児童文学マ二ユアル化
のすすめ

酒寄進一

パロル8号1997/12/25

           
         
         
         
         
         
         
     
 「たまごっちとCDとを比べて、今の子供たちはたまごっちを取っちゃう。『音楽ってこんなにいいものなんだ』ということがわかってないから。だから、いい音楽を作らなくちゃ」ヴァージン・レコードに移籍し初アルバムを出したドリカムへのインタビュー記事(朝日新聞十月二十七日付夕刊)にこんな一文があった。しかも「真剣な表情」での発言らしい。僕はこれを読んで、くすっと笑ってしまった。かれこれ二十五年近く前になる。背伸びして「ジャン・クリストフ」なんかを読む中学生だった僕が、当時はまっていたと言えるのは音楽。音楽に興味があったからこそ「ジャン・クリストフ」に行き着いたと言った方がいいかもしれない。その頃、「文学ってこんなにいいものなんだ」なんて直接言われた覚えはないけれど、ELPやピンク・フロイドを聞いている僕の周囲には、そんな言葉をいいたげな大人たちの目つきがいっぱいあった。
 その音楽が、ドリカムによると子どもの世界では今、たまごっちに取って替わられているらしい。ひょっとして文学はもう子供の世界では二周遅れってこと? 実際、この七、八年、いくつかのメディアで児童文学の書評を担当してきたが、児童文学はちょっと袋小路に入っちゃってるかもしれないって強く感じる。離婚、いじめ、摂食障害など重いテーマを扱うシリアス物、怪談やファンタジーのエンターテイメント物。けっこうルーティンに入っている物語が多い気がする。
しかも主人公の年齢設定を読者年齢と一致させる傾向がいまだに根強い。読者の感情移入を重視してのことだろうが、「同い年の主人公の心理なんて本を読まなくてもわかってるよ」なんて今の子どもに言われてしまいそうだ。中学校で夏休みに図書室の本の貸し出し冊数の競争、つまり質より量の競争をさせられた僕が当時、実際に思ったことだ。
 もちろん僕にとって珠玉の児童文学作品はあるし、これはという期待の児童文学作家たちもいる。だから今でも児童文学に片足をつっこんでいるのだが、総体として、児童文学は脈があがりかけているといわざるをえないだろう。
 さてそこで「子どもの本に対する提言」ということだが、フィクションに限定して(だってノンフィクションものには、おちとよこの『生活図鑑』福音館書店といったよくできた本が出ているからね)ひとつ提言をしよう。文学の制作過程というのは、どうしても家内工業的。よく言えば、芸とか味の魅力に富んだ職人の世界、悪く言えば、子どもの文学を書くとはどういうことなのか、そしてそれが職業としてちゃんと成り立っているのか、部外者には今ひとつはっきりと見えてこない。若い才能をこの業界に引き込むためには、「子どものため」とか「かわいい」というイメージだけではもうダメだろう。もっと地に足のついた「児童文学の歩き方」とか「児童文学完全マニュアル」といったものがいると思う。必要最低限のノウハウはこれで提供し、作り手はそれをどうアレンジし、そこにどんな個性を上乗せするかに賭ける。なんせ『完全自殺マニュアル』のブームと時を同じくして出版された桂秀美、渡辺直巳共著の『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版)がすでに文学のマニュアル化に先鞭を付けているし、今や大学教授だってマニュアル本でめざすご時世なのだ(鷲田小禰 太『大学教授になる方法』青弓社)。もちろんこの二冊は、マニュアル本であると同時に、対象にしている業界のメカニズムを批判的に浮き彫りしているわけだが。
 児童文学用マニュアルのお手本としては金井景子他編の『女子高生のための文章図鑑』『男子高生のための文章図鑑」(ともに筑摩書房)あたりが手頃かも。だれか一緒に作りません? 売れないかもしれないけど。
パロル8号1997/12/25