忘れ川をこえた子どもたち

マリア・グリーぺ

大久保貞子訳// 冨山房

           
         
         
         
         
         
         
    
 ガラス職人のアルべルトと妻のソフィアは、二人の小さな子どもと共に、貧しいながらも幸せに暮らしていました。でも時折、ソフィアはこんな風に思いました「彼はあたしよりガラスの方が好きなんだわ」。実際アルべルトは、仕 事に夢中になってろくに家に帰らないことも多いのです。ある晩遅く帰ってきたアルべルトは、ソフィアが「寂しい」と泣いているのに驚いて、言います。「だけど、子どもがいるじゃないか」ソフィアは思わず言い返し ます。「子どもなんか話し相手にならない。邪魔なだけよ」もちろんソフィアは、本心からそんな事を言ったのではありません。そして、やがて子どもたちが行方不明になってしまった時、この時の自分の言葉を激しく悔いるのですが…。
 「忘れ川をこえた子どもたち」は、国際アンデルセン賞を受賞したスウェーデンの作家マリア・グリーぺが描く、不思議な雰囲気の物語。物語の中には、未来を見通す占い師フラクサや、片目で善だけ、片 目で悪だけを見る不思議な大ガラス、邪悪な子守女ナナ等、並みはずれた能力を持つ者たちも登場します。でもこの本の面白い所は、大抵の人物が、どこにでもいそうな人に思える事なのです。
 うっかり「子どもは邪魔」と口走り後悔するソフィア。フラクサに「子どもに気をつけて」と言われたのに、時がたつにつれつい油断するアルべルト。その隙に幼い姉弟をさらった、「世界一美しく良い町を作りたい」と願っている「お人好し」の領主。領主は、妻が望むものはなんでも与えたいと執望し、「子どもがほしい」という妻の言葉に従ったのです。そして、無埋矢理願い事を言わされるのにうんざりし、本当の自分を夫にわかってほしがっている領主の妻。子どもたちがさらわれたのは、どこにでもありそうな夫婦の気持ち のすれ違いに巻き込まれてしまったからなのでした。でも、「悪」を見る方の目を失ってしまい、善しか見えなくなった片目の大ガラスは、鎮王の館で幼い姉弟を見つけだし、フラクサにこう報告するのです。「あの子たちのほかは、何も見えませんでしたあの館には、ほかには何もありませんでした」。
 善と悪の分かれ道を間違った方へ進んでしまうのは、ふとした一歩からのようです。そして、「悪の権化」ナナと「善の守り手」フラクサの最後の戦いの描写にも、考えさせられます…「二人は姉妹、共に自然の化身だった。戦いは荒野の捷に従う…強い方が勝つのだ、善悪と関係なしに」。北欧らしい、荒々しい力を感じさせる、骨太な物語です。(上村令
徳間書店 子どもの本だより「児童文学この一冊」1998/09,10