エルス・ペルフロム氏への質問

  
 『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』(テー・チョン・キン・絵 野坂悦子訳 徳間書店 1984 1999)と『第八森の子どもたち』(野坂悦子:訳 福音館 1977/2000)。二つの物語で日本に紹介されたエルス・ペルフロム。
 前者は、死に行く前の少女が「人生で何が手に入るか」を知るために、猫やぬいぐるみとともに旅する物語。そこでペルフロムが示す「人生で何が手に入るか」が、私には大変おもしろかった。死に行く子どもに向かって、美しいだけの人生を見せるのではなく、人の持つ(ここではそれをぬいぐるみたちが演じるのだが)欲望を真っ正直に描いているのだ。ペルフロムは、読者である子どもを全面的に信頼していると、私は感銘を受けた。
 そしてその後、『第八森の子どもたち』(原著の発表順は逆)を知る。自身の体験をベースにし、戦時下ドイツ国境近くのアルネムの町から田舎に疎開した少女の日々を綴ったこの物語は、『小さなソフィー〜』とはまったく別の世界を別の手法で書いている。にもかかわらずその底には、近くの森にドイツ軍のロケットが落ちるような日常で、「人生で何が手に入るか」をしっかりと見ておこうとする子どもの眼差しがある。戦争を描いた子どもの本には、反戦平和を性急に訴えるものが多い中、この物語は、起こったことと見たことだけを子ども読者の前にありのまま差し出している。そのことが、戦争を知らない子どもたちに、戦争の姿を伝える力となり得ているのだと思う。
 鋭い観察眼と洞察力を持ち、それを物語に構築できるこの優れた作家に、このたび質問をする機会を得たのは、とても幸せな出来事だった。
 翻訳家の野坂悦子さん、編集者の上村令さんにお礼を申し上げます。(ひこ・田中)

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親愛なるひこ様

 多忙のため、京都に行ってお会いすることができず、申し訳なく存じます。おそらく言葉の問題もあるでしょうし、手紙のほうが確実にやりとりできるでしょう。素晴らしい京都の町を訪問できればと、切望していたのですが。京都の有名な庭園の写真を、見たこともあります。
 ひこさんのご質問に対し、オランダ語で答えてもよいものと思っております。この手紙は、日本語に翻訳されるでしょうし、私にとってもそのほうがずっと簡単なので。
以下にご質問の答えを記します。まずは『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』についてです。

a.ソフィーは、「人生で何が手に入るか」を探す旅を、人形劇に参加することによって始めます。でも、たとえば「ベッドの中で夢を見る」といった、ほかの方法によってソフィーが旅を始めることもできたと思うのです。私の初めの質問は、「ソフィーの旅の出発点として人形劇を選ばれたのはなぜですか」ということです。

a. ソフィーは、お芝居の中でひとつの役を演じますが、その中に入りこみ、お芝居で起こることはソフィーにとって現実になるのです。私自身、なにかに夢中になると、ソフィーと同じように感じることがよくあります。それから私は、不思議なことが起こる物語に奥行きを与えるため、「のぞきからくり」のような物を使うことが多いのです。子どもの頃に自分で作ったのぞきからくりは、箱に穴をあけ、中がのぞけるようにしたものでした。箱の内側には絵が見えます。布きれや紙で作った魅力的な世界が、とても簡単に目の前に見えるのです。私は物語を読んだり、映画、芝居などを見るときも同じように感じます。目の前の世界が、現実であり、同時に現実ではないものとして感じられるのです。ご質問のように「夢を見る」という設定にすると、こうした効果が得られません。だから、ソフィーの物語が高熱に浮かされた少女が見た夢だ、と説明されると、腹が立ちます。私にとって、この物語は、夢よりずっと現実に近いものなのです。それに、実際にはほとんどまだなにも経験していないソフィーが、どうして「人生で手にはいる」ものをすべて夢に見ることができるでしょう? だからこそソ フィーたちのお芝居は、世界が創られる場面から始まるのです。

b.『小さなソフィー〜』には数多くの魅力がありますが、そのなかの一つに、話の筋やエピソードが、読者の予想を超えて展開していく、ということがあげられます。くまが沼で溺れそうになっている場面で、パタパタはくまに「重さを減らすために金貨を捨てろ」といいます。くまがその言葉に従ったとき、私は、パタパタがくまを助けてやるんだろう、と思いました……ところが、パタパタはただお金を取って、アナベラといっしょに逃げ出したのです! ソフィーも、くまの家で幸せな日々を送るうちに、そもそもパタパタを助けるためにくまの家に行ったというのに、パタパタのことを忘れてしまいます。
 この物語のなかには、「予測をこえたひねり」の例をもっと見つけだすことができるでしょう。こうした予想外の展開に、読者は驚くとともに、リアリティを感じます。あなたは、そうした効果をねらって、意識的に物語にひねりを加えたのでしょうか。それとも、あなたにとって、こうした物語の展開は、自然なものなのでしょうか?


