光草(ストラリスコ)

ロベルト・ピウミーニ
長野徹訳 小峰書店 1993/1998

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 イタリアの作品ですが、舞台はトルコになっています。
 マラティアという町に住んでいる絵描きのサクマット。ある日彼のもとに太守ガヌアンからの使者がやってくる。ガヌアンにはマドゥレールという息子がいるのですが、彼は光を浴びることができないという奇病におかされていて部屋を一歩もでることができず、窓の外を覗くことも、部屋に草花を飾ることもできません。そこでガヌアンは息子の部屋の壁に、彼が見ることが出来ない外の世界を描いてくれる絵描きを探していたのです。サクマットはそれを引き受けますが、自身が知っている風景を彼は描こうとはしません。そうではなく、マドゥレールがこれまで読んできた様々な物語から想像を膨らませた世界を、彼自身に語ってもらい、それを絵にしていきます。
 父親は、庇護され、受け身に生きていくしかない息子を哀れに思って絵描きを雇ったわけですが、それを裏返してサクマットは、たとえ外を見ることができなくても、想像力を引き出していくことで、少年が能動的生きられると信じているのですね。
 こうして、部屋の壁から天井まで、少年の想像力で世界が描かれていく。海、水平線の向こう側には、見えないけれどそこにも世界は広がっているに違いない。ある日サクマットは、水平線の辺りに小さな影を描きます。そしてそれが何かは自分にはわからないと言う。少年は考える。鳥だろうか? いや、違う。あれはきっと船だ。こっちに向かっているんだ。次の日、少年が目覚めると小さな影は少し大きくなっている。一日一日と大きくなり、近づいてくる。海賊船だ!
 こんな風にしてサクマットは、ただ風景を描くだけでなく、そこに時間も描いていき、少年は乗組員がどんな連中かをサクマットに話していく。また、少年は、床にも草原を描くように頼みます。日々伸びて行く草花。しかし、時間が描かれるということは、やがて季節が過ぎるに従って、草花は枯れ、人々も年老いていくことをも含んでいます。次第に病が重くなり死が近づいて来ている少年に沿うように、絵は変化する。
 物語は少年の死まで語っていきますが、そこに、哀れさや悲しみは微塵もありません。それは少年が命を目一杯生ききったのを、私たちが知っているからです。
 タイトル「光草」の意味は、秘密にしておきますね。(ひこ・田中)
げきじょう1999年春