地球はウルトラマンの星

切通理作
ソニーマガジン 2000

           
         
         
         
         
         
         
     
 この書物は、シリーズ三〇周年記念として再開された新しいウルトラマンに携わった監督、特技監督、ライター、役者たちへのインタヴューを納めている。三〇周年ということは一世代巡ったわけで、現場の作り手の多くはウルトラの子である。
 ウルトラマンは現代子ども史の重要なターニングポイントの一つだ。月光仮面などのそれまでの仮面劇ヒーローと趣を異にし、主人公はコスチュームプレイでウルトラマンになるわけではない。ウルトラ星人と一体化したり、普段は人間の姿をしているウルトラ星人であったり。ウルトラマンの巨大なその身体は、テレビを観ている子どもたちとヒーローとの差異を顕にした。ヒーローは成るものではなく眺めるものとなったのだ。もちろんだからといって子どもたちがウルトラマンごっこをしなかったというわけではない。みんな「シュワッチ」していたし、スペシウム光線はあちこちで放たれていた。が、「正義の味方月光仮面だ」とみえを切るときの身体感覚と「シュワッチ」のそれとは決定的に違うだろう。仮面と変身の違いといってもいい。ウルトラの子たちは変身している時もウルトラマンと自己との二重性をどこかで意識していたと思う。だから「『テイガ』以降の平成ウルトラマンは、ウルトラマンで育ってきた作り手が、自分はどこに惹きつけられていたのか、逆にどこに矛盾を感じていたのかを作りながら整理している」(切通)。
 とはいえ当然のことながらそれぞれのウルトラの子たちは個別のウルトラマン像を持っていたわけで、その微妙な差異が個々へのインタビューでスリリングにあぶりだされる。と同時に彼らが、自分たちが子ども時代に受け留めたウルトラマンをどう咀嚼し自分たちのウルトラマンとして今の子どもたちに伝えようとしたかも、この書物は明らかにしてくれる。「ボスキャラというのをちゃんと出して、破滅させて、ホントにみんな安心出来るねっていう終わり方にしちゃいけないんじゃないか。このシリ−ズはね」(小中千昭)。「子どもだってバカじゃないから」「なんか一人のヒーローが来て、デカイ怪獣倒したら、みんな平和になるっていうのは嘘だろうというのが根底にあるんです」(川崎郷太)「大人になり切れない大人たちがね、昔を懐かしんで作ってるだけじゃないんだと。ちゃんと目線は『今』を向いて、子どもたちに伝えたいことや、自分たちが生きてきて、楽しかったこと面白かったことカッコ良かったこととか、それを今、平成ウルトラマンもやってるんだよ」(長谷川圭一)など、観る側への想いは感動的に熱い。それはおそらく、月光仮面世代まではヒーローを自身の子ども時代 とともにノスタルジーの世界に置き去りにしたのに対し、ウルトラの子たちは、ヒーローと子ども時代を抱えたまま大人になったからだ。
 そのこと自体に是非はない。が、抱えた限り、それを伝えようとする意志は、何物にも替えがたく美しくある。同じくウルトラの子である切通はそこをうまく引き出した。(ひこ・田中