全・東京湾

中村征夫作

情報センター出版局


           
         
         
         
         
         
         
         
    
東京に住む人で、わざわざ東京湾を見にいったことのある人は、いったいどのくらいいるだろう。一般の日本人にとって、東京湾は死の海なのかもしれない。『全・東京湾』は、そんなあさはかな思いこみを、完全にくつがえしてくれる。作者は、はっとするほど美しい写真と、語りかけるような口調の文章とで、光の届かない汚濁の海の中でくりひろげられる数々の生物の生活を、生き生きとつづってくれる。腹に卵を抱いて突進してくる三〜四センチの母ガニ、体にオレンジ色のラインを浮かび上がらせて、小指ほどの太さのロープに卵を産みつけるコウイカなど、ここにくり広げられるのは、まさに海のドラマである。
 それだけではない。作者は、巻網漁やアサリ漁やタコツボ漁などの船に乗りこんで、東京湾のさまざまな漁法をルポし、さらに、東京湾でとれたカレイが五十代の婦人の手に渡るまでを追っていく。ここで描かれているのは、豊かな漁場としての東京湾である。しかし、この漁場をおびやかす危険についても的確な指摘がある。
 普通の人なら見向きもしないような題材にエネルギッシュに取り組んだ若さに満ちた作品。ルポルタージュのすばらしさが存分に味わえる。
 この本を読むと、南洋の珊瑚礁の写真集などが、かえって年寄りくさく思えてくるから不思議だ。(金原瑞人
朝日新聞 ヤングアダルト招待席 1980/06/14