パウンペと鮭の口合戦

上西清治・作 貝原浩・画

風涛社

           
         
         
         
         
         
         
     
 アイヌの人々の存在をわざと無視する人が首相であるという事は実に腹立たしいことだ。また、「北海道旧土人保護法」という差別的な法律を、今も存続させているという事も、私たちは胸に刻みとめておかなければならない。これからなすべきことを考えるために。
ところで、私たちはア イヌの文化について何を知っているでしょうか。首相に憤ると同時に、私たち自身を省みることも忘れてはならないでしょう。
というわけで、今回はアイヌの人々に受けつがれてきた一つのものの見方をみごとに描いた絵本を紹介します。
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パウンぺたちは、カムイ・チップ(鮭)をとリに今日も川に出かけたが「最初の網は二尾、二網目は一尾、そして三網目はすっからかんの空網だった」あまりの不漁に天を見上げたとき、コタン (村)の守り神であるフクロウが、カムイ・チツプと大事なチャランケ( 口合戦)をするようパウンぺに告げて飛び去る。川に突き出し、天にそびえて立つチャランケ岩をやっと探しあてたパウンぺは、その頂上にカムイ・チップと向きあって立った。フクロウは「チャランケは勝負がつくまで、時間をきめずにおこなう」と宣言した。はじめにパウンぺが口を切った。「魚国の神様たちはがんこすぎます。ひもじいぼくたちのことは少しも考えてはくれません。(中略)このままでは飢え死にしてしまいます」。この雷い分に対して、カムイ・チップは静かに口を開いた。「魚国の神様は食べ物を粗末にすることをいちばんきらいます。 だから、わたしどもは肉を身につけて帰ると、天から突き落とされ、二度と魚国へはもどれません。(中略)人間によろこばれ、すべて食べつくしてもらったカムイ・チップは、美しい銀の魂となって、われさきに魚国めざしてのぼってゆく。そして、魚国で生命をよみがえらせてもらった彼らは、よろこびにあふれ、ふたたび人間のところにまいもどってくる」(このようなチャランケが11ぺージにわたって展開され、その間に、見開きの絵が10ぺージ分作品を豊かにする。この 絵がすごい迫力なのだ。)パウンぺはチャランケに負けた。だが、パウンぺはざばざばざばざば水しぶきをあげてコタンへ走っていく、「天からのざずかリものと心得て、手厚く食べれば、カムイ・チップはかならず溯ってくるぞ。」
この絵本に描かれている世界は、自然が人間に与えるものはすべてが神々の恵みであリ、生きるものすべてが神々の使者であリ、万物が平等の権利をもち、共存し合うと考えるアイヌ民族の自然観に貫かれています。例えば、カムイ・チップとは「神の魚」という意味ですし、エゾシマフクロウは、アイヌ(「人間」の意味)の村や国を守ってくれる、一番位の高いカムイ(神)です。また、チャランケの場をとりまく自然の描き方にも、この考えがはっきり現れています。
それから、「チャランケ」てすが、これは「談判・論争」という意味があリ、アイヌ民族に伝えられてきた「裁判」の一つのあり方でした。自分の主張が正しいと考える者は、対等の立場で共通の席につき、徹底的に論争するのです。エカシ(長老) が立会って双方の言い分を聞き、決裁する場合もあリますが、伝えられる ところでは、決着がつくまで寝食はもちろん、一滴の水も禁じて行われたそうです。命がけであったと言われます。私は解放運動における「糾弾」を思い浮かべました。こんなことを知ると、絵本の世界がよリ深く、より豊かに感じられます。次にあげる本は、おとなむきの本ですが、アイヌの人々の文化や考え方について知る参考になリます。
西浦宏己著『アイヌ、いま』(新泉社)三一○○円。
これは、半分が写真です。
結城庄司著「アイヌ宜言」(三一書房) 二ハ○○円。
これは、アイヌ解放同盟を組織した著者が「和人」に対してチャランケをいどんている本です。 (新開惟展)
解放新聞1987/01/05