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7「全滅して、それが何になりましょう。われわれは生きなくてはなりません。生きて、忍んで、働く。それが国のためです」 「なに! なに! なに!」と周囲の日本兵が叫びました。 「国のためだと? なまいきをいうな。降参することが国のためか!」 これは三角山にたてこもった日本兵と、それに降服をすすめに行った水島上等兵との会話の一部分だが、いずれも自己主張の根拠を「国のため」ということにおいている。もちろん、祖国防衛意識があればこそ戦闘に参加したのであろうし、祖国を愛するが故に降服の説得もなされたのであろうが、もし、祖国愛が兵士の中軸となる寄りどころであるならば「多くの罪なき人々が無意味な犠牲者となりました」という水島の手紙の一句は、どうなるのだろう。「国の犠牲」となったということなのか。国につくすことは無意味な行為であったということなのだろうか。いや、それよりも、およそ日本の軍隊は、世々、天皇の統率したまうところにして-という「軍人勅諭」はどうして、この兵士たちの寄りどころとして一度も姿をあらわさなかったのだろう。 第一部「うたう部隊」は、まだ敗戦以前の戦闘集団としての日本軍を描いているのにかれらは「軍人勅諭」をとなえない。「秋の月」「からたちの花」「はにゅうの宿」を歌うばかりである。かれらは「天皇の軍隊」として描きだされるかわりに「国のために戦う」軍隊として描かれることにより、現実の兵士であることより理想の兵士-倫理的理念を提示するための布石となっている。これは、「当時のアメリカ占領軍の検閲が、戦争のことが書いてあるという理由で発表を許さなかったので、折衝の末」云々という中村光夫の解説にあるとおり、占領政策に起因するのかもしれないし、また、「作者がある志を想像の力で形象化した」(同・解説)ということであるかも知れない。しかし、志を語るといい、占領政策の圧力があるといい、もし「天皇の軍隊」であることが書きこめないものとするならば、どうして、それにかわるもの-戦争にかりたて、無意味な死に人々を追いやるその寄りどころ-国家の原罪を明示しなかったのだろう。 「ビルマの竪琴」をネガティブに評価しなければならない第一の点は、この「国」を不動軸に設定しているところにある。 「どんなに世の中が乱脈になったように見えても、このように人目につかないところで黙々と働いている人はいます。こういう人こそ、本当の国民なのではないでしょうか。こういう人の数が多ければ国は興り、それがすくなければ立ち直ることはできないのではないでしょうか」 「われわれの祖国はいまみじめな姿になっていて、日本人ですらがあらそって悪ざまにののしり、そしっているが、一たい、それほどまでにただ見すてていいものなのでしょうか。みなが力を合わせて犯した罪は償って、たて直そうとする愛情をもつ気はおこらないものでしょうか。われわれはなげきました。あの水島すらが、国に帰ってくるしいところをたえていこうという気はなく、それよりも異国に坊さんになって楽にくらしていたいのだろうか」 国家は、戦い、敗れ、なおそこにわれわれを許容する不変の指標となって提示されている。戦争は「みなが力を合わせて犯した罪」であり、国家そのものの罪ではない。祖国をみじめにしたのは、われわれである。われわれが興隆する。こういうと、第三部「僧の手紙」の末尾、「わが国は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。それはむだな欲をだしたからです」を指摘して、いや、国家エゴイズムは、それなりに触れてある。国家の罪は不問に付されているのではない-という反駁を受けるかもしれない。しかし、その手紙のことばの、そのすぐ後に「人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです」という一句のあることは、注視する必要があるだろう。国家、それはイコール、われわれ個々人の態度に還元されているのである。このことは、すなわち、国家構造を不問に付すことにより、一切の責任を、われわれ自身の欲望にすりかえることに他ならない。天皇制をはじめとする国家機構の戦争責任を、日本人一般、人間の問題としているこの点に第二のネガティブな評価の根拠がある。 なお、この点に付け加えて言うならば、一体、第二次世界大戦はわれわれの「犯した罪」なのか-ということである。上山春平はその「大東亜戦争の意味」の中で「大東亜戦争史観にしても、太平洋戦争史観にしても、帝国主義戦争史観にしても、抗日戦争史観にしても、いずれも、大日本帝国とかアメリカ合衆国とか、ソヴィエト社会主義共和国連邦とか中華人民共和国といった国家権力とむすびついている」と記すことにより、それが「普遍的な歴史認識の尺度」とも「絶対的倫理的価値」を持ち得ない相対的なものであることを指摘したが、右の「犯した罪」意識は、この国家エゴイズムを無視した一方的加害意識である。およそ「家を離れ、職場を去り、学窓を出て、とおい異国にその骨をさらし」たのは、われわれの父や兄の自発的行動ではない。被害者でこそあれ、加害者となり得る性格のものではない。にもかかわらず、右の意識は、被害者である水島上等兵を、一種の加害者の位置にすえたのである。 