b. 私がこの物語で、なぜ「裏切り」といった難しいテーマを扱ったのか、というご質問ですね。たとえば沼地の場面で、のっぽのパタパタが、アナベラにそそのかされてクマを見殺しにしようとしたり、また後のほうでは、ソフィー自身がクマの家にいるうちに、牢屋に閉じこめられているパタパタのことを忘れてしまったり。真実をできるだけありのままに伝えようとして、書いているうちに自然とそうなったのです。だれだって、思いがけず自分の親友のことを忘れてしまう瞬間があるはずです。そんなことぐらい、子どもたちにも、ちゃんとわかっていますよ。それで私は、こうしたテーマを避けて通る必要はないと思ったのです。

c.物語の終わりで、ソフィーの死のあとに、あなたはもう一場面、ソフィーが新たに旅立つ場面をお書きになりました。
 それは、ソフィーの死で物語を終えたくなかったからでしょうか? 私は、最後の場面を読んだとき、「死もまた、ソフィーが人生において手に入れたものの一つなのだ、そしてソフィーのほんとうの生は、死を超えて続くのだ」というふうに理解しました。この解釈は、正しいでしょうか?


c. なぜ私がソフィーの死の場面のあとにもう少し書き加え、ソフィーと友人たちを、終わりのない長い旅に出発させることにしたのか、とのご質問ですが、これには簡単には答えられません。ひとつには私自身、自分が死んだあとどうなるのかよくわかりませんし、ひょっとすると生まれ変わることだってあるかもしれない、と思っているからです。もうひとつの理由は、なぐさめを与えたかったからでした。たとえ愛する人が死んでも、あとに残された者にとって、それですべてがおしまいというわけではないのです。愛する人は、私たちがその人のことを忘れないかぎり、記憶の中に生き続けるのですから。

d.『小さなソフィー〜』の内容や登場人物は、大人にとっても大変面白いのですが(大抵の大人は、パタパタとくまが時折見せる自分中心的な振る舞いに覚えがあるでしょう)。しかし、私は、それでもこの本は間違いなく「子どもの本」だと思います。
 あなたは子どもに向けてお書きになるとき、書き方や内容を変えられますか? もし変えるとしたら、どういったことを(子ども向けに)変えることが多いですか?

d. かりに対象年齢を決めるのが難しくても、『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』は、間違いなく子どもの本だと思っています。実際に読んでやると、まだ小さな子どもたちも喜んで耳をかたむけますし、いっぽうで、大人たちもこの本を高く評価してくれました。
 私は「あらゆる年齢の子ども」にむけてこの本を書きましたが、避けて通ったテーマは、ほとんどひとつもありませんでした。子どもの読者のことを考えて、唯一気をつけていたのは、言葉づかいでした。自分で読むにしろ、だれかに読んでもらうにしろ、子どものための物語の言葉は、明瞭で、わかりやすくなければなりません。物語の構造も、できるだけ明快でなければ、と思っています。
 大人の学生に講義をするような調子は避け、子どもたちに授業をするときのように、わかりやすさ、明快さを心がけているのです。

e.「子どもの本」と「大人の本」の違いは、何だと思われますか?

e. 子どもの本と大人の本の違いについては、d.である程度お答えしましたが、まず、言葉づかいと物語の構造の明快さに、気を配っています。また、子どもにむけて書くとき、対象年齢にもよりますが、あまりとりあげたくはない事柄はあります。
 私の場合、それは愛のない赤裸々なセックス(恋愛自体は、なんの差し障りもないのですが)と、むきだしの暴力です。それから、本を読み終えた子どもたちが、絶望的な気分に陥ったままではいけないと思っています。たとえ、物語の中で残酷なことがいろいろ起こっても、おとぎ話と同じように、ちょっぴり希望がなくてはいけません。大人向けの名作には、ハッピーエンドで終わるものがあまりなく、読者も別にハッピーエンドを望んではいません。でも、子どもというものはまだ傷つきやすく、感じやすいので、なんの希望もなく「森の中」に放り出してはいけないと思うのです。

f.『第八森の子どもたち』については、私は、戦争中のノーチェの日常生活を丁寧に描かれたその書き方に、まず感銘を受けました。戦争がいかに恐ろしいものかということを読者に押しつけようとしていません。(あいにく日本では、性急に反戦のメッセージを伝えようとする作品が多く見られ、しかも、そうした作品が子どもに推奨されることが多いのです。)
 でも、あなたのなさった丁寧な描写のほうが、「子どもにとって戦争とはどういうものか」ということを、はるかに効果的に伝えています。あなたは、意識的に、あからさまな反戦の訴えを避けられたのでしょうか?

