ぼくのひみつの庭

C.R.ブラ

谷口由美子訳 文研出版 1989


           
         
         
         
         
         
         
         
    
 ピッカピカの一年生が期待と不安に胸をはずませながら学校の門をくぐる季節となった。一年生はまわりがみんな新しい友だちだからいいが、たった一人で新しい仲間の中へ入っていく転校生の場合その不安は大変なものだろう。作者のクライド・ロバート・ブラはこう言っている。「ぼくは子どものころ、新しい環境になかなかなれなくて、困ったことがあります。この話は、新しい学校に行って、まわりの友だちとうまくいかない少年が、どうやってその状況からぬけだそうとしたかを書いたものです。ぼくはグレゴリーに、ぼくがずっとほしいとおもっていたものをあたえました。それは、なんでもすきなだけ絵がかける、広い大きなかべのキャンバスです。」
 グレゴリーの九歳の誕生日の日、グレゴリーの一家は引っ越しをする。初めて新しい学校へ行ったとき、グレゴリーはみんなの前で前の学校のほうが大きな学校だと言ってしまいクラスの仲間の反感をかう。グレゴリーにはなかなか友だちができない。さびしさからグレゴリーは一人でゆっくり落ち着ける自分の場所をさがす。グレゴリーがみつけた自分の場所は、家のうらのチョーク工場の焼けあとだった。焼けあとは三方に黒こげの壁が残っていて、絵の好きなグレゴリーはチョークで壁に絵を描く。
 学校に植物の苗を育てているヒラーさんがやってきて、自分の庭を作りたい人に植物の苗と種を配ることになる。グレゴリーも庭を作りたいと思うが、コンクリートだらけの家のまわりには庭を作る場所はない。グレゴリーは焼けあとの壁にチョークで野菜を書きこんでいく。三方の壁に花や草や木をびっしり描いたグレゴリーの庭ができあがる。夢中になったグレゴリーは庭のことを先生に話す。庭を見にきた友だちは、なにもないのにグレゴリーがいばっていただけだと言って帰る。窮地に立たされたグレゴリーだが、アイビーのおかげで庭はみんなに認められ友だちもグレゴリーを受けいれる。
 ブラはなんでもすきなだけ絵がかける広い大きな壁のキャンバスをグレゴリーに与えたが、このキャンバスはグレゴリーが新しい学校にとけこむのにどう役立ったのだろうか?
 ひとつは、なかなか友だちができないグレゴリーが好きな絵を描いてさびしい気持ちをまぎらわせるという点だ。もうひとつは、壁のキャンバスにグレゴリーが自分の庭を作ったことだ。
 ブラはグレゴリーに自分の才能を思いきり発揮させる場を与えたわけだが、友だちをつくることに関しては壁のキャンバスは逆の効果をもたらす危険性ももっていた。庭もないのにいばっていたと友だちに言われ大好物のデザートものどを通らないほど悩むグレゴリーの姿が、ますます友だちからいじめられる可能性があることを暗示している。グレゴリーと同じに着物を絵に描いた少女の物語エリナー・エステスの『百まいのきもの』では、着物を百枚もっていると言った貧しい移民の少女は友だちからずっとからかわれることになる。いじめからグレゴリーを救ったのは、絵の好きな少女アイビーの存在だ。絵が上手なグレゴリーに好意をもったアイビーはグレゴリーの素晴らしい庭のことを先生に話してくれる。庭が認められてクラスの仲間とうまくいくようになったグレゴリーだが、一番うれしかったのはアイビーと仲良くなれたことだ。本書を読んだ子どもが「アイビーがいてよかったね。」と言ったが、アイビーは壁のキャンバスと友だちとの仲をつなぐ重要なポイントだ。・ 壁のキャンバスと共にもうひとつブラが大事にしたのは、グレゴリーが気持ちを落ち着けられる自分の場所だ。始めそ れは新しい家のグレゴリーの部屋だったが、部屋をおじさんと共同で使うことになった後はキャンバスのある焼けあととなる。小さな子どもでも自分の場所は必要なのだ。
 小学校でも陰湿ないじめが多い現在、子どもの心をしっかりつかんだアメリカの児童文学作家ブラのこの作品は、歯切れのいい文章とも相俟ってさわやかな印象をのこすだろう。(森恵子)
図書新聞 1989年5月20日