「楽園」の音楽・ロックとワールド・ミュージック

北中正和

筑摩書房 1990


           
         
         
         
         
         
         
     
 今回は北中正和のロック評論集。
 常に現在をみつめる姿勢がすがすがしい。とくに「グレイスランドを求めて・ロック以後」という章は読みごたえがある。七〇年以降なまなましいエネルギーを失っていったロックにとってワールド・ミュージック(アジア、アフリカなど非西欧圏の音楽)がカンフル剤になるのかどうかという問題を、様々のアーティストを追いながら追求した評論だ。「ワールド・ミュージックの多くは、西側『先進国』が残していった矛盾や痛みを引き受けざるをえない国々で生まれた表現だ。それだけに音楽がうまれた背景や歌詞の世界にも無関心ではいたくない」という指摘は痛い。
 「我的分析黄色魔術楽団加工貿易風覚書」の章も同じような立場からYMOの活動をさぐっていったもので、ここでもワールド・ミュージックがひとつの鍵になっている。(坂本龍一の「ビューティ」と細野晴臣の「オムニ・サイトシーイング」。どちらも最近買ったCDのなかでは抜群に楽しいので、ついでにここで勧めてしまおう) また「潔癖症の16ビート」は、白人社会からも黒人社会からもはみださざるを得なかったマイルス・デイヴィスを鮮やかに描きだした、短いながらも印象的なエッセイだ。 ロックの現在を語った好著!
  同じ作者による『サッド・カフェでコーヒーを』も読んでみてほしい。こちらも北中正和、本領発揮の一冊です。(金原瑞人

朝日新聞 ヤングアダルト招待席90/05/27