たいのおかしら

さくら ももこ

集英社 1993

           
         
         
         
         
         
         
     
 先日、本屋さんに行ったら、入り口近くにしつらえたワゴンに、『も・ものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の三冊が、天井に届きそうなほど山積みにされていた。今時の超人気者「ナ夕・デ・ココ」でさえ、ヒガンでしまいそうなほどの華々しさであった。
手に取ってみると、夕イトルはもちろんのこと、判型から帯の色に至るまで、ビシッと神経の行き届いたおしゃれな本なので、つい買ってしまった。中身の面白さは『ちびまる子ちゃん』で保証済だ。
はたして、のっけから「水虫の話」「痔の話」である。期待は裏切られなかった。
この本に登場する作者は、気が弱くて怠け者でだらしなくて滑稽で、ちょっと恥ずかしいところもあったりする、愛すべき人間だ。限りなく安心して笑える。
笑いと共感だけではない。
例えば「グッピーの惨劇」では、水槽に入れて飼っていたグッピーが作者のちょっとした不注意のために全滅してしまう。その顛末が、例の「ちびまる子」調で綴られていて、大いに笑わせられながらも、胸を痛めずにはいられない。幼い頃、大なり小なり、生き物を死なせてしまった経験は、大概の人があるはずだから。「小杉のババア」みたいな強烈なキャラクターの大人も、誰の子ども時代にもいただろう。この本を読んで幼い日の自分と向かい合う読者は多いだろう。児童文学もマッサォなのネ。
「物を創るということは、創り手が全てわかっていなければならないのだ。全てが作者の掌の上でなくてはならない。それが粋というものであり、創り手がわかっていない作品というものは野暮なのである。」
『さるのこしかけ』の中のそんな文章を読むと、「フーム。『ちびまる子ちゃん』のヒットも、このシリーズも、全て緻密な計算の結果であったのか。」と舌を巻く。
けれど、見逃してはならない一面は、これらの本が紛れもなくサクセス・ストーリーである点だ。
デビューを夢見てせっせと漫画を投稿していた地方の一少女が、やがてその夢を果たし、出版社の担当編集者と結婚し、今では超売れっこ。記事さえ書いてくれるのなら、世界中どこでもご夫婦同伴でファーストクラスで旅行してくださいと、出版社から申し出を受ける身分なのだ。
これは、まさしく現代の少女たちが夢見るサクセス・ストーリー。
夢を見たい少女たちをひきつけてやまない魅力が、そこにもある。(末吉暁子)
MOE1993/11