テンカウントは聴こえない

緒島英二
ポプラ社1997

           
         
         
         
         
         
         
     
 自分にとって英雄だった父親が目の前でその輝きを失っていく…。
草太はテキヤの定吉おじいちゃんと共に父親探しの旅をしている。父親はボクシングの元東日本チャンピオン。けれど負けた後、再起できずそのまま蒸発したのですね。それでも草太は父を信じている。きっと帰ってくる。父は負け犬ではない、と。
定吉じいちゃんの渡りと共に新しく転校してきた学校。クラスではイジメが。それも草太たちが世話になっているテキヤのおじさんの息子和也が。関係ないとシカトするつもりだったけど…。
和也イジメの中心だった本西が逆に孤立していくプロセスは「イジメ」の顔をうまく捕らえている。
一方、父と息子の物語なのか、学校物語なのかという点では、残念ながら中途半端さは否めません。
別にどちらか一方に絞ればいい、絞るべきだというのではなく、元チャンピオンの父親の蒸発、テキヤの祖父といった、やや特殊な設定で語られる「父と息子の物語」と、リアルに描こうとする「学校物語」がうまくかみ合っていない。
二つの物語の関係は、次のようなものです。
草太がイジメ問題にアクセスしていく原動力は、「尊敬する父親」の影響。一方、そうしたアクセスによって草太は、「強くなる」ことが大事だとの自分の考えを変えていく。変わることで、今は自信を喪失している父との再会を物語は準備することができる。
つまり、互いが一方の物語を進展させる役割を負っているのですが、先に述べたように、両者は質が違い、そのことをどれほど意識し操作するかの点で、「テンカウント」は弱い。
そのために、「人間てやつは、みんなしあわせになるために生まれてきたんじゃないですか」(230)といったセリフ(父親の友人が、いじけている父親に言う)が、いささか浮いてしまう。(ひこ・田中 )
メールマガジン3号1998/03/25