さよならをいう時間もない

ジュディ・ブルーム

長田敏子訳 偕成社 1991

           
         
         
         
         
         
         
     
 人には誰にでも直面したくない現実がある。例えば好きな人にふられた時、人はどうするか。たいていの人は、はじめからあんな人には興味がなかったのだ、こちらから問題にしていなかったのだと思おうとする。あるいは目ざす学校の受験に失敗した時、人は往々にして、体調不調のせいにしたり、試験会場であがってしまったせいにして、自分の実力不足だとは認めたがらない。あるいは失恋の時と同様に、はじめからあんな学校行きたくなかったのだと思おうとする。これは人間に備わった自己防衛本能が無意識のうちに働き、自分をみじめな立場に追いやるのを極力避けようとするからだ。
しかし肉親の死、しかも突然の不慮の死というのは、どう受けとめればよいのか。あんな人ははじめかから必要なかったのだ、もともと家族ではなかったのだ、とは思いたくても思えない。とすれば、あの人は死んでいない、死んだとしても苦しまずに安らかに死んだと思いたい。まさか、さよならを言う時間もないほど突然に、しかも血まみれになって死んだなんて思いたくない。この作品はそのあたりの人間の心理を見事にとらえた作品だ。
アメリカのアトランチック・シテイにある「セブン・イレブン」で、ある夏の晩、強奪事件が起き、支配人(三十四歳)が胸を四発撃たれて死亡した。残された家族は妻と長女デイビス(デイビー、十五歳)と長男ジェイソン(七歳)の三人。事件は新聞の第一面で報道された。
しかし物語は葬式の朝の場面から始まり、事件の概要は遺族の会話や回想で徐々に明らかにされていく。事件から約二週間後、新学期が始まる。高校に入学した主人公デイビーは、父の悲しい事件と新しい学校での緊張のためからか、入学初日から三日間続けてストレス性呼吸不全で倒れる。転地療養を兼ね、父方の伯母夫婦のいるニュー・メキシコ州の原子力研究所のある町ロスアラモスに、母と弟とともに身を寄せる。短期滞在のつもりであったが、家へ帰る予定の二日前に、また店が荒らされたという連絡が入る。知らせを聞いた母は、ヒステリーを起こし、ストレスと不安と神経衰弱による頭痛で寝込んででしまう。長期滞在をよぎなくされたデイビーと弟はロスアラモスの学校に通い始める。
物語はこの原子力の町を舞台に、ロには出せないほどの深い傷を心に璽った母、娘、息子の三人が、それぞれの友人や伯母夫婦との交流を通して、しだいにに心の傷を癒し、恐怖をのりこえ、直面したくない現実と向き合う勇気が持てるようになるまでを描く。特に幼いながらも、悲しみにじっと耐え泣くまいとするジェイソンの姿はけなげだ。
作品のもう一つのプロットは、峡谷で知り合ったウルフと名乗る青年との人間的共感を中心とするデイビーの心の動きである。心理描写はじつに巧みで、異性へのあこがれ、セックスへの関心と罪悪感、石橋をたたいてもまだ渡らないほど保守的で危険なことは一切禁止する伯母夫婦への反発、母が父以外の男とデートすることへの抵抗など、思春期の少女らしい心理や悩みがよく描き出され、またそれらをいかに克服し成長していくかも語っている。特に、父を失ったデイビーとこれから失おうとしている(あるいは作品中で朱うことになるのだが)ウルフとが、互いに多くを語らずこもごく自然に示し合う人間の根源的な弱さを認め合つ優しさは作品の重要なテーマになっている。
その他、ロスアラモスの丘や渓谷での自然描写も美しい。
また恵まれた上流家庭の娘ジェーンがアル中で苦しんでいること、自衛のためとはいえ、誰でも手軽に銃を持てることが、この作品中のような惨劇をまねくこと、など現代アメリカが抱える問題にも鋭いメスを入れた作品と言える。(南部英子
図書新聞1991/11/09