オリヴァ・トウィスト


ディケンズ:作 福原麟太郎:訳
山本蘭村:絵 東京創元社
世界少年少女文学全集33に収録 1839/1955

           
         
         
         
         
         
         
     
 読みはじめたが最後、おもしろくておもしろくてとめられない小説というものがあるものであるが、ディケンズ、25歳、24回にわたって(1837―1839)月刊雑誌に連載した『オリヴァ・トウィスト』もそうした数少ない小説の一つである。
 副題を「救貧院生まれの少年の生い立ち」とつけたように、オリヴァ・トウィストという少年の出生(行き倒れの若い婦人がお産をするところ)、人手に預けられて育ち、九才で救貧院戻ってくるところからはじまる。そこで、食事があまりに少ないので、もっとおかゆをくれと言いに行く者をきめるくじに当たったためになまいきといわれ小僧に出されてしまう。いった先はサファベリー葬儀屋、さまざまの極貧の死を見、兄小僧にいじめられ、嘲笑をうけ、ロンドンに逃走する。オリヴァの落ち着いた先はスリの親分フェイギン。ドジャーとベイツの二人について街道に出たオリヴァーは警察につかまるが、裁判をへてすった老紳士ブロウンロー氏にひきとられ、親切な老婦人の世話もあって人間性を取り戻す。しかし使いに出たところを悪童どもにつれ戻され、サイクス、ナンシ−もまじっての悪の教化をうける。盗賊に入った家でもオリヴァは家人に知らせようとしてピストルでうたれ、その家で世話になり、メイリー婦人とローズにかわいがられるが、まわりでまたも悪党が動きはじめる。オリヴァに味方するナンシーは仲間のサイクスに殺され、オリヴァをねらっていたモンクスを捕らえてみると 、オリヴァの義理の兄であることが判明、オリヴァの出生の秘密が明らかにされる。ブラウンロー氏の姉と婚約していたエドウィン・リーフォードは、その人に死なれ、政略結婚するがうまくいかず(そこにモンクスが生まれる)、退役軍人の娘アグネスと結婚するが重婚になるのでひたかくしにしている。政略結婚によってえた財産を残してエドウィンが亡くなったため、モンクスが悪党とくんでいたことがわかり、ローズが母の妹であることもわかってめでたく終わる。
 プロットだけ取り出していると、善と悪の対立という公式、二回のオリヴァの悪への協力は、相手が父の知りあい、母の妹の義母いう具合にあまりにも偶然の一致にすぎ、実は名のある家柄の子という終わり方など、陳腐そのものに読める。事実ディケンズは国民的大作家――様々の年齢、階層の読者に愛読されたことによって――という評価の一方で、一時期ではあったがビクトリア朝の俗物作家だと酷評もあったのである。
 チャールズ・ディケンズ(1812―1870)は、十九世紀人であった。父親が破産して、監獄に入ったため、チャールズは子ども時代に製○工場に働きにいったり、ロンドンのスラムでのくらしも経験している。(自伝的な小説であるといわれている『ディヴィッド・カッパーフィールド』(1850)が参考になる。)十九世紀のロンドンがどういう町であったのか、華やかさの影の部分、社会の矛盾やふきだまりの面が、ディケンズの小説を通じて浮かび上がってくる。「『オリヴァ・トウィスト』では、社会の悪や制度の矛盾が徹底的に攻撃されているが、それは例えば弱い者いじめの小役人バンブルとか、」ずる賢いフェイギンのように、あくまで個人によって代表され、そうした邪悪な個人がこれも善を代表する個人(たとえばブラウンロー氏)によって罰せられることによって、一切の問題は解決するのである。最後の章ですべての悪人は片がつき、善人は幸福になる。・・・・・ところが後期の作品になると、社会の悪は単に個人によって代表されるのではない。・・・・・いくら善意の作中人物が努力しても、社会機構そのものの悪はそう簡単に改まるものではない、という悲観的な考え がはっきりと読みとれる。」(小池滋・講談社文庫版の解説)というふうに浮かび上らせ方に質の変化はあるにしても、一貫して社会悪の問題と取り組んでいくのである。
 『オリヴァ・トウィスト』は、オリヴァという一人の主人公の成長物語ではない。また一見当時の流行のピカレスク小説(悪漢もの)の流れの中にあるようにみえてその範ちゅうにも入らない。オリヴァは最初登場してきたときから最後まで、悪には染まらない純真な子どものままである。相手や環境によって変化しないのである。オリヴァ自身の口を通して社会批判がなされることはない。いつもオリヴァは、倫理的に正しい価値基準にしたがって行動し、そのけなげさが、泥池の中のハスの花のような存在として印象づけられるようになっている。没個性といってもよく、ほとんど心理の揺れのないシンボリックな人物になっている。オリヴァが、悪の泥沼から善の温室に出入りすることで物語は進行するのであるが、読者に強く印象に残るのは、救貧院の情景、葬式の悲惨さ、フェイギンの隠れ家の状況、ナンシーを殺したあとのサイクスの壮絶な死への過程の方である。
 白いチョッキを着た肥った紳士たちからなる委員会、陳腐堕落した小役人や裁判官の世界などの体制と、体制にはくりこまれていない悪党ども、その二重の悪にかこまれているオリヴァの弱さはおかゆを求めて「お願いです。ぼく、もっと欲しいんです」といっただけで体制にたてつく危険人物としてそこからはじきだされてしまったオリヴァの姿にシンボリックによくあらわれている。
 ディケンズが、フェイギンのスリの練習場面をユーモラスに、楽しく書けば書くほど、ぞっとするものを感じるし、読み進むうちにその裏にうごめいている人間不信の底の深さにも気付いていくことになる。結末にオリヴァが幸福になることになっている物語にもかかわらず、また、ディケンズが表面的には、個人的な悪と個人的な善の対抗が、善の勝利に終ると書いているにもかかわらず、あまりに二重の悪の方が力強く描かれているので、オリヴァの背後に動くものの方を、読者がみつめざるをえない効果となって働いている。
 古めかしいセンチメンタルな道具立てにもかかわらず、『オリヴァ・トウィスト』が今日も新鮮で、息もつかせずおもしろくよめるのは、徹底した悪を追及する姿勢の激しさと、鮮やかさであると思われる。(三宅興子
世界児童文学100選(偕成社)
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