はがぬけたときこうさぎは

ルーシー・ベイト/文 ディアン・ド・グロート/絵
河津千代/訳 アリス館 1979

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 こういう絵本を見ると、世の中変わったねえ、ホントにねえ……とつくづく思います。
 だってさ、この本で歯が抜けてしまったこうさぎは、まくらの下に入れておけばフェアリーさんがきて歯の代わりにプレゼントをおいていくのよ、というお母さんのセリフに、あたし、フェアリーさんなんていないとおもってるから……と答えるのよ。
 え〜、可愛くない!なんていわないで。
 だってフェアリーなんて、ほんとにいないんですからねっ(いると思ってる?)。
 空想を豊かに楽しむことと、安易な子どもだましとは違うんです。このおしゃまな子うさぎは、もうそのことをちゃーんと知っているんです。
 だから自分なりの空想を楽しむんだけどさ、抜けた歯がどこへいくかってね―。
 でも、そのあとでちゃんと「フェアリーのこと、本当にいるって思ってるって、お母さんにいっておいてね」ってお父さんに念押しするのよ。フェアリーがお金をおいておくのをわすれないように―。
 この三人の微妙な会話のうまいこと!
 知的で洒落てるってのはこういうことをいうんだよね。なにも親子でエルメスのおそろいのスカーフをすることじゃないんだよね〜。ブランドもののペアルック、着ることでもなんでもないんですよね〜。他人のことだから、べつに、いいですけど。
 おまけに文章に負けず劣らず、絵が語ることも洒落ていて知的で(このフェアリーの絵なんか凄い、の一語に尽きます)まさにこの親にしてこの子ありってカンジです。(赤木かん子
『絵本・子どもの本 総解説』(第四版 自由国民社 2000)
テキストファイル化藤井みさ