ヒルクレス卜の娘たち

R.E.ハリス作
脇 明子訳 岩波書店 1986/1990

           
         
         
         
         
         
         
    
 一九一○年、イギリスの南西部に住むパーセル家の夫人が、四人の娘たちをのこして突如病死するところから物語は始まる。身寄りのない孤独な寡婦であった夫人は、死の間際に、隣家のマッケンジー牧師夫婦に娘たちの行く末を託する。娘たちは、上からフランセス一七歳、ジュリア一五歳、グゥェン一二歳、セーラ七歳……。それぞれに個性的な彼女たちがこの突然の事態にどう対処し、どのようにその後の人生を築いていくかを描いたのが、この未完の連作「ヒルクレストの娘たち」である。

それぞれの視点から

 全部で五巻になるとも六巻になるとも言われるこの長い物語の最大の特徴は、第一巻『丘の家のセーラ』、第二巻『フランセスの青春』、第三巻『海を渡るジュリア』という邦題が示すように、各巻それぞれ別の少女を主人公にしながら、どの巻も一九一○年代から二○年代という同じ時代を扱っている点にある。つまリ、四姉妹をめぐる十数年の歳月が、四人それぞれの視点から四度(あるいは五度、六度?)検討し直されるのである。
 たとえば、第一巻でセーラの目には不可解に映ったフランセスの行動が、第二巻でははっきリと筋の通ったものとして読者の前に明らかにされたかと思えば、第三巻ではジュリアによって手厳しく批判される。また、その批判には、威圧的な姉に対する妹ゆえの反発心が混じっているのだが、この年の近い妹を心底頼りにしているフランセスはそのことに全く理解がなく、一方、ジュリアもまた姉の本当の気持ちに気づいていない-というような姉妹それぞれの思いと、そこから生じる小さなすれ違いの積み重ねが、しだいに物語をふくらませていく。そして巻を追うごとに読者の中には、フランセスの、ジュリアの、セーラの、より立体的な人物像が刻まれていくことになる。

家庭小説として、恋愛小説として

 しかしながら、物語はパーセル家の姉妹たちだけを追いかけているわけではなく、彼女たちの後見となったマッケンジ一家の人々についても多くの頁が費やされている.古い屋敷に四人だけで取リ残された貧しいパ-セル姉妹と、物心ともに恵まれたマッヶンジー家の牧師夫婦と三男一女の子どもたちは、あるときは一つの家族のように溶け合い、またあるときは互いの間に一定の距離をおきながら、第一次世界大戦をはさんだイギリスの激動期を共に駆け抜けることになる。必然的にそこには、親子を、きょうだいを、家族をめぐるさまざまな問題が提示されることにもなる。
 そして、フランセスがマッケンジー家の長男ガブリェルと、ジュリアが次男ジョフリーと恋に落ち、さらに幼いセーラが、片恋を承知でガブリエルに密かな想いを寄せるに及んで、この物語は恋愛小説の要素を色濃く帯びるようになる。フランセスとガブリエルの恋は、自我の強い者同士が互いにぶつかリ合い、傷つけ合う恋である。一方、ジュリアとジョフリーの恋は、優秀な兄・姉の影に隠れた者同士が互いに慰め合い、いたわリ合う恋である。結果、フランセスの恋は成就し、ジュリアの恋はジョフリーの戦死によって途絶するが、その過程で、これらの恋の物語は、その背景にあるそれぞれの家族の物語をもあぶり出さずにはおかない。ジュリアの恋の途絶は、ガブリエルとジョフリーの兄弟関係が破綻したままで終わったことをも意味しているのだ。
 もっとも「マッケンジー兄弟のあいだには、パーセル家の四姉妹のあいだにあるような仲間意識はなかった」という前提に立つこの物語には、二人が理解し合う可能性は最初からなかったのかもしれない。一方「ジュリアとフランセスは、ジョフリーとガブリエルの場合とは全然違う深いつながりを持っていた」。それは彼女たちが孤児ゆえに固く結束していたためでもあり、若い女として同じ問題に直面していたためでもある。 

キャリアと家庭と

パ-セル家の四姉妹は、いずれもオ能ある少女として物語に登場する。上の三人は画家志望であった母の資質をそれぞれに受け継ぎ、ひとリ画才に恵まれなかったセーラはそのかわリに頭脳明噺、やがてオックスフォ-ド大学進学を目指すようになる。とはいえ、与えられた才能は当然のことながら均等ではなく、十代にして早くも職業画家としての将来を確立したフランセスに対し、ジュリアとグウェンは気後れを感じずにはいられない。やがて、フランセスは仕事、セーラは勉強、ジュリアとグウェンは家事、という役割分担が四人の間に定着することになる。
 だが、心の奥底ではジュリアも(そしておそらくグウェンも)絵筆への執着を断ちきれないでいた。一方、キャリアと家庭は両立しないという信念のもと、ガブリエルの求婚を拒絶し続けていたフランセスもまた、仕事に徹しきれない自分に苛立ちを覚えていた。この、現代にも通じる古くて新しい女の問題がフランセスとジュリアを結ぶ無意識の絆となり、さらに戦火の中、恋人の生死を見守るという共通の体験をへて、二人の意識は自ずと同じ方向へ向かっていく。
 そして、グウェンとセーラはこの女の問題をどう解決していくのか-続巻の刊行が待たれてならない。(横川寿美子)
「児童文学の魅力・いま読む100冊・海外編」日本児童文学者協会編 ぶんけい 1995.05.10