一九五九年の「成長物語」
−個と共同性のはざまで−(4)

芹沢 清実
(UNIT評論98・論集)

           
         
         
         
         
         
         
     
4・「個」として状況に立ち向かう主体としての子ども−柴田道子『谷間の底から』

 『荒野の魂』にしろ『山が泣いてる』にしろ、いまでは読み返されることが少ないと思われる、いわば<忘れられた>作品である。しかし、これまで述べたように、これらの作品には五十年代末ころゆえ感じとれるアクチュアルなもの、つまり時代のいぶきを敏感に反映したがゆえのリアリティがある。
 とはいえ、今日の読者からみて、かなり読みにくさを感じさせることもたしかだ。それは主として、文体あるいはドラマツルギーにかかわる。
 それに比して、時代背景こそ古くなってはいても、今日の子どもにとっても共感しうる読みやすさをもった作品も、この時期にあらわれている。ここでは、柴田道子の『谷間の底から』をとりあげてみたい。この作品には、前述した新しい子ども像の三番目、<個性をもち、その行動で物語を牽引する力をもつ、主体的な存在としての子ども>が描かれているからである。
 読みやすさと言ったのは、とりわけこの規定の前半にかかわる。弱点をふくめて個性をもつ主人公が、生きる途上でいやおうなくぶつかる困難を、自分に固有の方法でのりこえることで変化するという、典型的な「成長物語」の構図をひとまずはとっていると読めるからである。あるいは、このような「成長物語」の主人公たりうる「近代的子ども像」が、現代の読者にはおなじみのものであるからと言い換えてもよい。
 このことは、山中恒の『サムライの子』では、はっきりとしたドラマツルギーとして確立されている。個性的な子どもがその行動によって物語を動かしているのだ(それに比べると『谷間の底から』にやや少女小説の残滓を感じさせる古さがあることは否めない)。
 少国民世代は、このような「近代的子ども像」を描きだすことによって、名実ともに童話伝統批判をなしとげ「現代児童文学」を出発させたわけだ。彼らがなぜ、それをなしえたのか。その答えのひとつを提示するものとして、たとえば『谷間の底から』を読むこと
ができる。
 主人公は、千世子という国民学校五年生の少女。病弱で甘えっ子彼女が、初めて親元を離れる不安と期待を胸に、まるで臨海学校に参加するように集団疎開に出発するところから物語は始まる。その四四年夏から、敗戦後の四五年の十一月初めにようやく帰京するまでのストーリーの経緯は、ほぼ柴田道子自身の体験と重なる。世の中全体にもまして自分自身をすっかり違ったものに変えてしまったもの、つまり自己形成過程にとって決定的なものとして、子どもにとっての戦争体験がもつ意味を柴田は描いている。
 それはごく簡単に抽象化していえば、子どもがむきだしの「個」にされたということである。近代的な諸個人を大量に成立させたのは、学校と工場というシステムだったが、近代戦争はこの過程を一気におしすすめる。四十年代の総力戦という事態は、このシステムのなかに子どもを丸ごと放りこんだ。少国民ということばからして、ほんらい大人の領域であるはずの政治に、子どももまた取り込まれたことを意味している。それを端的に示したできごとが、将来の戦力を保持する目的で行なわれた学童疎開だった。一部の特権階層は別としても、どの子もそれぞれの家庭のもつ経済的・文化的背景からひき離され、いわば戦争のコマとして平等な「個」として扱われたのである。
 家族という庇護者から分離され、しかも食生活をはじめとした保障が失われた状態におかれた子どもたちのあいだでは、やがてむきだしの力による支配が横行する。
 伊豆の温泉街に疎開した千世子たちは、旅館を割り当てられ、六年から三年まで六人の少女たちが一室に寝起きすることになる。やがて上級生の克枝によるボス支配が始まり、千世子は屈辱的ないじめをうけて誇りを傷つけられるという体験をする。しかし、克枝もまた戦争によって傷つけられたことでいじめの加害者になっているのだということを、千世子は見抜いている(このあたりの経緯は、現代のいじめ問題にも通底するところがある)。
 戦局は悪化し、千世子たちはさらに富山平野へと疎開先を移す。設備がととのい炊事も旅館でやってもらっていた伊豆での生活から、農村のお寺のお堂に六十人からの児童がいっせいに寝起きする生活へと変わるのである。大人の目から見通しがきかないゆえに陰湿ないじめが常態となる小部屋とは、また違った困難が、子どもたちに押し寄せる。食器やテーブルの調達にはじまり、まかないなど生活のいっさいを、わずかな教員の管理のもとで、子どもたち自身がやらなくてはならない。目的こそ「りっぱな皇国少女になりたい」で
はあるけれど、千世子もまた、子ども集団の上級生として働くなかで、自分の頭で考え行動する力を身につけていく。
 「お国のために」という単一の目標のもとでは、教員たち大人も子どもと平等な存在とみなされる。「りっぱな皇国少女」となるため必死で疎開生活をつとめる千世子は、それゆえ、小さなエゴをむきだしにして子どもに理不尽を強いる大人を許すことができない。
 千世子の成長を鮮やかに印象づけるシーンは、作品の終わり近くにある。家族のもとへ向かう列車の中で、仲良しの孝と疎開生活が自分たちを成長させたと回顧しあう場面だ。ふたりの会話には、千世子に反感をもち、おさえつけてきた教師(彼女は子どもたちの食料横取りをしていた)が、冷たい監視の視線をそそいでいる。

「そうね、だけどわたし、これだけは、がんとしてまもりつづけていこうと思うの、信用できない人の命令には、これからしたがわない。たとえ、先生にだって……。」/このとき、井上先生がするどく千世子にむけていった。「あら、高田さん、信用できないという理由で、あなたは目上の人、しかも先生に服従しないっていうの!」/「ええ、先生、わたしは自分で正しいと思うこと、自分の良心にだけ服従します。」千世子は座席から立ちあがり、
 顔を青くしていった。

 ここには<自立した権利主体としての子ども>の姿がある。このように「個」としての尊厳をもち、大人への服従を強いられない権利主体としてとらえられた子ども像は、今日では「子どもの権利条約」というかたちで普及している。しかしその源泉は、天皇のもとにという条件つきではあるが平等な臣民という観念、さらにはそれを子どもにまで徹底した少国民という観念にある。
 山中恒があれほどにも強烈なルサンチマンを持続しえたのも、まじめな少国民として、天皇のもとでは大人とも平等であるという誇りを持っていたことに起因すると考えられる。逆に、まじめな少国民像からはだいぶ逸脱していた『少年H』(妹尾河童、講談社九七)の主人公のような少年もまた、「個」をつらぬいて生きる困難を味わうのだが、こちらの方は管理社会を生きる現在の子どもの悩みに近い。いずれにしろ、あまりにも求心力の強い社会に子どもが「個」としてさらされる体験を、戦争はつくりだした。
 少国民世代とは、「近代的子ども」を自らの体験として集団的に生きた、初めての世代であるといっていいだろう。
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