小さなソフィとのっぽのパタパタ

野坂悦子訳 徳間書店 1984/1999

エルス・ペルフロムとテ−・チョン・キン
インタビュ−
1984年夏
アムステルダムのペルフロム宅にて

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』の創り手たちの前で、私は脱帽するしかない。
 ここ十年間に出版されたオランダの児童書の中で、最も美しい本だ。エルス・ペルフロムの文に、テー・チョン・キンが絵を描き、ケリド出版が実に見事な本として出版したものである。
 この印象的な物語の中心部分は、死ぬほど重い病気にかかっているソフィーが、熱に浮かされて見た夢だ。その夢の中で、部屋のぬいぐるみやおもちゃたちが動きはじめ、ソフィーには飼い猫のテロールの言葉もわかるようになる。テロールは、「人生でなにが手に入るか」について芝居を書いたところだといい、芝居を上演したいので、だれか出てくれるものはいないか、とたずねる。ソフィーは、人生でなにが手に入るのかどうしても知りたいと思って、人形のパタパタやぬいぐるみのクマと一緒に芝居に加わるのだ。芝居の背景を描いたロール状の布のかたほうは、ピエロのアウフストが支え、もうかたほうは死神が支えている。
 芝居が始まり、同時に人生をわたる旅が始まる。目の前の背景の布が、少しずつほどかれていき、ソフィーは貧しさと豊かさ、公正と不正、要領のいい者と悪い者、正直と嘘を目の当たりにする。ソフィーが歳の市にやってくると、<繁栄と幸運>と<災難>を、同じ量ずつのせた天秤がある。片方の皿からなにかを取り出したものは、もう片方の皿からもなにかを受け取るので、その天秤はつねに釣り合いを保つことになっている。ソフィーはまた、<なやみのある子どもたちのホーム>に入る。そこに住んでいる子は、どの子もなにかが足りなくて、それゆえおたがいの「なやみ」を受け止めあっていた。
 ピエロのアウフストのほうから死神のほうへ背景が展開するにつれ、ソフィーにも人生で何が手に入るのかわかってくる。だが、熱のせいで見た夢は文字通り「死」に終わる。翌朝、両親は、ソフィーが死んでいることに気がつくのだ。
 物語のここから先の部分が、この本をきわだったものにしている。次の晩、両親が眠りに落ちると、人生のお芝居をともに演じてきた登場人物たちが、ソフィーを迎えにくるのだ。みんなはそろって、もう一度旅に出る。

 青空のもと、ソフィーたちは車に乗って、緑の丘をぬけていきました。暖かいそよ風が、みんなの顔に、たくさんの花の香りを運んできました。
 クマがラジオをつけ、アナベラがみんなにききました。
「チョコレートを食べない?」
 みんなはおたがいの体に腕をまわし、音楽を聞きながら、チョコレートをもぐもぐと食べました。
 のっぽのパタパタがいいました。「ひとつ、おもしろい話を聞かせてあげようか?」
 ソフィーは笑いだしました。
 これから、終わりのない旅が始まるのです。    

 死の場面で終わりにせず、さらに死後の出来事の一場面をつけ加えてある物語は、児童文学ではかなりめずらしい。エルス・ペルフロムは、天国と地獄についての教育的な思考におぼれることなく、「終わりのない旅が始まるのです」というところで筆を止めることができた。それゆえ、この物語と多少類似点のあるハンス・クリスチャン・アンデルセンの『マッチ売りの少女』の結末にくらべ、ペルフロムの結末は、ずっと抑えがきいている。
 この『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』には、称賛が惜しみなく寄せられるだろう。文も美しいし、絵も抜群で、主人公たちのキャラクターも説得力あるものに練り上げられていると、言っていい。他の多くの児童書では、白黒はっきりした直線的なキャラクターが多いが、この本はまったく違っていて、どのキャラクターも現実の人生そのままに「矛盾でいっぱい」なのだ。もうしばらく誉め言葉をつらねることもできるのだが、とりあえず、この辺でやめておこう。
 この本の質はずばぬけているし、そのうえ絵と文の協力関係を眺めているうちに、作家が出来上がった文章を画家に渡したわけではなく、たぶんなにか少し違った方法で本ができたのではないかと推測できることから、私は本の背景と成立過程に強い好奇心を抱くようになった。それで、エルス・ペルフロムとテー・チョン・キンに、インタビューをしたら面白そうだと思ったのである。

