児童文学とは何か ―物語の成立と展開

谷本誠剛 著 中教出版

           
         
         
         
         
         
         
     
 まず『児童文学とは何か』という書名そのものが、児童文学を研究しているものにとって非常に挑発的であった。それは、上笙一郎『児童文学概論』(1970)、猪熊葉子『児童文学とは何か』(「講座・日本児童文学」第1巻、1974)などが出版されて以来、児童文学の原論にあたるような内容のものが、絶えて久しく出版されなかったことからきている。
その理由の一つに,児童文学が社会的に認知されて、想定される主な読者が子どもであるという一点を省けば、文学なのだということでいいのではないかという思いがあったようだ。今一つとして、読者としての子どもを考えると,児童学や心理学、教育学、社会学、マーケティング等々関連する分野があまりに多く、総括的な論が成立しにくいという状況があると思われる。
谷本氏の『児童文学とは何か』には,小さく「物語の成立と展開」という副題がタイトルの肩に入っており,「子どもとはそもそもが物語作者といえる存在である。彼らの心の中には日々いくたの物語が生まれつづけており、その心の物語こそが、児童文学という物語世界の直接のよりどころとなる。」(p.10)というところから論をおこしている。そして、子どもの好む物語は、子どもの自我の要求を充足させるもので、「ハッピー・エンド」「主人公の自立」「行きてのち帰る物語形式」が基本的要件になっていることを、『ちびくろ・さんぼ』などの作品を使って論じていく。幼年期(8歳頃まで)をすぎると、集団の人間が描かれる「拡大ファンタジー」の時代に入り、ついで現実認識の進んできた子ども(10〜11歳)は、「現実的冒険物語」期に入る、と続いていく。それに少女の物語の特徴と、子どもにとっての現実と虚構のかかわりを論じたのが第一部となっている。第二部は、子どもの心的イメージの形成を「想像力」の説明をしながら述べ、物語化に至る視覚および聴覚イメージへ論を結びつけていっている。
心で物語を作り続けている子どもは、現実の熾烈さの解決を求めて、物語と出会い、それを受容していくのだという読者の視点に立った物語論となっている。丁寧で繰り返しの多い論の展開の中からフィクションというものが、幼児も含めて人間の本質とかかわっていることなどをあらためて認識することができたり、さまざまの引用から新しい視点を教わったりすることができた。
しかし、全体的にみて、丁寧に論じられているところは幼年文学に集中しているきらいがあった。また、読者としての成長段階をたどるのに、『かいじゅうたちのいるところ』の次のステップとして『ホビットの冒険』が出てき、次いで『宝島』と踏んでいくことで論拠としているあたり,移行がどのようになされるのか、疑問が残る。
子どもとの関わりという点で,語り手や書き手を抜きに読者論を成立させることができるのか,また,子どもの存在を社会的政治的なコンテキストをはずして論じることのいみはどうなのか、等々、頭の中がわき立ち、多大な刺激を受けることになった。挑発した作者にもまだまだ課題を残す結果となっているようだ。
差別の問題で論議されていることを熟知した上で『ちびくろ・さんぼ』を重視し、フェミニズム批評の立場を理解しながら、待つこと、夢みることなど「本来その受身性を特徴とする少女」と定義するなど、読者論を裏付けるものならあらゆる立場・文献を駆使していく作者のありようをどのように受容するかによって本書の評価は大きくわかれるだろう。(三宅興子)
「英語教育」1990年12月(vol.39 no.10)大修館書店
テキストファイル化ホシキミエ