野ウサギのラララ

舟崎克彦 舟崎靖子

理論社 1997

           
         
         
         
         
         
         
         
         
    
 舟崎克彦、靖子の久々の合作である。といっても、実際には二十六年前に『トンカチと花将軍』で颯爽と子どもの本の世界に登場してきた二人が、そのすぐ後に雑誌『母の友』に連載した作品を、両者がかなり手を入れてまとめ直したものだ。しかし、読み直してみると、昨今の子どもの読み物が見失ってしまった、子どもの文学ならではの輝きが端々に感じられ、あらためて考えさせられることが少なくない。
 物語は、記憶を喪失したウサギが小さな島に漂着するところから始まる。波間に漂いながら、ウサギは考える。ぼくは、誰なんだろう? もしかしたら、波なのかもしれない。それとも、物忘れのひどい、頭痛持ちの南風? このウサギを波打ち際で発見したのは、島に一つしかない新聞を発行するアナグマ。アナグマはウサギにラララという名まえをつけてやり、忘れてしまった自分を見つけるために、アナグマ新聞の記者にならないかとすすめる。島の中を取材して回っているうちに、失った記憶を取り戻すきっかけを見つけるのではないかというわけだ。
 ラララは、道端のナズナの茂みで、赤いリボンのついた大きな麦わら帽子をかぶったハリネズミのハハハに会い、すっかり仲良しになる。ハハハの後について、ラララは小さな黄色い花をつけた一面のノゲシの原をかきわけ、クヌギの木の枝に乗っかった古めかしい家に案内された。かつて物知りの博士が住んでいたという、ベランダからヤブカラシを編んで作った縄ばしご下がるその家を、ラララは掃除して使うことにする。
 記憶を失った野ウサギのラララは、自分が誰なのか、何処から来たのかわからない。つまり全くのタブララサ状態である。その主人公が、島の中で見るもの出会うことのすべてが、新鮮で不思議に満ち満ちている。そして読者もまた、ラララと一緒にその不思議な驚きを共に体験することになる。四季の移ろいとともに、様々に変化する野の草花や樹木や海の色や雲の形などの豊かな自然描写が、真っ白なウサギの心に鮮やかな色を映し出すように、読み手の気分もその色彩に心地好くゆったりと染め上げられていく。まだ二十代初めの若い詩人であった作者たち二人の、自然から霊気を吸収するかのような瑞々しい感性がきらめいている。
 ハリネズミのハハハが大切にしていた麦わら帽子の赤いリボンが、夜のうちに風に飛ばされて何処かにいってしまう。ラララは、新聞の記事をまとめるために、リボンの行方を追って島中を駆け巡る。まずサメザメの入り江に住む、泣き虫ザメのサメザメの所へ。そこから発明家のネズミを訪ね、薬草作りのモグラの所に行き、何でもアヤトリで作ってしまうアヤトリ研究所のツノガエル、夜明け岬の修道院の三羽のカツオドリ、岬のはずれの砦にいるシオマネキと、リボンを追って転々としながら奇妙な島の住人たちと出会っていく。それぞれに個性的なキャラクターの一人一人が、鮮やかに立ち上がってきて、それがこの作品の大きな魅力の一つでもある。
 失われた影を探したり、神の姿を垣間見たり、野ネズミのラララの体験の一つ一つが、新しい世界の広がりであり、希望であり生きる喜びでもある。タブララサに世界を描いて見せる。自分で答えを探しながら、生きることの輝きと喜びを新鮮に提示して見せる。それを幼児にも共感できるような優しい言葉としなやかな感性で展開して見せる。子どもの読み物に託した作者たちの志の高さと詩性が、子どもの本ならではの魅力を改めて教示しているようであり、子どもの読み物の基本が何かを考えさせられる作品である。(野上暁
『図書新聞』1997年10月4日号