心の国境をこえて
 ーアラブの少女ナディアー

ガリラ・ロンフェデル・アミット作
母袋夏生 訳  高田勲 絵
さ・え・ら書房 1999

           
         
         
         
         
         
         
     
         
 ユーゴスラビアのコソボの民族紛争が問題になっているが、『心の国境をこえて』はイスラエル国籍を持つアラブの少女の物語である。ご存じのように、イスラエルは中東にあるユダヤ人の国で、人口の二〇パーセント弱がユダヤ人以外のアラブ人やアルメニア人などである。一九四八年、国連で可決された「パレスチナ分割案」で、イスラエルは独立したのだが、パレスチナ・アラブ人はこの案を拒否し、九三年にようやくパレスチナ暫定自治原則合意が調印され、現在もなお、パレスチナ自治政府とイスラエルの間で和平交渉が進行中である。イスラエルとまわりのアラブの国々との間では戦争や紛争が絶えない。 イスラエルのアラブ人の村に生まれ育った十四歳の少女ナディアは、医者になって村の医療につくしたいという将来の夢がある。夢を実現するには、ユダヤ人の寄宿学校に入り、大学入学試験に合格し、ヘブライ大学医学部に進むのが一番の早道である。村でユダヤ人の進歩的なやり方を取り入れ、機械化した農業を進める父親が、ナディアを応援してくれ、ナディアはユダヤ人の学校アラジームに入学する。
 ナディアが勉強のことだけを考えて選んだアラジームだが、そこは家庭に問題のあるユダヤ人の少年少女も受け入れていた。ナディアと同室となった、タミーは父親が女性と家を出てしまい、母親は酒と男で荒れた生活をしていた。タミーの母親を親とも思わないようなひどい言い方にナディアは愕然とする。ユダヤの若者の男女の自由なつきあい方にもナディアは驚き面食らい、なにかとナディアに近づくロネンに困惑し、タミーのいわれない嫉妬に悔し涙を流す。また、タミーのナディアを利用してアラブ人を理解しようとする魂胆には深く傷つく。
 折りにふれて思い知らされる価値観の違いにとまどいながらも、ナディアは父親の「自分がアラブ人だってことを恥じに思っちゃいかんぞ」という言葉を肝に命じ、リナットにわからない聖書の勉強を手伝ってもらいながら必死に勉強し、学校の中にとけこんでいく。しかし、ナディアが憧れる村の女医のナジュラーが言った、事が起きると「あなたはナディアじゃなくてアラブ人になる」という言葉が現実になる事件が起こる。アラブ人によるテロ事件が起こり、学校中がアラブ人を非難し、リナットまでがナディアの敵となる。テロには反対だが、ユダヤ人のようにはアラブ人を責められないナディアは、いたたまれず学校を飛び出すが、こんなことで夢をあきらめるなと上級生のオディに諭され、現実に立ち向かう決意を新たにする。
 女性が職業を持つこと自体が難しい保守的なアラブ人の中にあって、医者をめざし、しかもユダヤ人の寄宿学校へ単身入るという、ナディアの勇気にはただ頭が下がる。ユダヤ人の中にとけこもうとするナディアの立場をもうひとつ困難にしているのが、慣れないヘブライ語である。民族紛争の理解は難しくても、言葉の自由にならないもどかしさ、不自由さは、痛いほど伝わってくる。
本書は、社会問題をわかりやすく書いて定評があるイスラエルの作家、ガリラ・ロンフェデル・アミッドの手により、一九八五年に出版された。当時イスラエルでは、レバノンへの軍事侵攻に非難が集まり、人々がパレスチナ問題を問い直しているときで、アラブ人の立場に立った本書は若者の間で爆発的に広まったそうである。民族紛争には無縁ともいえる日本で、ナディアの立場を理解するのは難しい。だが、傷つくことを恐れ人とのつきあいを避けようとする若者に、是非、ナディアの勇気や心遣いに触れてほしいと思う。(森恵子)
図書新聞 1999/08/07