白いお姫さま

マリア・ジェリチェコワ

中村裕子訳 新読書社

           
         
         
         
         
         
         
     
日本には比較的なじみの薄いチェコスロバキアの民話集を、大阪の女性五人が五年がかりで邦訳し、この程出版した。
翻訳グループの代表者、中村祐子さんが、旅先のパリの街角でこの本のフランス語版を見かけ、その表抵とさし絵の落ち着いた色調の美しさに魅せられ、また収められている二十四編のチェコの民話に心をひかれ、翻訳を思い立ったのは一九八一年の春のことであったという。出版元のチェコの国営出版社スロバートに問い合わせたところ、「まだ日本語版は出ていないので、日本語版をぜひチェコスロバキアで印刷し出版したい」という返事をもらった。帰国後、中村さんは、一緒にフランス語を学んでいた仲間の主婦らに呼びかけ、順番に一頁ずつ訳し、みんなで検討するというやり方で翻訳の共同作業を進めた。一回に二、三頁訳すと、後はお茶とおしゃべりという具合だったためもあってか、大方を訳し終えるのに五年かかった。そして直訳をよりふさわしい日本語に直す作業と出版社探し三年、さらに日本の出版社に依頼した日本語のフイルムをチェコで印刷、製本するのに一年かかり、本年二月ようやく出版にこぎつけた。パリの書店でフランス語版に目をとめ翻訳を思い立ってから正に九年、地道な作業を繰り返した末に生まれた労作である。
収められている二十四編の物語は、老婆に変えられていた白いお姫さまの呪縛を若者が解くという表題作をはじめ、小人に黄金の糸を織る指をもらった娘の話、二人の姉の陰謀で我が子を次々と小犬、子ネコ、木の枝にすりかえられてしまう王妃の話、母の病気を治すためカニと婚約した娘の話、何でも望みをかなえてくれる地獄の馬の話など、どれも民衆の素朴な願望や人生の知恵、そして人間の愚かしさなどをよく映し出している。
この本は、民話集と言えども、昔から語りつがれた既成の民話を単に収集したものではない。勿論作者が祖母や母から聞いた伝説や昔話が主体だが、なかには語りロ、構成、モラルなどの面で、より美しくより子供にふさわしいように作者の手が加えられているものもある。また複数のロ承のモチーフから作者自身がエピソードを作り出したものもある。しかしそれらは、再話や創作であることを感じさせない程、昔ながらの昔話の特質を備えている。例えば兄弟姉妹が出てくれば、必ず下の子の方が賢く勇気があり正直で優しく美しい。また継子いじめや勧善懲悪思想もはっきりと表れている。さらに人間をいとも質に石や小動物に変えてしまう魔法とその残酷さは、昔話特有のものであるし、娘や若者が王子さまや王女さまと結ばれハッピーエンドとなる筋運びは、いかにも庶民の憧れを反映した昔話らしい。これは作者が民話や昔話の特質を十分理解し、チェコの民衆の心にそうように物語を再和、創作したことを示している。
一七○頁という民話集としてはかなりボリュームのある本を、五年の歳月をかけて翻訳し、さらに四年かけて出版にこぎつけるには、やはりそれなりの根気と忍耐と気力を要したであろうことは想像に難くない。印刷不鮮明な個所がいくつかあるのが残念であるが、海外での印刷、製本ということもあって、その修正もおそらく思うに任せぬこともあっただろう。出来上がった本の印刷不鮮明さを一番もどかしく思っているのは、翻訳者たち自身にちがいない。いずれにしてもまずはその根気と労力に拍手を送りたい。(南部英子
図書新聞1990/5/16