f.『第八森の子どもたち』は、大部分、第二次世界大戦が終わる前の冬に私自身が体験したことを書いたものです。当時、私は主人公のノーチェと同じ年頃でした。耐えられないほどおそろしい体験をしたわけではありませんし、「おそろしい体験」を書くべきだとも思いませんでした。それに私は、そんな希望のない形の子どもの本を書きたくはないのです。(e.の答えを見てください)人間にふりかかるものの中で、戦争がもっともおそろしいものだと確信したいっぽうで、同時に、自分の経験やほかの人の話から、戦争中だからこそ、いろいろな経験を非常に深く味わえたのだということにも気づきました。戦争は続いていても、善い人たちに出会い、そこから愛や友情が生まれ、豊かな自然の中で、互いに助け合いながら人間らしく暮らしていたのです。
 私がいつもめざしているのは、リアリズムの物語であっても、『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』のようなファンタジーであっても、自分が見たり体験したりしたことを、できるだけ忠実に語るということです。『第八森の子どもたち』の中にやさしいドイツ兵が登場しますが、それも、たとえ「敵」の軍服を着ていたにしろ、そういう兵隊が実際にいたからです。意図的に「反戦的な本」を書こうとする姿勢には、ものすごく反発を覚えます。そんな本は、かんたんには信用できませんね。   
 伝えたいメッセージがあるのなら、なにかの協会か、政党にでも入ったらいいのです。急いで伝えたかったら、新聞に投書するという方法もあります。子どもは、自分なりの意見をちゃんと作っていくもので、お説教する必要などありません。子どもに必要なのは、ちょっとしたヒントだけ。ヒントを与えることなら、物語の形でもできると思います。

g.『第八森の子どもたち』のなかには、印象的な場面がたくさんあります。アルネムで爆撃にあい、知らない女の人と抱き合いながら、ノーチェは考えます……「きっとおばあさんも不安なんだわ。この女の子がそばにいてくれてよかったって、考えてるかもしれない」(50ページ)。もう一つの印象的な場面は 「森のむこうから、爆撃機が飛んできたのです。(略)でも、ノーチェはそうしているあいだに、ここはヒースのいいにおいもするし、なんて気持ちがいいのかしら、と考えている自分に気がつきました。」(349ページ)。ここではノーチェは、自分がとても死に近づいているということを知りながらも、まわりの物事を観察しています。
 子どものころ、同じ様な経験をなさったことがおありでしょうか。もしそうなら、ご自身のそうした経験は、子どもに向けて書くときに、どんな影響を及ぼしているのでしょう?

g. 質問文に引用された二つの場面は、どちらも私の体験そのものです。長い年月を経たあとでも鮮やかに思いだすことができたのは、印象に深く刻まれていたからで、当時考えていたことまで思い出せたのです。
 人間の考えることや、知っていることはすべて、自分の経験がもとになっています。幼い子どもの頃の経験がもとになっている場合もあります。書いている本の対象が、子どもであっても大人であっても、作家が書くものは、自分が経験したことに絶え間なく影響を受けるものです。たとえ実際に起きたことを、そのまま書いているのではなくても。

h) ヤンナおばさんは言います……「子どもっていうのは、だれのものでもないんだよ、ノーチェ。(略)あたしたちは、面倒をみてやるだけなんだ」(408ページ)
。この言葉も、作者からの大事なメッセージだと思います。そう思ってよろしいでしょうか?

h. ヤンナおばさんが、どうして「子どもっていうのは、だれのものでもないんだよ、あたしたちはめんどうを見てやるだけなんだ...」といったのかということですが、この言葉はまず、ヤンナおばさんのような新教徒の女性、つまりどこかのプロテスタント教会に属している人の典型的な考え方なのです。私自身は、プロテスタントではありません。でも、こうした物の見方と私の考え方が一致しているのは事実です。私たちは子どもを「所有している」のではなく、一時期「いっしょにいる」だけであり、しばらくしたら子どもが自分自身の人生を歩んでいけるように、手を放して自由にしてやらなければいけないと、思っています。

 これで、ご質問全部に、すっかりお答えできたでしょうか。子どもの本の話をするとき、あまりないことですが、ひこさんは、とても的をついた質問をしてくださいました。心よりお礼申し上げます。作品を真剣に受け止め、作品について熟考してもらえるのは嬉しいことです。ひこさんの場合は、ご自身が作家でもあるわけですから、当然のこととお考えかもしれません。でも残念ながら、たとえ作家であっても、作品をいいかげんに読んでいる人が実に多いのですよ!
 お会いできなかったのが本当に残念ですが、私の作品に興味を持っていただいたことに、もう一度お礼を申し上げます。
              
 2000年4月2日、アムステルダムにて   
            エルス・ペルフロム 


 物語最後の「ただ、ノーチェは、やり場のない怒りを感じるのです。なぜ、わたしは、あのあたたかい台所からひきはなされ、知らない人ばかりの教室にすわっているのか、と。」(415ページ)は子どもにとっての戦争体験の意味を、うまく表現しています。とても感動しました。
 これからもすばらしい物語を届けてくださること、楽しみに待っております。
                 
ひこ・田中
【児童文学評論】 臨時増刊 2000/06/25日号
日蘭学会通信通巻93-94号