赤毛のゾラ

クルト・ヘルト

渡辺芳子訳 福武書店 1992


           
         
         
         
         
         
         
         
     
 まずなによりも、びっくりするような本の厚さに興味をおぼえた。七百頁を越しているのだ。それから、同じように厚かった『黒い兄弟』を思い出した。『黒い兄弟』は、煙突掃除夫に売られた少年の苦難の旅の物語だが、物語性豊かでその厚さを意識しないで読めた作品だった。この作品はどうだろうと、あとがきに目をやって、あっと驚いた。本書の作者のクルト・ヘルトと、『黒い兄弟』の作者のリザ・テツナーは夫婦だったというのだ。二人は一緒にドイツ国内を「語りべ」の旅をして歩いたという。第二次世界大戦中、ナチスに抵抗してスイスに亡命し、そこで、子どもたちを勇気づける物語を書き続け、そのなかの作品が、『黒い兄弟』であり、『赤毛のゾラ』だったというのだ。
 直接子どもたちにお話を聞かせた作者の作品ならば、読者をひっぱっていってくれるはずだと、期待して読みだした。そして、期待に違わず一気に読めた。 舞台はクロアチアの海辺の町、セーニ。十二歳のブランコは、ヴァイオリンひきの父さんは帰ってこず、母さんが死んで、ひとりぼっちになってしまう。訪ねていったお祖母さんには、「ひもじくなったら、盗みにいけ」と吹きこまれ、追いだされてしまう。ブランコは、落ちていた魚を拾ったところを泥棒呼ばわりされて、牢屋に入れられる。そこを助けてくれたのが、燃えるような赤毛の女の子ゾラで、ブランコはゾラの仲間になる。ゾラの仲間は四人で、ネハイ城をねぐらとし、自分たちを義賊といわれた海賊にちなんで「ウスコーケンの戦士」と呼んでいる。
 身よりもなく、食べ物を得る手段ももたないブランコたちは盗みもするが、子どもたちに食べ物を分けてくれる人もいる。やさしいパン屋のチュルチンや、中学生たちに襲われているのを子どもたちが助けてやった農家の若者シュティエパンなどだ。漁師のゴリアン爺は、ブランコたちに漁を手伝わせて、仕事にみあう報酬をくれる。しかし、ブランコたちの盗みを苦々しく思う、金持ちカラマンや市長イヴェコヴィッチたち町の権力者は子どもたちに懸賞金をかける。
 物語は一章ごとにスピーディにブランコたちのエピソードをつづり、巧みにエピソードをつなげて次第にブランコたちを追いつめていく。権力者の息子の中学生への仕返し、ひとり漁業会社にいどむゴリアン爺を助けてのマグロ漁、ばけものイカとの死闘、仲間割れ、市長に特大のマグロではなく死んだ犬を贈る話などだ。 市長に死んだ犬を贈ったことで懸賞金は二倍になり、居所もばれて、ブランコたちは絶対絶命になる。窮地をゴリアン爺の大演説が救う--子どもたちが盗みをするのは、盗みをせざるを得ないからで、責められるべきは、そういう立場に追いこんだ大人たちだと、いうのだ。胸のすく演説だ。ひとつだけブランコたちは、水門をあけコイを逃がし、ただごとではすまない大損害を粉屋に与えているが、これもマグロ漁で得た報酬で無事に弁償する。
 読者をひきつけるのは、筋の展開だけではない。ブランコ、ゾラ、その他三人の仲間の個性豊かな性格づけをはじめ、子どもたちを囲む大人たちも市長や警官まで悪役も含めて、みんな、忘れられない登場人物となっている。
 この作品の魅力は、長さをものともせず読ませる物語性とともに、読み終わって感じるほっとするあたたかさである。これは、ブランコたちの身のふりかたに見られるような、人間のあたたかさを信じる作者の人間観からきているのだと思う。この作品が半世紀も読みつがれ映画化されてもいる所以である。現在、この作品の舞台であるクロアチアは民族紛争の真っ直中にある。クルト・ヘルトに現在のクロアチアが想像できただろうか。一日も早く平和が訪れることを祈りたい。 (森恵子)
図書新聞1993年1月1日