「食糧不足もひどくて、自分のからだをはこぶ力もなくなった人が、戦友の隙をみて手榴弾で自爆する音がよくきこえた。敗走する軍のすぎた後では、野でも森でも、よくそうした爆音があがった。そのたびごとに、原住民までが、ああ、またジバクか、と思った。記されず、語られず、ただ忘られてゆくこのようなことが、どれほど多くあったことでしょう。このような私が見聞したことを、もし人々が知ったら、誰がじっと坐っていることができましょう。誰が他人のことだからとて、自分の心にとがめなく、しらぬ顔をしていることができましょう」 水島は、この責任をわが身一つに受けて、ビルマに残ることにした。作者によって、ビルマに残されることになった。これは戦争の被害者による被害者への責任である。しかも、水島は隊長でもなく、その上司でもない。また権力の発動者でもなく、戦争遂行の協力者でもない。一介の上等兵として、死と破壊の責任者、自発的責任者として位置づけられるのである。このことは、戦争責任を個人に還元することであるとともに、この作品の第三の否定面となる点である。 第四は、この責任の取り方にある。 「私は僧として修行しながら知りました。むかしからこの教えは世界と人生についておどろくべく深い思索をつづけています。そして、この教えに献身する人々は、真理をつかむために勇猛心をふるいおこして、あらゆる難行苦行をもあえてしています。(中略)われわれはこうした努力をあまりにしなさすぎました。こうした方面に大切なことがあるということすら考えないでいました。われわれが重んじたのは、ただ、その人が何ができるかという能力ばかりで、その人がどういう人であるか、また、世界に対して人生に対して、どこまでふかい態度をとって生きているか、ということではありませんでした」 戦争との対決が、このことばで解るとおり、「自己との対決」にすりかえられていることである。日本、アメリカ、そうした国家権力や利害に対決するかわりに、「世界」「人生」という一般的抽象的なものに対決する姿勢をみせていることである。このことは、死と破壊を、また、戦争そのものを、個人の内面的問題として処理することを意味する。 そもそも、倫理的問題として「戦争」を把握した、これは一つの必然的帰結でもある。 作者は、おそらく誠実であったに違いない。誠実であればこそ、死と破壊への哀悼があり、一切の責任を上司や権力発動者に転嫁することで済ますことが出来ず、自らの中に受けとめ、水島上等兵に移植したに違いない。このことは、戦後の精神的混乱や虚脱の中にある人間に対して、自立性を教示し、感動を与え、一つの寄り所となったには違いない。しかし、同時に、作者が自ら国家そのものとの対決を水島上等兵の内面での自己対決におきかえたように読者に一つの錯覚を与えたことにはならなかったか。すなわち、水島上等兵の言動に感動し、共鳴し、同化しようということが、そのまま、ヒューマニズムであり、戦争を憎み、平和を祈念し、意志することになるのだという-。 わたしは、この作品が、日本の仏教徒の中で、紙芝居となり幻燈となり、ひろく受け入れられているという話を聞いている。そしてその許容の根拠は、水島を通して仏教の本義が生かされているということらしいが、そこには、右にあげた錯覚があるような気がしてならない。本来の人間の生活とは、近代化することでもなく、国家利害の対立に口をはさむことでもなく自らを律するところにあるということ。それこそ「戦争に反対し平和に生きる」ことだというそうした読みとり方があるような気がしてならない。戦争における個人の道義的責任を問うことが、戦争との対決である-という個人の見解はまだ良いとして、そうした対決の仕方をした物語の主人公に共感することで「戦争との対決」と錯誤することの危険性は、おそろしいような気もする。 水島上等兵は、自ら一人、ビルマに残ったのである。隊長をも、戦友をもまきこまなかったのである。それは唯一絶対のものとして他者に押しつけられていない。少なくとも、押しつけねばならぬものとして、提示されてはいない。この点は、右のような錯誤者の一考すべき点であろう。 8「ビルマの竪琴」は、児童文学の「戦後」における不幸な代表作品である。不幸な-と言うことは、児童文学の戦後において、これを「収穫」と規定することによって、それ以上のものを創り出し得なかった日本児童文学の不幸でもある。戦後の到来を、そのまま「バランス・オブ・パワー」の時代の到来と把握し得ず、自立的な自主的な国家再建のグルンドが与えられたものとして受けとめ、民主主義啓蒙家の位置に中心をすえることにより、「戦争」との対決を正面からやらなかった点にこの作品の価値がクローズ・アップされている。もちろん、「ビルマの竪琴」それ自体が持っている資質によるものだとは考えられるが、より大きく、児童文学者の批評性の衰弱、児童文学作品の弱小性が考えられる。無国籍童話はそのあらわれの一つであり、戦後の問題として次に考えられねばならぬものだろう。しかし、「ビルマの竪琴」にもどって言うなら、それは戦後を代表した、しかし、不幸な代表作であった-というほかはない。 『日本児童文学』6月号(第2巻第6号通巻101号 昭和40年6月1日 宣協社) |
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