 1984年夏。インタビューは、エルス・ペルフロムの自宅で行われた。住まいは、アムステルダム市内の緑の運河に面し、いろいろな本と植物でいっぱいだった。

 まずテ−・チョン・キンが、作品が生まれた経緯について語ってくれた。
テ−・チョン・キン:「エルスの前の作品『レディー・アフリカともう二、三』(仮題、未邦訳)に、ぼくが絵を書いたことが、きっかけだった。その中に、<狼犬>という犬の親分が、ほかの犬を何匹もひきつれてアムステルダムの運河沿いを走り、猫狩りを指揮する章があるんだ。その章が息を飲むほどの迫力で、すごく気に入った。それで、ぼくはエルスに電話して、<強さ>をテ−マにした作品を書いてもらえないかと聞いたんだ。」
エルス・ペルフロム:「まず、電話で何度も細かく話しあったのよ。何ヶ月もかけてね。そして、私が少しずつ物語を書いてテーさんに送る約束になったの。これがうまくいったわけ、結局<強さ>というより、<飢え>がテ−マの作品になったけれど。テーさんは、私が送った断片にそのつど絵を描いたり、文章について電話で意見をくれたりして、ちょっと話が残酷すぎるんじゃないかとか、よくいわれたわ。それでも、シビアな部分は残ったわね。物語を書いているあいだに見せてもらえた絵は、スケッチ程度だった。」
テ−・チョン・キン:「そのスケッチを、徐々に変えていったんだ。始めに描いたものと最後に出来上がったものは、全然違っているよ。形を見つけるのに、ずいぶん苦労したな。おもちゃを生きているように描くのがとても難しかった、それまでやったことがなかったから。登場人物が動いていて、しかもおもちゃらしい印象を与えるようにしなければならなかったんだ。二年間迷った末、この本に必要な絵のスタイルがやっと見えてきた。それから、二人でケリド出版に出かけていったんだ。ケリドは、全部、ぼくたちの好きなようにやらせてくれたよ。」

聞き手:「絵の印象をいわせてもらうと、これまでの本にくらべ、急にずっとのびのびした感じで描き始めましたね。テーさんは新聞に漫画を描いていたし、フース・コイヤー(註:1942〜 児童文学作家、小説家。邦訳に『ひみつの庭のマデリーフ』がある)の『黒い石』では、初めてペンの代わりに鉛筆を使っていました。文章に絵をつけることが、画家としての成長に影響していますか?」
テ−・チョン・キン:「ああ、すごくね。文章にふさわしい絵にしようとするから。ぼくは、もともと漫画を描いていたんだ。十年ぐらい前に、ミ−プ・ディ−クマン(註:1925〜 児童文学作家)が子どもの本の原稿を持ってきて、絵を描いてほしいとたのまれた。これはぼくの仕事じゃないと心の中で思いながら、ともかくは仕上げたよ。それから何冊か子どもの本の仕事が続いて、数年後、ディークマンが今度は幼児向けの詩集を持ってきた。幼児向けの本の絵を描くなんて、ぼくには絶対にできないと思った。でも、いったん仕事に取りかかってみると、このジャンルでも大丈夫だってことが、自然にわかってきたんだ。エルスが物語に生きているおもちゃを登場させたときも、ぼくにはファンタジーの世界なんて無理だ、と思ったよ。でも、できないと思っていたような絵を引き受けるたび、一歩前進するんだ。ほんとに素晴らしいことだよ。ぼくが今回一歩前進したのも、すべて『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』の原稿のおかげなんだ。」
エルス・ペルフロム:「はじめから、文章と絵が同じ比重をしめる本を作るつもりだったの。パラグラフごとに、いろんなイメ−ジを呼び起こすように書いていったわ、テーさんがたくさん絵をかけるようにね。それでふだんの書き方より、ずっとイメ−ジの変化に富んだ、生き生きした物語になったんでしょう。テーさんの描いた絵と、私の考えていた感じが同じだったためしはないから、物語がいっそうふくらんだわ。」

聞き手:「テーさん、生き生きとした、イメージの変化に富んだ文章は、画家として仕事をするうえで刺激的ですか?」
テー・チョン・キン:「非常に良く書けた文章を前にすると、手が出せないって感じになる。あの物語の第一章は、ほんとに完璧だったので、ぼくはなにも絵が描けなかった。仕事に取りかかる勇気が出なかったんだ。よく、そんな気分になるんだよ。すごく良く書けた本を受け取ると、ぼくは必死で取り組むんだ。物語があまり良くなければ、プレッシャーもそれほど強くはないけど。」
エルス・ペルフロム:「私がすごくいいアイディアを思いついた時に感じる不安と、たぶん同じようなものでしょうね。うまく書かなければ、輝かしいアイディアが消えてしまうって思うの。アイディアを完璧に文章にしなくちゃいけない、それができなければ恥だわって。そのアイディアに報いる必要があるのよ。この物語は私が考えついたものじゃない、もうそこにあるものなんだと、感じるときもあるわ。アイディアをよく把握して、肉付けしなくちゃいけないでしょう。すると、思いもよらなかったことが、うかんでくるの。私の物語の中には、神様がくれた文章があるのよ。」

