ひみつの おくりもの

クラウス・コルドン

虎頭恵美子訳 さ・え・ら書房 1988

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 西ドイツの作家による一冊。これほどストレートに子供の気持ちが伝わってくる作品も珍しい。主人公ミヒの気持ちを追った書き方によるのは勿論だが、劇を見るように歯切れのよいストーリーと効果的なプロットに支えられたものである。
 ミヒは両親をなくし児童ホームで暮らす十才の少年。ミヒには友達がいない。誕生日に小さなナイフをくれたマリラだけがホームでミヒを好きなただ一人の女の子だ。ストーリーは八場面から成る。
 幕開けは衝撃的な盗みのシーン。ミヒは後で返すつもりでアンディーの五マルクを取り、みつかってしまう。二場目はローマン先生にわけを聞かれるミヒ。ミヒはどうしても話さない。五マルクは、ナイフのお返しにマリラに誕生日プレゼントを買うお金だった。三場目はパウルとの出会い。ミヒは、棧橋で釣りに来たパウルに声をかけられる。ミヒはパウルに五マルクの事件を打ち明ける。パウルはアンディーにわけを話し謝ることを約束に五マルク貸してくれる。四場目はいじめ。プレゼントを買って喜んで帰ったミヒだが、盗みの話が広まってアンディー達からは仲間外れにされ、頼みのマリラにもそっぽを向かれる。五場目はぬれぎぬ。プレゼントをおきにマリラの部屋に入ったミヒはローマン先生にみつかり、もう一つ盗みのぬれぎぬまで着せられる。六場目はホームを逃げ出したミヒ。七場目はパウルに助けを求めるミヒ。八場目は結末。パウルはミヒに付いてホームまで来て、ローマン先生に全ての事情を話してくれる。先生はぬれぎぬを着せたことをミヒに謝り、ミヒは勇気を出してアンディーに謝る決心をする。
 八場面のストーリーの場面場面からミヒの気持ちが溢れ出て読者の胸をさす。盗みに対する恐れ、女の子にプレゼントをするのを隠そうとする気持ち、絶望の涙。どれもその場面を代表するミヒの気持ちで無駄のないストーリーとミヒの気持ちがうまくとけあっている。
 一言が言えないためにどんどん窮地に追い込まれてしまうーーというプロット。「ナイフのお返しにマリラに誕生日のプレゼントを買うお金が欲しかった」と初めに言えていれば、ミヒはあんな辛い目に合わなくてすんだかもしれない。ずたずたに傷つくまで追い込まれていくミヒを前にして、読者はミヒの辛さや悲しさを感じると同時にはたで見ている悔しさも味わう。読者を二重に物語に引き込む効果的なプロットである。
 またこのプロットでは、読者の感じる悔しさは主人公をどこまで追い込むかにかかってくる。ショッキングなものでは、障害のある少女が追い詰められた末邪魔な相手を殴りその子が事故で死んでしまうというリン・ホールの『あたしだって友だちがほしい』がある。マリラにも先生にも見離され、「もうミヒのことをすきだと思う人がいなくなってしまった」というミヒの陥った窮地は十才の少年にとってはこれ以上ないほど耐えがたいもので、読む方の悔しさもひとしおである。
 主人公の陥った窮地がひどければひどいだけ、そこからの脱出が期待されそれが作品の出来を左右する。ミヒはパウルに助けを求め、パウルがミヒに付き添いローマン先生に事情を説明してくれる。子供の手に負えない程事態がこんがらがってしまった以上大人のパウルが手を貸すのは当然といえる。しかしパウルが全てを解決してしまうわけではない。アンディーに謝るのは自分一人でやると、ミヒは先生に告げる。ここに窮地を脱出しひとまわり大きくなったミヒの姿を見ることができる。納得のいく結末である。 孤児ミヒとミヒの気持ちを尊重しながらも「いやなことやつらいことも、乗りこえなくてはならないんだ。負けちゃだめだよ」と諭すパウルにルソーの『エミール』を思い出した。
  百頁に満たないミヒの物語は小さい本だが、ミヒの気持ちがぎっしり詰まったずしりと心に残る作品である。 (森恵子)
図書新聞 1988年9月10日