ふしぎをのせたアリエル号

リチャード・ケネディ

中川千尋訳・絵 福武書店 1990

           
         
         
         
         
         
         
         
    
  ファンタジーの作品が少ない今日、アメリカの作家によるすてきな作品に出会った。六五O頁とひどく厚い本なのだが、まわりを物語の人形や動物がかこみ中心に帆船を描いた夢見るようなカバー絵をはじめとして、中にはファンタジーの要素が宝石のようにぎっしりつまっている。人形あり、海の冒険あり、マザー・グースあり、聖書ありなのだ。
 物語は大きく三つに分かれる。キャプテンがアリエル号の船長になるまでと、アリエル号の船出と、宝さがしの冒険の旅だ。
 エイミイとキャプテンは同じ日に生まれたふたごだ。といってもキャプテンは船長の人形で、仕立屋だったエイミイのお父さんが縫いあげたものだ。お父さんはエイミイとキャプテンを聖アンナこどもの家にあづけて海にむかう。エイミイが十歳のとき、エイミイの大切なキャプテンは小さな人間になる。キャプテンはかならずむかえにくるからと、こどもの家を去る。しかし、キャプテンはなかなかもどらず、悲しみのあまりこんどはエイミイが人形になってしまう。やっともどってきたキャプテンはアリエル号という帆船の船長になっていた。
 キャプテンは人形のエイミイをつれ、海賊カウフの宝をさがしに海にでかける。アリエル号の乗組員はキャプテンのほかには、クラウド航海士とこれも人形から人間になったステテコの二人だけ。ただでさえキャプテンやステテコについてへんなうわさがたっていたうえに、前の船長の妹だというオニババが乗りこんだので、水夫が集まらないのだ。しかたなく、キャプテンは人形を人間にして水夫にすればいいと考えて、ステテコに買いにいかせる。でも、手に入ったのはぬいぐるみの動物ばかりだった。
 黄金の宝をさがしに船出したアリエル号には、危険がいっぱいだ。イナゴ号という海賊船に追いかけられ、船内にはあやしげなオニババや、謎のずきんのひとかげはいるし、陰謀をたくらむデイビー・アヒルもいる。ついに、キャプテンはカウフの海賊船の生き残りというゴールデンマンから宝を手にいれるが、そこでイナゴ号と戦いになる。激しい戦いでキャプテンは死ぬ。再び人間にもどったのにエイミイはまたひとりぼっちかというとそうではない。ゴールデンマンは行方不明だったエイミイのお父さんだったのだ。
 宝さがしの冒険を軸としたアリエル号の物語は、マザー・グースと聖書が織りこまれた人形物語でもある。まず、よく考えたなと思うのは、人形が人間になる方法だ。まごころをこめて本を読んでやり、針でひとつきすると人形は命を得るのだ。キャプテンやぬいぐるみの動物たちは、マザー・グースを、ステテコは聖書を読んでもらって生きた人間や動物になる。また、人の心がはるか遠くをさまよい歩くのと同じに、物語では人形の目や耳は体からはなれてもその働きをする。人形のエイミイの目をビンにいれて海底にしずめ、黄金をさがすエピソードはユニークだ。 マザー・グースは各章の最初にもひとつずつ使われているが、人形に命をふきこむ方法としての使い方が抜群にうまいと思う。なかでも、デイビー・アヒルのエピソードは生きている。デイビーは、マザー・グースの詩から、「船長はアヒル」でなければならないと思いこみ、「二十四」ひきの手下用のぬいぐるみのアヒルも作って陰謀を企てる。
 聖書も物語の筋に大きくかかわっている。聖書を読んでもらって人間になったステテコは、信じている聖書から黄金さがしの航海の真実をときあかそうとする。イナゴ号、海賊金鼻、火山、ゴールデンマンーー数を使って真理をつかむニュメラロジイの助けをかりて、ステテコはこの航海が世界の終末を描いた黙示録と関係があると思いこむ。 
英米の文学の原点である聖書とマザー・グースを見事に生かしたアリエル号は、世界八カ国で翻訳出版され、大人も子どもも楽しめる作品と高い評価をうけている。物語にはシェイクスピアもかくされているという。シェイクスピアをさがしてみませんか。(森恵子)
図書新聞 1991年1月1日