翻訳と小説家のはざまで

天沼春樹

パロル7号1997/08/29

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 物を書く行為と、外国の人とはいえ赤の他人の文章を翻訳することとのあいだに、なにかちがいがあるとすれば、前者はたとえ金をもらわなくても、媒体がないとしても、おそらく一生涯やめはしない行為であると自分では思い決めている。つまりは、翻訳にしろ著述にしろ自己表現の手段にはちがいはないし、経済的行為をめざしておこなわれうる行為である。そのふたつにあえて違いをみいだせというならば、それくらいしかない。私個人の場合をいえば、十二歳の少年の頃から、ほとんど趣味的に物語や小説のできそこないを営々と書き続けていて子どものこととて、文壇やら出版やらという概念すらなかったころからの「習慣」なのである。おもえば、自涜(三島由紀夫風でやな語彙だけれど。一時は彼の文学にもかぶれていた)を始めたのとほぼ同時期からのつきあいだから、両者に相関関係がないともいいきれない。いや、まさにマスターべーションの極み(どれくらいのレベルかは知らないが)かも知れない。よくされる質問で、いちばん好きな作家はだれですかというのがあるが、あれほどばかにされたような気分になることはない。なにしろ、いちばん好きなのは自分の作品で、そういうも のを読みかつ味わいたいがためにまず筆をおろす(比喩としては解釈しないように)のである。二番目以下なら、泉鏡花とか梶井基次郎とか、リーリエンクローンとか、ホーフマンスタールとか、ボリス・ビアンとか、ウイリァム・バロゥズだとか、あっという間に一ダースほどあげてみせる。
 昔、ナルシソ・イエぺスというギタリストがいたと記憶しているが、こちらはさしずめナルシス・アマヌマではあるまいか。この原稿を書くのがいやなので、ながながと露悪的言説を、媒体の性質と想定される読者のことをもかえりみずに、まるでいやがらせそのものの前フリとし書きつづっていて恐縮だが、筆者はまずはそんな心境なのである。
 かように先天的作家志向少年だった私は、十代から二十代の始め頃の文章ときたら、芥川龍之介と太宰治と三島由紀夫と森鴎外と折口信夫の文体をミキサーにかけた、まるで昨今はやりの「青汁」みたいな文体を駆使しつづけていた。(先日、中野の商店街を歩いていたら「青汁スタンド」という、その青汁を立ちのみさせてくれる店があったけれど、本件に無関係なのでとくにふれるつもりはない)。
 なにしろ同人雑誌のオフセット印刷屋さんではもっていない活字ばかり何百と使っているのだ。大漢和辞典とかで検索しなくてはならない語彙が山のように用いられ、あの難解な大蔵経よりも難しいといわれた。(単に読む側に膨大な語彙力がないだけで、またそんな膨大な語彙を装飾的にちりばめるほうもどうかしていたが)その結果、私の作品の頁は漢字で真っ黒、漢字と漢字のあいだに、すこしだけつなぎの大和言葉が、擬古文調ではいっていたりする。(これもわからない)今では、たいへん読みやすい翻訳文体などと、一部でほめるとも、ばかにしてるとも思える批評のきかれる私の文体であるが、そのルーッには、私以外のものには、そして暫くしたら私自身にも理解できないような、文体があったのである。今懐かしくも恐ろしいその文体を再現してみせてやろうといたずら心をおこしてみたが、すでに時代は遠く、私の使用するマッキントッシュのへっぽこ漢字辞典なんぞでは、たったの一語も呼び出せないので、断念するが、もしも可能だったら、一大スキャンダルにもなりかねなかったことだろう。(もちろん九割は冗談だが)その難解な擬古文調、絢欄豪華な無意味の迷宮的文体に、自由平等 博愛的、近代市民的に洗練された平易さが加わるという、文化大革命が生じたのは、まさに「翻訳商品」を作らねばならなくなって、ある女性編集者と恋におちた結果ではなくて、格闘した結果、翻訳日本語進駐軍に、わが紫禁城が占領されてしまったことによる。
(1部公表できない階級闘争もあったが)翻訳文体養成ギブス(懐かしい!わかるひとはけっこうな年齢だね)をつけられた数ヵ月が終り、占領軍も引き上げ、残留基地もなくなったというのに、私の文体はもうもとにはもどらなくなってしまっていた。つまり、旧ソビエト軍の青年たちのように戦車でヨーロッパをドライブするよりも、スポーツカーでアウトバーンを制限速度なしでぶっとばしたほうがよほど快適だということに気がついたわけだった。そして、わたしも大人になって、他者との、とくに女性とのコミュケーションを重んずる年齢になってきて自慰識、いや自意識ばかりにこだわってもいられなくなったのかもしれない。そのきっかけとなったのが、他者としての外国文学であったわけである。だから、黒船来港、開国日本の夜明けの歴史にまなぶぺルリともいうべき「翻訳行為」こそがいまの私の文体をあらしめているのだと思う。文体とは、つまり人であるということはご存じだろうが。念のため。それから、私が翻訳調とよばれるあの種の文体をみにつけたということではないから誤読しないでほしい。よくわからなかったら、私の著書を一冊買ってみることだ。(天沼春樹)
パロル7号1997/08/29