にゃんとワンダフル(前)

 これ、「育成シミュレーション」と名乗っていますが、このジャンルのものは以前もご紹介。「プリンセスメーカー」だとプレイヤーが望む女になること、「ピーノ」だと平和を取り戻すこと、「卒業」だと無事卒業と「あわよくば、結婚」という風に、それらのゲームは育成することの先に思惑があります。つまり育成は育成される側(主に子ども)よりむしろ育成する側の欲望に沿って行われるようになっている。それは、ゲームやからそうなっているのやろう、と考えておきたいのやけど、違う。そうやなくて、現実の「育成」の本質をもシミュレートしているのやね。ほら、あんたの将来のためや、と言いながら自分の見栄や実現しなかっ夢を子どもに押し付けたりって、結構してしまってるやないですか。
 ところが「にゃんとワンダフル」の場合、ただただ飼って育てるのみ。飼うことが楽しく、育てることが喜びとなる。何でかといえばこれは育成は育成でも、ペットの飼育やからですね。血統書付きで子を増やして儲けたろとか考えていない限りそこには、無償の愛ってのが存在するわけ。
 システムは簡単。好みの犬か猫を選択。画面に現れた子犬(子猫)に餌をやったり、声をかけたり、遊んでやったり。声は、「こら!」「いい子だね」「待て!」「遊ぼう」「お腹すいた?」「静かにしなさい」「おいで」から選択する。あとはただただ、その子が走ったり、伸びをしたりするのを眺めているだけ。
 和む。

1996/10/09


にゃんとワンダフル(後)

 もし、私たちがゲームのアイデアを五つほど考えたとすると、その中には、犬や猫を飼う、というのがあるはず。
 それは私たちが凡庸やからではなく、TVゲームという新しいメディアを親しみやすいものとして「お茶の間」(んなものもうないか)に定着させるに、最も落ち着くアイデアが、それだからです。
 モニターの中にペットを飼うことで私たちは、TVゲームをも飼っている気分に浸ることができるわけ。言葉を変えれば、TVゲームをペットのように御せると思い込むことができる。
 にもかかわらず、誰でも思いつくこのアイデアで作られたゲームは殆ど思い浮かべることができません。理由は恐らく、この手のゲームは、現実とバーチャルの差異を最も嫌うものやからです。バーチャルと現実との区別がどこまで付かないかが、そのまま出来不出来の指標となってしまう。クリエーターの側に立てば、これほど大変なことはない。
 せやから、この「にゃんとワンダフル」(しかし、これほどプレイヤーに脱力感を抱かせるタイトルも今時珍しい)は勇気あるパイオニア。
 確かに出来はイマイチ。犬モードでも、猫モードでも、彼らの仕草はあまり変わらない。そいつが犬の格好をしているから犬、猫の格好だから猫って程度。よって、子犬みたいな子猫を我々は眺めることとなるって程度。
 けど、ついに賽(差異)は投げられた。このジャンル、これからどんどんリアルになって行く。行くしかない。

1996/10/16