ぼっこ

富安 陽子・作
偕成社 1998.6

           
         
         
         
         
         
         
     
 東北地方のものが有名だが各地に類話が伝わっている「座敷わらし」は「ぼっこ」とも呼ばれる。古い家に棲み、家を守るというこの妖怪が今の世に現れたとしたら?
 しげるが小五の春、父方の祖母が死んだ時、古い家の座敷に一人でいるとぼっこが現れた。開衿シャツに半ズボン姿のその男の子は「心配すな。オレがついとる」といったのだ。ぼっこが予言したとおり、しげる一家は東京からこの田舎の家に移り住む。
 転校生のしげるが東京弁をからかわれてイジメにあったり、トラブルに巻き込まれるとぼっこが現れ、救けてくれる。ぼっこはしげるにしか見えないのだ。虫好きのクラスメイトの一人が山で崖から落ちて重体になった時も、ぼっこはしげるを案内してやまん婆と交渉し、その子の命をとり戻すのを手助けしてくれる。しげるがすこしづつ学校や地域になじんでいくとぼっこは現れなくなる。
 みんなが一丸となった運動会が終わった秋、ぼっこによく似たいとこの昌一と祖父から聞いたという天狗に会いに山に入ったしげるは確かに天狗の気配を感じ、松茸の贈り物を受けとったが、あれは昌一だったのか、ぼっこだったのか。それ以来しげるはぼっこに会わない。
 桜やケヤキの下に現れ、沼の主ややまん婆や天狗といったものの怪たち(人々の自然への畏怖を物語る俗神たち)との出会いを通じてしげるに生命の神秘さや自然の不思議さを体験させるぼっこ。祖父、父、昌一、しげるとも似ているぼっこは家神というより、世代間に継承される生命の象徴とも見える。
 高一になったしげるの家は建て変わり、田舎はニュータウンになったがぼっこは彼の胸の座敷に棲んでいる。昔話の意味が語られ、人工的な住宅地の子どもへの心理的影響が問われる今、一見のどかで現実離れしたこの物語が、現代的な光を帯びて見えてはこないだろうか。(高田 功子
読書会てつぼう:発行 1999/01/28