カードミステリー

ヨースタイン・ゴルデル作

山内 清子訳 徳間書店 1996

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 ついこのあいだ、テレビで高校生たちによる壮大なドミノゲームの番組を見た。 本線によってつながれたドミノが倒れるたびにその相貌を顕にする数々のイベント。それがボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」で終わったときは、思わず唸ってしまった。
 「ソフィーの世界」で一躍有名になったヨースタイン・ゴルデルの前作「カードミステリー 失われた魔法の島」の読後感は、ちょうどドミノゲームの感動に似ている。 物語は語り手ハンス―トマスの回想記という形で進められる。
 ハンス―トマスは十二歳のときに、失踪した母の消息を求めて、父親と共に故郷のノルウェーからギリシャまで旅をする。この旅が、ちょうどドミノの本線にあたる本筋で、その本筋からは簡単には見えてこない摩訶不思議な物語世界がページを繰るごとにしだいに像を結んでいく。その描き方は緻密で、しかも大胆だ。
 事の始まりは、旅の途上、ハンス―トマスが小人のような小男から小さなルーペをもらい、アルプスの小さな村ドルフのパン屋で豆本を手渡されたことにある。
 その豆本はパン屋を営む老人ルートヴィヒによって書かれたものだが、そこには一八四二年に南の島で遭難して、トランプのカードが人の姿で動きまわる不思議な島に漂着した船乗りハンスの物語がつづられていた。その島には、その五十二年前(一七九◯年)に同じく遭難して漂着したフローデ老人が住んでいて、人の姿をしたトランプたちは、このフローデ老人の空想から生まれた存在だった。
 フローデ老人は、このトランプで歳月も数えていて、ハンスは、フローデ老人の遭難生活の五十二年目が終わり、トランプの五十三枚目にあたるジョーカーの年の幕開けに立ち合うことになる。ひとり孤高の存在であるジョーカーは、まさにトリックスター的な役割を担っていて、新しい年が明けたとき、カードたちが思い思いに語る謎の言葉をひとつの物語に織りあげていく。やがてその物語は、ハンス―トマスと父親二人の過去、現在、未来と奇妙な符号を見せ始める。
 豆本の物語はさらに続き、次なる五十二年目(一八九四年)、ドルフの村のパン屋ハンスは母親を失った少年アルベルトと出会い、その五十二年後(一九四六年)、アルベルトは脱走したドイツ兵ルートヴィヒに魔法の島の秘密をバトンタッチする。ハンス―トマスがルートヴィヒ老人から豆本をもらうのは、一九八八年。やはり五十二年後のことだ。
 運命の連鎖とでもいうのだろうか、フローデ老人によって引き起こされた物語は二◯◯年の時を越えて、ハンス―トマスと赤い糸でつながれる。しかもこの本自体が、五十二枚のカードにジョーカーを加えた五十三の章から構成された凝った作りなのだ。
 そして物語の蝶番となるのが、ジョーカーだ。そしてジョーカーのイメージは、ハンス―トマスやその父親にもオーバーラップしていき、最後にはどこか人間の象徴であるかのような印象を与える。
 作者の日本の読者へのあとがきに、「私たちも生まれたときは、この世を初めて見る『よそ者』でした。つまりジョーカーだったのです」という言葉があるが、これがこの作品の哲学のようだ。 (酒寄進一
週刊読書人 1996.5.17.
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