聞き手:「この物語も見事な言葉で書かれていて、ペルフロムさんが、文体に相当気をつかう作家だということがはっきりわかります。ペルフロムさんは、本がうまく読めない子どもたちのために名作をリライトする仕事もしていますが、たとえば『ニルスのふしぎな旅』とか『秘密の花園』といった、読みやすい児童書を書き直す仕事はしていませんね。本来は原作に手を加えるべきではないと、思っているのでしょうか?」
エルス・ペルフロム:「ええ、リライトは、犯罪に等しいものだと思っているわ。でも、私はそんな子どもたちのために仕事をしてきたし、その子たちはどうしてもリライトを必要としているの。このシリーズは好評よ。本がうまく読めない子どもたちを、どうして、古典から遠ざけておかなくちゃいけないの? どれも、子どもたちの心に訴える良い物語なのに。こうした本がきっかけとなって、ちゃんと読書ができるようになることだってあるんです。」

聞き手:「『小さなソフィ−とのっぽのパタパタ』では、熱に浮かされて見た夢が、大事な部分になっていますが……」
エルス・ペルフロム:「それはちがうわ、あなたはそう書いているけれど、これは熱にうかされて見た夢なんかじゃない。」
聞き手:「というと?」
ペルフロム:「ほんとの出来事なのよ。」
聞き手:「現実、というわけですか?」
エルス・ペルフロム「ええ。あなたが想像できないっていうことが、私にはとても残念だけど。私の頭にずっとあるのは、<なにが現実なのか>という問題。映画や演劇を見ていても、本を読んでいても、作品がよければ、その世界にすっかり入っていけるでしょ。それが現実かどうかなんて、関係なくなるわ。だから、あの物語も決して夢の話ではないの。あれは、本当のことになってしまうお芝居なの。だから、ソフィーもお芝居に出たのよ。たとえば、動物園にいるイグアナを見てごらんなさい、イグアナってまったく別世界のものだけど、現実に存在してるでしょ。たぶん、ファンタジ−の世界も、それと同じくらい現実なの。死んだあと、車に乗って去っていくところだって、ほんとじゃないっていえるかしら。すべての現実が、目に見えるわけじゃないでしょ? だから、本が一冊出るたびに、ファンタジ−は現実に近づくんだと思うわ。」

聞き手:「『終わりのない旅が始まるのです』という言葉で、本は結ばれていますね。死後の描写を、どうしてこんなふうに控えめにしたんですか? 子どもの本だからでしょうか?」
エルス・ペルフロム:「ちがうわ。子どもの本だからってことじゃなくて、死んだらどうなるか私にもわからないから、その部分は空白にしておきたかったの。女の子が死ぬところで終わりにしないってことが、とても大切だと思ったの。キリスト教徒には、天国や地獄があるけど、私は天国も地獄も同じぐらい嫌だし、信じたくもないわ。天国で、別れた結婚相手が待っているとか、子どもの本の先駆者であるセルマ・ラーゲルレーヴ(註:1858 〜1940。スウェーデンの児童文学作家、『ニルスのふしぎな旅』が代表作)が待っているとは思いたくないわ。」

聞き手:「テーさん、あなたは物語の最後の絵に、気持ちのいい景色を描いていますね。あれは楽園でしょうか?」
テー・チョン・キン(笑いながら):「ちがうよ。」
エルス・ペルフロム:「私が、みんなを乗せた車が雲の中に入ると書いたから、テーさんはその通りに絵を描いたの。美しい景色の中へ入っていくの。大好きな人たち、優しい友だちといっしょに、きれいな車に乗って、音楽を聞いたりボンボンを食べたり冗談をいったりしながら旅立つのは楽しいだろうなと、私は思っているの。きっと気持ちがいいでしょうね、本当にそうだといいわ。」

