バーバラへの手紙

レオ・メーター

上田真而子訳 岩波書店 1991

           
         
         
         
         
         
         
         
    
 これは、フィクションではなく、故あって家族と離れ離れになった男が、三歳の娘バーバラへ書き送った手紙をまとめた書物です。スケッチ入りであるため、見開きの一方に現物(五十年近く過ぎた今、それは黄ばんでいますが)の便箋をそのまま印刷し、もう一方に訳文が収められています。「作業がいっぱいあって、手紙を書く時間はほんのちょっとしかない。だけど思うのはしょっちゅうだよ、ぼくのかわいいバーバラちゃんのことをね。そして、ときどき、きみはもうパパをほとんど覚えていないんじゃないかなと、心配になる」。
 電話はなく、もちろんビデオレターなんか考えることもできない時代、父のいない娘の寂しさと、娘に会えない父の悲しさ、そのポッカリと空いた穴を埋め合わせようと、寂しく悲しいからこそ、溢れるユーモアで父親が綴る手紙。二人は再会することなく、1年後父親は死んでしまいます。けれど、この手紙たちを読み、暖かなスケッチを眺めていると、愛情を育むのに、時間の長さは関係がないことが良く分かります。そして素敵な手紙とは、相手に話したいことが一杯溢れているもののことだということも。親から子どもへだけでなく、恋人へでも友人へでも。その意味で、今手紙を書こうとしているあなたにとって、最良のテキストになるでしょう。
 何故、家族が別々に暮らすことになったかを書き残しました。戦争のためです。読み終わったあとに、それは考えて下さい。
 これはユダヤ人の女と結婚し、ナチスによって家族と引き裂かれた男が、兵役につかされ、銃殺されるまでの間、戦地から三歳で別れた娘バーバラにあてて送った手紙を、まとめたもの。ナチズム、戦争悪、悲しみ、怒り、平和、反戦。そうした視点から感動し、涙ながらに読める。けれど、実は一先ず、そんなこと全部忘れて読んでいい。例えば、単身赴任の父親から子供へ向けて書かれた手紙として。反戦から平和へとの正しく美しい思想に身をまかせてしまう前に、それらを抜きにして。(ひこ・田中 )
産経新聞91/12/28