五、終わりに



 こうして当初母・令子によって教えこまれた東京の価値観を身に帯びてこのドラマに登場した純は、その令子と五郎の離別の物語が進展するにつれて徐々にその価値観に疑問を抱き、ドラマが終わる頃には五郎の提示する「価値」の方を受け入れるようになる。だが、それは東京の価値観の上に五郎の「価値」を重ねるものではなく、前者を完全に捨て去って、その代わりに後者を取り入れるといった体のものである。このドラマには、両者を融合してさらに新たな価値を創造しようという発想は全く見られない。それに関してはこのドラマに好意的な立場に立つと思われる論者からも、「[子どもたちの]教育については、自然との触れあいの面が強調され過ぎているのではないか、それにたいして高度な教育の必要性はどうなのかという問題も出てくる」(注15)、あるいは、「田舎の連中が純によって、つまり純が背負ってきた都会の文化によって、しきたりとか自分たちが当り前だと思っていたことの違いを知らされるような関係がもう少し出せたら」(注16)といった形で、いくつかの疑問が提出されている。 しかしながら、仮にこれまで検討してきたように、このドラマが最初から五郎本位に展 開すべくしつらえられたものであるならば、そこに都会と田舎の価値の交流が全く見られず、都会は終始否定されるばかりであったとしても、それは当然の帰結である。都会に挫折した五郎の自己実現は、都会を否定しつくすことでしかなしえない。二〇年余にわたる東京での生活から彼が得たものは何もなかった、という設定がなされた時点で、この結末はあらかじめ決定されていたのだ言うべきだろう。となれば、その東京の代弁者たる令子が惨めな死を遂げねばならなかったこともまた当然の帰結であろう。重要な登場人物ではあっても、しょせんは脇役にすぎない彼女の立場を思えば、それもいたしかたないことと考えるべきなのかもしれない。
 しかし、純の場合は違う。仮にも純をドラマの主人公とするなら、純は五郎の自己実現とはまた別の、彼なりの自己実現を視聴者の前に提示しなければならない。このドラマには、少なくとも、純のためにしかるべき成長の物語を用意する責務がある。けれども、成長であれ自己実現であれ、連続ドラマが終了した時点で小学五年生であった純は、いまだその途上にあるままで、視聴者の前から姿を消した。従って、父の「価値」を継承したことが彼のその後の人生にどのような影響を及ぼしたのかについては、続編における展開にその答を探るしかない。
 「83冬」および「84夏」において、純はますます麓郷の子どもらしくその地に生きる知恵を学び、順調に成育して行く様子が映し出され、「87初恋」ではそのひとつの結実として、ついに五郎を乗り越える。具体的には、父が端から諦めていた第二の風力発電機を自力で設計、自力で完成させることで、父に教えられた「丸太小屋精神」を逆に父につき返して見せたのである。だがその一方では、彼はその直後に麓郷を離れて東京に出る決心をする。東京で働きながら定時制高校に学ぶ−−それが彼が希望した中学卒業の進路であり、「89帰郷」では彼の東京での生活が視聴者の前に映し出される展開となる。けれども、職業を転々と変え、髪を赤く染め、ついには警察沙汰を引き起こすその暮らしぶりは、決して順調と言えるものではなく、続く「92巣立ち」ではガール・フレンドが妊娠・中絶するという事件もあって、彼は再び麓郷に戻ることを考え始める・・。
 ここに見る純は、果たしてどのような人間になろうとしているのだろうか。
 「92巣立ち」の時点でも純はまだ若干二十歳にすぎない。その彼にいろいろと迷いがあるのは無理があるにしても、一つだけ確かなことがある。東京に出てからの彼は少しも幸せでなかった、ということである。東京で生まれ育ったにもかかわらず、純は再び東京の人間になりきることができなかった。「ぼくは遅れていた。めちゃ遅れていた。東京に来てからもう一年半。みんなに追いつこうとそればっか考えた」(注17)。これが「89帰郷」の時点での彼の現状であり、「ぼくの毎日は仕事をして帰る。ただ、その単調なくり返しだった。別にそれ以上面白くなかった」(注18)というのが「92巣立ち」における彼のありようである。子ども時代と青年時代の併せて一五年におよぶ東京での暮らしより、わずか五年余りの麓郷での暮らしの方が彼には重かったということである。その意味では、確かに五郎は息子の教育に成功したのだと言える。
 しかしその一方で、五郎の目論見は完全にはずれた。純と蛍を連れて麓郷に転居した最初の冬、子どもたちに会いにやって来た令子に対し、五郎は、いずれ時期がきたら子どもたちには自分で自分の道を選ばせるが、いずれにしても麓郷で暮らした経験は彼らのためになるはずだ、という意味のことを述べた。その言葉に納得した令子は、子どもたちに会うことをあきらめた。だが、それから一〇年の歳月を経て、麓郷での経験は東京で暮らす純のために少しも役に立っていない。純は五郎から継承した「丸太小屋精神」を、東京では全く発揮できずにいるのである。そして、五郎は何ゆえにそのことをあらかじめ予測できないでいたのだろう。麓郷ですごした子ども時代は東京での青年時代にとって何の役にも立たなかった−−それはほかならぬ五郎自身にかつて起こったことであり、そのことを痛いほど思い知ったからこそ彼は麓郷に戻ったのではなかったか。
 十代半ばで上京。職業を転々とした末、今はガソリン・スタンドで働く純は、若い頃の五郎そのままである。少年時代に父の「精神」を継承した彼は、青年期にさしかかった今、父の人生までをも継承しようとしているのだろうか。もしそうなら、東京の世界と麓郷の世界は永遠に接点を持つことができない。都会に暮らしながら「北の国」の存在をも忘れずにいたいという視聴者の願望は、ほかならぬこのドラマ自身によって激しく否定されることになる。
 このように、視聴者がこのドラマから受けうけとめる「価値」とそれを運ぶ物語の間には深い断絶があるように思われる。もっとも、それはあくまでも五郎と令子の離別から見た物語に関してのことであり、このドラマにはほかにも純の妹・螢の物語があり、令子の妹・雪子の物語があり、五郎一家をとりまく麓郷の人々の物語がある。それらの物語がその断絶を埋める方向に働いているのか、それともそれをさらに広げる方向に働いているのかについては、また別の機会に考察するものとしたい。




