L『星の王子さま』に関する覚書

サン・テクジュペリについて
『私の児童文学ノート』(上野瞭 理論社 1970)

           
         
         
         
         
         
         
    
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 最近読んだ「星の王子さま論」の中で、いちばんおもしろかったのは、寺山修司の『便所の中の星の王子さま』である。(『ぼくが戦争に行くとき』収載)
「星の王子さま」は、目に見えないものの価値を強調しているが、この発想は、裏がえしにすれば、目に見えないものを見ようとしない点で、一種のエゴイズムではないのか。それに、「星の王子さま」は、永遠に「星の王様」(おとな)にならないが、もし、この王子さまが「おとな」になるとすれば、どんなおとなになるのか。」
 寺山修司は、この論の中で、「現実原則」というメジャーを使って、サン・テクジュペリの形而上学的な価値観を批判しているわけだが、「幸福論」として、『星の王子さま』を読んだことのないわたしは、それだけに、この一篇を「幸福論」としてみるその受けとめ方に、たぶんにおもしろさを感じた、といえる。
 あらためて、『星の王子さま』の熱烈なファンに、おとなの多いことを思いだすと共に、たとえば、野坂昭如が、楳図かずおのマンガにふれて書いた、
「インファンティリスム(幼児退行)など!!と馬鹿にしてはいけないので、そういうことを口にする人間が決して安易な現実追従におちいっていないという保証はどこにもない。」ということばも思いだした。
 サン・テクジュペリの「幸福論」といえば、『夜間飛行』(1931)の中の、支配人リヴィエールのことばにつきると考えているわたしは、そういえば、『星の王子さま』を、サン・テクジュペリの人生論総集篇―それも、ややペシミスティックな人生案内としてみてきたきらいがある。
 永遠に「星の子ども」でしかない「王子さま」の話を、大のおとなが愛読するのは、あまりにも即物的な、あまりにもフィジカルな「人生案内」や「人間解説」が氾濫していることに対する無意識の反駁ではないか。あるいは「知らされすぎる」情報社会での、自己の「人生」の「不可知性」を確認する標識になっているのではないか。そんなふうに考えていたのだが、「幸福論」をきっかけにして、たとえば、つぎのような愛着の仕方もあるのではないかと考えた。
 おとなにおける自己不可侵性の意識。つまり、手をよごさずしては生きられないおとなの世界での、現場不在証明。アリバイとして「星の王子さま」が使われるということである。もちろん、この不在証明は、他人に対するそれではなく、自分自身に対するそれだということになる。飼いならされた「羊」として「花」を食い散らかしながら、「どこかの羊」が、「どこかのバラの花」を食べやしないかと心配するおとな。その時、おとなは、「じぶんの中の子ども」や「かつてそうであった子ども」の中に、みごとに退行することで、自己の純粋性を保持していると錯覚しているのではないか、ということだ。レジスタンスとしての幼児退行現象があるとすれば、当然、「逃亡者」としてのインファンティリスムもある。とすれば『星の王子さま』を愛読するおとなの中に、この種の逃亡者がいないとは言えないはずだ。それに、逃亡者といえば、「星の王子さま」も一種の逃亡者であり、『星の王子さま』を書いた時点でのサン・テクジュペリもまた逃亡者だった・・・・・・と言えるのだ。サン・テクジュペリは、ナチスの蹂躙するフランスからアメリカにのがれたし、星の王子さまは、じぶんの星をすてて、はるばる地球へやってきたのだ・・・・・・。

