ファイヤーエンブレム・紋章の謎(前)

 あらゆるメディアはそのメディア独自の表現方法を持っているが、独自とは時に限界をも意味する。よって、メディアはいつも別のメディアの自由さに憧れ、己の独自さの中でそれを活かしたいと切望する。
 ま、要するに隣の柿をうちの枝にも実らせたくなる心情やね。私なんぞもテレビゲーム的な自由さを小説の中で活かしたいと、いつも嫉妬しとります。
 テレビゲーム側の憧れを具現化しようとする試みの一つがマルチ・エンディング。プレイの進め方によってエンディングが違ってしまうというもの。つまり、個々のプレイヤーは己の選択によって好きなエンディングを迎えることができる。前々回の「クロノ〜」の売りの一つもこれ。「クロノ〜」はかなり早い時期から最後のボスとのバトルが可能。どの時点で勝つかで十二種類のエンディングが用意されている。
 とても自由に見えます。けれどそれは複数のエンディングがただ並んでいるだけで、思いもかけないエンディングなどとは残念ながら似て非なるもの。
 小説というメディアだとエンディングは一つなのだけれど、読み手それぞれがそのエンディングをどう解釈するかの自由さがあるのに比べてやはり窮屈なのね。その辺り、テレビゲームなるメディアの独自さと限界を踏まえてうまく処理しているのがこのソフト。

1995/06/07


ファイヤーエンブレム・紋章の謎 (後)

 このソフトは二部構成。第一部はファミコン版として既に発表されていて、スーファミ版はその第一部に第二部が追加された形。
 たぶん、その辺りをプレイヤーに納得してもらうための方策の一つが、バッド、ノーマル、パーフェクト、三つのエンディング。
 バッドは第一部第二部を通じて何種類かの宝物を集めないと、二四章まである第二部が二〇章で終わってしまうもの。ノーマルは二四章まで行けるもの。そしてパーフェクトは、四十数名のメンバーを一人も戦死させることなくクリアするもの。これは相当苛酷な条件です。けど、
 誰しもどうせやるならパーフェクトで終わりたい。ってことは結局みんなたった一つのエンディングを目指してプレイしてしまうわけ。あくまでも自分の意志で選択した苦難のエンディング、と思わせる辺りがうまい。 一人でも戦死するとただちにリセット。パーフェクトのためのそんな行為がいつしか、誰も死なせたくない、という情に変わる。せやかて、小説と違って死なす死なさないはプレイヤーが決めることができるのだから。しかも、登場キャラの細かな背景は小説ほどには描けないため、逆に一人一人への想像も逞しくなる。 よく考えられたシステム。 さて、パーフェクトエンディングはどんなものか? うー、ばらしたい。

1995/06/14