年をとったワニの話
(ショヴォー氏とルノー君のお話集1)

レオポルド・ショーヴォー文と絵

出口裕弘訳 福音館書店 1989

           
         
         
         
         
         
         
     
 ただおもしろいだけの読書って、ただの時間つぷしに過ぎないのだろうか? とある昼さがり、僕はテーブルに運ばれてきた出来たてのオムライスを眺めながら、フトそんな疑問にとらわれてしまった。
 つまり、何かを得るために、僕は読書をしているのだろうか、ということだ。何故オムライスを見てそんなごとを考えたのかよく分からない(ひよっとすると僕はオムライスが好きで、読書も好きだから<オムライス→好き→読書>という風に繋がっていったのかもしれない。とすると隣で同じ様にオムライスを前にしている3才の息子は、ターボレンジヤーかファイブマンのことを考えているのだろうか)。
 とにかく僕はオムライスを前にしてそんなことを考えていた。気がつくと、「いただきま一す」という息子の声がして、僕もつられて食べ始めたのだが、僕は次には『年をとったワ二の話』という話のことを思い出していた。「この物語に登場するワ二は、たいそう年をとったワニであった」という文章で始まる、おかしくて残酷な愛の物語を。
 その年老いたワ二は孫娘の息子を食べてしまって、永く住んだ土地を離れなければならなくなった。ナイル川に身をまかせていると海に出た。そこでワニはタコと出会う。しかしぐっすり眠っているタコを見ながらワ二の頭に再びよくない考えが一一。結局ワニは恋人のタコを初めは足を一本ずつ、そして最後には全部食べてしまうのだが、敢えてこれ以上のコメントは書かない。ただ、この物語のことを思い出して、僕は最初に因われた疑間なんてきれいさっぱり忘れていたことに気がついた。そして冊の上のものもきれいさっぱりなくなっていることを。 (しんやひろゆき)             
 1990.4