U

「ぼくは、あの時、なんにもわからなかったんだよ。あの花のいうことなんか取りあげずに、することで判断しなけりゃあ、いけなかったんだ。ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた。だから、ぼくは、どんなことになっても、花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。ずるそうなふるまいはしているけど、根はやさいいんだということをくみとらなけりゃいけなかったんだ。花のすることったら、ほんとにとんちんかんなんだから。だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことがわからなかったんだ。」
 内藤濯の『星の王子とわたし』によると、この「花」を説明するため、サン・テクジュペリの愛した女性コンスエロに、多くの頁がさかれている。
「花」が、コンスエロか、ルイズ・ド・ヴィルモランか、(それとも、両者の統合イメージか)それは、わたしに興味のないことだ。しかし、この場合、こうした「モデル」詮索法の結果が、否応なしに「花は女性である」という規定にたどりつくことは明らかであろう。
 しかし、「花」は、なぜ「女性」でなければならないのか。「愛」であり、「文化」であると受けとめられないのか。
「花は、もう何百年も前からトゲをつくっている。羊もやっぱり、もう何百年も前から、花をたべている。でも花が、なぜ、さんざ苦労して、なんの役にもたたないトゲをつくるのか……」と、星の王子さまのいうとおり、「愛」の存在の歴史は古く、それは、多様な発生と消滅の仕方を繰りかえして、わたしたちの前にあるからだ。
 そのことは、「羊たち」(les mountons)が、「花々」(les fleurs)を「たべる」(manger)という複数形で語られていることでわかる。
 さまざまな人びとの、さまざまな愛が、つみとられる(たべられる)歴史があったということ。しかも、愛は気まぐれであり、「いうこと」(mots)と「すること」(actes)の背反性を含んでいるということ。憎しみの母胎であると同時に一瞬にして冷却するはかないものである……ということが、「トゲ」(les epines)ということばで示されていたのではないのか。「花のトゲ」は、一見「なんの役にもたたない」愛の夾雑物にみえても、それなくしては、愛の発生も展開も消滅もおこりえないし、また、愛という抽象的なことばに具体的な形を与えることもできないのだ。星の王子さまは、この多様な、しかも背反的な愛の側面を、「とんちんかん」(si contradictoires)と呼んだわけだが、このコントラディクトワール(矛盾撞着)こそ、愛の本質ではなかっただろうか。
 矛盾撞着といえば、「文化」というものもまた、「トゲ」にみちたものなのだ。精神と感情の深く豊かな成熟を約束するそれは、同時に、精神の荒廃、感情の頽落、いうなれば人間の肉体的退行をひそかに秘めているものなのである。文弱、軟弱の抬頭は、人間の歴史を微妙かつ複雑化する文化の、避けえぬ一面なのである。『クレーヴの奥方』や『パルムの僧院』を持つことは、フランス文化の価値を裏づけるとしても、それによって、ナチスの敬意をかちとることは不可能だったのである。スタンダールも、バルザックも、人間の内面的世界の拡大に役立ったとしても、1940年代のフランスの危機を救いえなかったのだ。人間の進歩に必要な「花」が、同時に、人間性の蹂躙を許容するという「とんちんかん」さ。ヴェルレーヌは、アルコール中毒でドブに落ち、ランボオは、ピストルで友人を射とうとし、古くは、ルイ14世の恩恵で、年金を付与されることによって、文学者が、その位置を確保してきた事実―これらの事実は、「花々」が、つねに「羊たち」によって「食いあらされてきた」ことを意味しないだろうか。ひとびとは、文化の恩恵に浴しながら、同時に、その「花」を開かせる詩人たちを蔑視してきたのだ。「たべ続けてきた」のだ。
「花」を「愛」であり「文化」であると受けとめる根拠は、この矛盾撞着した「羊」と「花」の関係によっている。しかも、ひとつのことばに二つの意味を付与する「未分化性」は、「バオバブの木」をみる時、いっそうはっきりしてくるのだ。

