ブラネックさんにご注意!

Ch・ネストリンガー

上田真而子訳 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 教育の荒廃が叫ばれ始めてから久しい。校内暴力や家庭内暴力は、一時よりは沈静化してきたものの、陰湿ないじめや非行は、残念ながら、子供の世界にはまだまだ存在する。一方、あるいはそのために、学校の生徒管理は強まる一方で、校則の名のもとに、生徒の髪型から服装・持ち物まで規制し、違反した生徒は注意を受ける。こうした管理教育が生み出すものは、主体性のない、画一化された、没個性的な人間ではあるまいか。一九七四年オーストリア児童図書賞受賞作「ブラネックさんにご注意!」は、まさに、こうした画一的な管理教育や、それを許容する社会風潮への警鐘である。
ギムナジウム(日本の小学校五年から高校にあたる期間を一貫して学ぶ学校)の数学教師のブラネック氏は、チビで、ハゲで、声も小さく、話すときに変な音をさせるために、子供達から、からかわれてばかりいた。ある日、子供達から受けた手酷い悪戯が原因で、神経発作におそわれ、その後、半年間寝たきりとなってしまう。回復後、一旦復職するが、子供を見るとぶるぶる震え出す後遺症が治らず退職する。もともと数学博士であった彼は、その後自分の部屋に籠もり切り、研究に没頭する。そして遂に自動生徒矯正機(生矯機)を発明する。生矯機とは、子供のウソや仮病を見抜き、大人が子供を自由自在に操れる、子供改造コンピューターである。彼はそれを、教師が授業をする際の補助道具として、文部省に売り込もうとする。その動きをいち早くキャッチした主人公の少女レオノーレは、同じ団地内の子供達と力を合わせて、それを阻止しようと奮闘する。 
物語のプロットは、レオノーレ達がブラネック氏の部屋から苦労して持ち出した文部書提出用の生矯機の説明書を、その後あえなく何者かに盗まれ、その犯人探しを中心に展開する。大人には内緒で、子供達だけの力で犯人を追跡しようとするあたりは「名探偵カッレくん」並みのスリルと気迫に満ちている。作品は、このメイン・プロットに、厳しい母親の監視や、学校や食事時間などの拘束のために、犯人追跡がままならなぬ子供ならではの苦労と障害、その中で行われる様々なブラネック氏への書類作成妨害工作、特に彼の部屋に潜入させた白ネズミが引き起こす予想外のハプニングなどの、いくつかのユーモラスなサブ・プロットを絡めて変化をつけ、読む人を最後まで楽しませる。 
登場人物は扁平で、タイプとしてしか描かれていない。子供の扱いが苦手で、子供を大人の思うままに操りたいと願うブラネック氏。娘を愛してはいるが、理解しておらず、社会通念に捕らわれている厳しい母親。娘の気持ちを理解はしているが、子供の教育は母親まかせで、家庭内では存在感の薄い父親。そして正義感に満ち、勇気と実行力はあるが、まだまだ未熟な少女レオノーレ。しかし翻ってみると、これらのタイプの人間は、私を含めて我々の周囲には、ごく日常的に存在するのではあるまいか。我々が自分の姿を鏡に映してみると、かくも滑稽に映るのか、と思わせる人物たちである。 
この作品が、その成立後十年以上を経た今、なぜ日本で訳され出版されたのか。それは既述の通り、この作品が、現代の日本でともすると強まる、個性を抹殺し人間性を脅かす管理教育に我々は常に目を光らせていなければならないことを想い出させてくれるからだ。さらにこの作品は、そのテーマ以上のことをも語っている。ブラネック氏はなぜ生矯機を発明せずにはいられなかったのか。それは、彼がチビで、ハゲで、声が小さいため、子供達から馬鹿にされ、子供恐怖症に陥ったからだ。チビやハゲなどの本人の努力ではどうにもならないことを理由に相手をからかうのは、いじめ以外の何者でもない。生矯機を拒否する子供達の反応は正しく健全だ。しかし生矯機が生まれる背景には、子供達のブラネック氏に対する執拗ないじめがあったからだということに彼らは気付いていない。また作品中の大人達もそれを、子供達に気付かせてはいない。私はここにも、日本に共通する教育上の問題点、即ち人格教育の遅れを見るのだ。そしてその背景には学歴・偏差値偏重の社会風潮があることを思うのだ。いじめの原因は、人格形成の欠如だけではない。 管理教育を引き起こす要因も、いじめや暴力だけではない。現在の日本の教育界が抱えている問題は、それほど単純ではなかろう。しかしその一端を垣間見せるこの作品が邦訳された意味は大きい。そして時代を先取りしてこの作品を書いた作者の才気には驚嘆するばかりだ。 
作品はこの他、外国人労働者に対する差別と偏見にも触れている。日本にも外国人労働者が多い昨今、その問題をも含めて、大人も子供も考えるべき問題を、ユーモラスな中にも多く含んだ作品である。さすが各種児童図書賞を次々と受賞している作家の作品である。(南部英子)

図書新聞 1988/04/16
テキストファイル化 妹尾良子