トムは真夜中の庭で

フィリッパ・ピアス
高杉一郎訳 岩波書店

           
         
         
         
         
         
         
    
    
 弟のピーターがはしかにかかったために、二人での休暇がふいになったトムは、あまり好きじゃないおじさん夫妻のアパートに預けられる。古いお屋敷をアパートに改造したそれは、暗い雰囲気でなじめない。おじさんによると、最上階に住んでいる大家のおばあさんは陰気で、騒いでもいけないらしい。なんだかウンザリのトム。慣れない部屋でなかなか寝着かれません。なのに一階大広間の古い大時計は深夜でも時を打つ。一つ二つ、数えるトム。十二、十三。え? 十三? そんな時間はないはずだ。時計のやつ壊れているのか? 不思議な気分に誘われてトムは大広間へ。そして、物置になってしまっているとおじさんが言っていた裏庭の扉を開けると、そこには花の咲き誇る庭がひろがっていた。
 私たちはまず時間があって、時計はただそれを刻むためだけの道具だと思っていますが、現実的には時計によって支配されてもいます。近頃でいえば便利グッズのはずのケータイに縛られてもいるように。この物語は、私たちを支配する時計に、あり得もしない十三回目の時報を鳴らさせることで、トムを時計による時間から解き放ち、もう一つの時間へと誘い込みます。へたな細工や理屈をこねずに時を越える見事さ。それはやはり、子ども読者に向けて書こうとしたからこそ、作者の中で浮かび上がってきた工夫なのだと思います。
 過去の時間でトムはハティと巡り会う。最初は少女だったのが、毎夜出会うたび彼女は、成長していきます。トムの側から読むとそうなるのですが、ハティの側からは、何年かごとに現れるトムはいつまでも子どものままです。つまり、ハティにとってトムは、自分の子ども時代のシンボルとなっています。そうすることで、物語はおばあさんとなったハティの中に今も息づいている「子ども」を気づかせてくれるわけです。巧い。
 「老い」が話題の昨今、この物語が描いた「老い」は結構重要なポントだと思います。(ひこ・田中)
(TRC新刊児童室便り2000/09)