー・バックについてのエッセイ集だが、いかにも作者らしい独自の視点があちこちに見られる。その一つが時間だ。
 本を読まないことは結局は創造離れであり、そういう人びとは管理に身をまかせて日常というぺらっとした一重の時間のみに生きており、それは私生活の充実の放棄であると断言する作者は、読書の最中の重層的な時間の重要性を指摘する。これは、「本から受けとめることとすでにその人の頭のなかにあることとの、まるで異なったふたつのことがらが、頭のなかで刻々と結びついていく」ときの時間で、それはまた積極的で創造的な頭脳行為であり、書き手の創造的なひらめきの構造でもあるというのである。
 この本で展開される、現代作家たちの作品への鋭い切りこみの裏には、こういった時間に対する執拗なまでのこだわりがあり、それがこの本の大きな魅力になっている。
 「いいですか、ぼくは本を読みますが、それはきわめて個人的な趣味の世界の出来事です。人間が本を読む、という行為が、すごいのです」
 刺激的で挑発的な一冊。(金原瑞人

朝日新聞 ヤングアダルト招待席 1988/01/31