1「はじめに」『倉本聰研究』、北海学園「北海道から」編集室・編、一九九〇年、理論社、七頁。
2中村久子「黒板五郎という男性」『倉本聰研究』、一二九頁。
3『朝日新聞』夕刊、一九九二年一二月一八日。
4合田一道「北海道からの問いかけ」『倉本聰研究』、一三二頁。
5本田和子『子別れのフォークロア』、勁草書房、一九八八年、一二一頁。
6Gary Day, ‘Introduction' to Readings in Popular Culture (London: Macmillan, 1990), pp.8-9.
7例えば、小宮山量平「北の国から=解説2 新しい開拓者精神の誕生をめざして」[児童書版]『北の国から』後編(理論社、一九八一年)、今江祥智「倉本聰−−について何度でも言いたいこと」『今江祥智の本』三五巻(理論社、一九九〇年)、廉岡糸子「北の国から」『児童文学評論』二六号(一九九一年)等がある。
8ここに引用したシナリオには特に明記されていないが、放映された画面では、ここで令子は煙草を吸う。次節で詳しく述べるように、このドラマでは令子が煙草を吸う行為に重要な意味が持たされているので、特に注記しておく。
9本田和子、前出、一三八頁。
10タニア・モドゥレスキー『知りすぎた女たち−−ヒッチコック映画とフェミニズム』、加藤幹郎ほか訳、青土社、一九九二年、二一〇頁。なお、本稿執筆にあたっては、テレビ・ドラマ批評に関する文献が乏しいために、ほかにも、E・アン・カプラン『フェミニスト映画/性幻想と映像表現』(水田宗子訳、田畑書店、一九八五年)等、英語圏の映画批評の書をいくつか参考にした。
11続編をも含めたこのドラマ全般において、五郎の従兄弟・北村草太がよく口にする言葉。例えば、「男にはある程度ミエもだいじだゾ」(後128)など。本稿では草太に触れる余裕はなかったが、彼はその饒舌をもって寡黙な五郎の代弁者となるなど、このドラマにおいて重要な役割を果たしている。
12シンポジウム「『北の国から』研究」、『倉本聰研究』、一三五頁。
13この令子の不倫の場面については、シナリオと実際に放映された画面との間にかなりの相違が見られる。画面ではここに述べたような展開だが、シナリオでは、「もつれあっている男女の影。/それが−−。/ギクッと固定してスローモーションのようにふりかえった令子」(前101)という描写がなされており、令子が煙草を吸おうとする場面はない。けれども、たとえそれがなくとも、五郎と純の回想を結びつけるものとしては、ハイファイセットのレコードだけでも十分であろう。この二つを関連づけることは、すでにシナリオの段階から意図されていたと思われる。
14本田和子、前出、一三六頁。
15「シンポジウム『北の国から』研究」、『倉本聰研究』、一三四頁。
16前掲書、一三七頁。
17倉本聰『北の国から89帰郷』、理論社、一九八九年、六六頁。
18倉本聰『北の国から92巣立ち』、理論社、一九九二年、八七頁。

back top