ふたりのロッテ

エーリッヒ・ケストナー作

高橋健二訳 岩波書店 1949/1962


           
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
     
偶然出会ったロッテとルィーゼは、顔がそっくり。自分たちが実は双子であり、親が離婚したために離れ離れになっていたことを知る。二人は互いを入れ替える。けれど性格が正反対なので、戻ってきた子どもの様変わりに親はびっくりし、トンチンカンな出来事がたくさん起こる。
実にシンプルで楽しい物語。
注目すべきは、両親の離婚を素材に使用している点ですね。この物語、四九年作。児童文学の素材として離婚がほぼ認知されるのは六〇年代後半ごろからですから、何とも早い。昔でも両親の離婚を経験した子どもは沢山いたはずですが、そんな話題は児童文学において一種のタブーでした。
何故なら、基本的には恋愛結婚支持派の児童文学。この恋愛の延長線上、愛の結晶として子どもが生まれ、夫は外労働に従事し、妻は家事と育児に勤しむことで家族を成立させるというモデルは、近代の中産階級から発生し、やがて私のような下々にまで伝播していくのですが、児童文学は正にこの家族に所属する子どもたちを主たるターゲットとしていたので、両親の愛が破綻する可能性があることを示唆するのは、いかがなものか? だったわけ(制服を廃止したって中学生全部が不良になるわけがないように、これは杞憂であったのは今日明らかなんですが)。
だから、親を失うといった設定で物語を動かしたいとき、よく採用されていたのは死別です。ほら、この物語の両親だって、ロッテたちに片親とは死別したのだと嘘をついているでしょ。その意味でこの物語は、死別から生別への過渡期のものだとも言えます。
ラスト、ルィーゼだと偽って父親の元に行ったロッテは、父親が再婚しようとしているのを知り病気となる。母親はルィーゼを連れて父親の元に。子どもたちの願いに沿って、二人はもう一度やり直そうと決心する。
壊れたはずの愛が、子どもたちの無垢の力によって復活する。つまり、子どもの無垢性がまだ信奉されていた時代、五十年近くたった現在とは別の感性が息づいていた時代の物語です。
もっともこれは、分断された東西ドイツへの作者の想いを引き離された双子に託しているのかもしれません。(ひこ・田中

 「子どもの本だより」(徳間書店)1996年1,2月号