聞き手:「テーさん、挿絵は、読者の想像のさまたげになるものだと思いませんか?」
テー・チョン・キン:「ぼくは児童書週間(註:オランダで毎年10月に催されるイベント)に小学校をよく訪問するんだけど、そんなとき、子どもたちが本の挿絵をどう思っているか試しにきいてみるんだ。『素晴らしいお話にひどい絵がついていたら、どう思う?』ってね。子どもたちは、そんなのは嫌だと思ってるよ。でも続けて、『それじゃ絵がないほうがいい?』ときくと、やっぱり挿絵があったほうがいいっていうんだ。下手な挿絵でも、挿絵がないよりましだっていう。ぼくも同意見なんだ、自分の子ども時代がそうだったから。本を読むのが遅かったので、挿絵にでくわすたび、ずいぶんたくさん読めたね、というごほうびのように感じていた。そうやって、本を最後まで読み通していたんだ。
だけど、どんなふうに描いたらいいんだろう。どんなときに挿絵が想像を刺激するんだろうか、またどんなときに想像をつぶしてしまうんだろうか? 
 説明的な部分をできるだけ少なくしたほうが、想像力を刺激する。とはいっても、たくさん描きこむとか、あまり描きこまないっていう問題じゃなくて、どうやってヒントをあたえていくかが大切なんだ。そうすれば、まちがいなく想像力を刺激するんだよ。」

聞き手:「この物語には、かなりアンデルセンの影響が感じられますが?」
エルス・ペルフロム:「ええ、アンデルセンはずいぶん影響してるわ。『マッチ売りの少女』とか、人形たちが12時になるとお芝居を始める『ブタの貯金箱』などがね。のっぽのパタパタは、フランダース地方に伝わる民話のヒ−ロ−で、もともとプッシェネル(註:道化の人形芝居)に登場する人形なの。王様が、へたくそな音楽家を処刑するところは、よく知られたスタ−リンの逸話をもとにしているわ。クマにも、モデルになる人物がいるの。私がどこかで見たり聞いたり、読んだりしたことが、全部影響してるわ。」

聞き手「『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』は、大人にも大変おもしろく読める本だと思いますが、子供の本を読む大人はあまりいないし、批評家も児童文学にはほとんど関心を寄せません。この物語が子供の本として出版されたことを、残念に思いませんか?」
エルス・ペルフロム:「まったく、なんて質問かしら! 子どもの本を読むか読まないかは、その人が決めることでしょう。オランダの人口の半分は子どもなのよ。その半分のうちの何人かが、私の本を喜んでくれればなによりだし、私はそんな子どもたちのために書いているんです。」

聞き手:「子どもの本は、新聞や雑誌でもあまり取り上げられません。そのことが、気になりませんか?」
エルス・ペルフロム:「もちろん気になるけれど、しかたがないわ。児童文学にそれほど注意をはらわれないのも、まあ当然だと思っています。ときどき、いい作家たちが、霧の中からあらわれるのにね。スリラーだってそうでしょう。あんまり大勢作家がいるので軽く見られているけれど、文学的で素晴らしいスリラーだってあるわ。
 大人の文学だって、状況は似たようなものよ。だれが最も注目を浴びてるっていうの? 中身のないものばかりじゃない。外国物とちょっと比べてごらんなさい。オランダで自分の本がよく売れるっていうなら、自分がなにを書いたのか真剣に疑ってみる必要があるわ。」

聞き手:「児童文学に話をもどしたいのですが、<良い本>と<悪い本>をふるいわけることには、意味があるんでしょうか?」
エルス・ペルフロム:「わからないわ。もしそうしたら、<良い本>は、あまり残らないんじゃないかしら。その本が良いメッセ−ジをもっているかどうか、いつも取りざたされるけれど、私はそれが嫌なの。どうして、子どもはいつもメッセージを受け取らなければならないの? 良い物語を書くこと、そのこと自体が重要なんです。」
テー・チョン・キン:「挿絵のほうは、全然批評の相手にされないね。なにも評価されないものを描くわけだから、こっちもつらいさ。だれでも文章は書くけど、絵のほうはそうはいかないから、絵より文章の批評のほうがしやすいんだと思う。」

聞き手:「それでは、ふさわしくない人間が、子どもの本の批評をしているということでしょうか?」
テー・チョン・キン:「絵本についていえば、たぶんそうだね。本当に一生懸命やっている画家も何人かいるので、そうした人たちは、もっともっと注目されていいよ。」
エルス・ペルフロム:「子どものうちに、美しいものにふれておくことが、なにより大切なの。装丁も、なにもかもすべて美しい本とか。そうしたことに、人はとても大きな影響を受けるんだと思うわ。私の趣味や好みも、子供のころ読んだ本や、持っていた物が、もとになっているのではないかと思っています。」
−『小さなソフィ−とのっぽのパタパタ 』の制作をめぐって−
                    聞き手:リンデルト・クロムハウト      
                        (児童文学作家・評論家)