タンス男がやってくる

三田村信行

PHP研究所 1996

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 子どもたちに人気の『学校の怪談』『地獄堂霊界通信』が、映画にまでなる時世だ。闇の失われた現代社会に、怪しげな妖怪や怨霊が蘇るというのは、子どもたちの心の暗部に拡がるブラックホールのようでもあり、コンクリートされた日常性からの彼らなりの一瞬の離脱の試みなのかもしれない。そして、怪しげな話題、不気味な物語との交感は、失われた子どもの時間への伝統回帰のようにも思える。
 タンス男が町にやってくる。そんな噂が子どもたちの間に広がるが、さっぱり姿を現さない。まるで、ベケットの「ゴドーを待ちながら」のような展開である。そのイメージは、唐十郎や寺山修司の芝居の登場人物のように怪しい。噂という情報の一人歩きが、様々な幻影を作り上げる。そしてそれが現実となったとき、それとの乖離がさらに幻想的な物語として増殖されるのだ。隣に恐竜の夫婦が引っ越してきて卵から赤ちゃんをかえしたり、神隠しにあったといわれている祖父と出会ったり、ホラー小説を書こうとしていた作家がものを言う死体と入れ替わったり、不思議な話、不気味な話ばかりを七編収めた短編集である。ゾクゾクする物語展開は、それ自体が魅力的だが、作者はそこにこの時代の不気味さをさりげなく重ね合わせて見せる。三田村信行ならではの隠し味だ。(野上暁
産経新聞、1996、5、3号