V

「ある日、王子さまは、フランスの子どもたちが、このことをよく頭にいれておくように、ふんぱつして、ひとつ、りっぱな絵をかかないかと、ぼくにすすめました。」
 星の王子さまが、バオバブの絵をかけという理由は、「きみの国の子どもたちが、いつか旅行するとき、役にたつかもしれない」ということである。いうまでもなく、子どもたちが、「旅立つ」ことは、一人前のおとなとなって、人生を「渡り歩く」(voyager)ことである。その時「役に立つ」ように描かれる「バオバブの木」の絵は、間接的状況の提示であり、「ぼくが、ここにバオバブの絵をかいたのも、ぼくの友人たちが、ぼくと同じように、もう長いこと知らないで危い目にあいかけているので……」という時は、直接的状況の提示なのであす。つまり、「バオバブ」の木は、目前のナチズムの人間否定を意味すると共に(直接的状況の提示)、いつか子どもたちがおとなになった時に出会う、人間の価値を蹂躙する画一的なものの考え方、全体主義(間接的状況の提示)を意味しているといえるのだ。
「いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている」レオン・ウェルトへの献辞を含めて、「なにしろ、バオバブをかいた時は、ぐずぐずしてはいられないと、一生懸命になっていたものですから。」ということばは、当面するヒットラーの軍靴の支配を示している。「いつか旅行する」子どもたちへの配慮が、その「現状況」を媒介にして、一切の「反人間主義」への警告になっているのだ。
 それにしても、「バオバブ」は、「教会堂のように大きな木」になる前、「地面の、どこかふかいところに眠っている」目に見えない種子だったわけである。それが、「美しい、あどけない茎を、日の光のほうへ、はじめはオズオズとのばし」、やがては「もう、どうしても、根だやしするわけにゆかなく」なるほど成長する植物だったということは、ナチズムにせよ、一切の画一主義にせよ、常にそれを育成する土壌があったことを示している。その意味で「バオバブの木」は、ナチズムの抬頭を容易にし、一切の画一的反人間主義を許容する「人間の中の無気力な追従性」と関係があると言えよう。成熟しきった「バオバブ」は、当面するファシズムの形態を採って現れるとはいえ、それは将来、別の形態を採って人間の足もとをすくうかもしれないのだ。成育する以前の「バオバブ」は、わたしたち人間の内部で、怯懦な現状追従性としてすでに「種子」を用意しているともいえるのだ。
「今日の人間は、その階級にしたがい、ブロット(トランプ遊びの一種)とか、ブリッジ(同)とかによって、おとなしくさせられてしまう。おどろくほど、みごとに去勢されているのだ。だからこそ自由なのである。すなわち、手足をまず切りおとされてから、歩く自由を与えられる。わたしは、世界的な全体主義のもとで、人間が飼いならされ、おとなしい家畜となりさがっていく、この時代を憎悪する。しかも、それが、精神の進歩だと、人々は信じているのだ。わたしが、マルクス主義の中で憎むものは、それが全体主義とつながっている点である。人間は、生産者か消費者として規定され、本質的問題が、分配の問題に還元される。(中略)わたしが、ナチズムの中で憎むものは、それが、その本質からいっても、全体主義を渇望している点である。」(1943・『X将軍への手紙』より)
 このことばに「モーツアルトの虐殺」と、サン・テクジュペリの規定したエピソードを結びつけてみれば、わたしの「バオバブ」解釈は、よりはっきりするだろう。「モーツアルトの虐殺」ということばは、『人間の土地』(1939)にも使用されている。しかし、ここでは、1935年の、モスクワ訪問途上のエピソードを引用すればいいだろう。
 サン・テクジュペリは、進行する列車の中で、「粘土の一塊」のようなポーランド人夫婦をみかける。それは、かつて、恋をし、人生に生き甲斐を持っていたはずの労働者であり、今や、「鋳型を通り抜け」たような、「金属打ち抜き機械にかけられた」ような、疲れきった男女である。「両親の間に、どうにか、すき間をみつけて、子どもがひとり、眠っていた。寝がえりをうったので、その子の顔が、常夜灯に照らされて浮かび出た。ああ、なんと可愛い顔なんだろう。いってみれば、黄金の果実が、この夫婦から生まれでたのだ。むさくるしい服装をしたこのふたりから、可愛らしさと、美の結晶が生まれでたのだ。なめらかな額、やさいいおちょぼ口。それをのぞきこんで、わたしは呟いた。『これこそ音楽家の顔だ。子どものころのモーツアルトだ。ここにこそ、すばらしい人生の約束がある。』伝説の小さな王子と、なんら変るところもなかった。庇護を受け、手をとって導かれ、磨かれれば、なれないものなどあるだろうか。突然変異によって、庭に珍しい花が咲けば、庭師なら、だれだって感激する。そのバラを植えかえ、手入れをして、宝物のように大切にする。だが、人間のための庭師はいないのだ。少年時代のモーツアルトも、やがては、押圧機によって、ほかの子どもと同じように打ちぬかれてしまうであろう。そして、このモーツアルトは、寄席の悪臭で腐蝕していく音楽に、最大のよろこびを見いだすことになるのだろう。」
「家畜」として「去勢」された人間と、「寄席」の音楽に「腐蝕」していく「モーツアルト」。分配の問題が本質的問題ではないといいきるサン・テクジュペリにとって、人生の意味は、人間の内なる「バオバブの種子」を摘み取ると共に、腐蝕的状況の中で個人の生き甲斐を、個人を超えた価値を想定することによって確認することであった。
「個人を超えた価値」―それが「花」だとすれば、その「トゲ」は、すでにサン・テクジュペリを深くさせていたことを、わたしたちは知っている。

テキストファイル化山口雅子
           
         
         
         
         
         
         
    

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