気まぐれ図書室 (3)

西村醇子
──そんなカバな!──

           
         
         
         
         
         
         
    

新年のご挨拶をと思いましたが、時期的にはちょっと遅い。そこで、皆様には寒中お見舞い申し上げます。
今月の題を見て、なんて「ばかな」題だ、と思われたかもしれません。ひょっとして、竹内久美子氏の著書『そんなバカな!』から借りたのかな、と思ったあなた、あなたは鋭い。でも、主人公がカバの「ジョージとマーサ」というジェームズ・マーシャルのシリーズにちなんでいることも、おわかりいただけますよね。
マーシャルは1942年に生まれ、1992年に亡くなったアメリカの作家兼画家です。『20世紀児童文学作家事典』の作品リストを見ると、昔話の再話をしたり、ほかの作家の絵本にイラストをつけたりしています。つい最近も、ラッセル・ホーバンの作品で挿絵がマーシャルのものを見かけました。でも主力は幼年・低学年向けに、みずから絵と文をかいたものです。
彼の名前を聞いてすぐに浮かぶのは、妹には手を焼き、学校には苦労しているキツネのフォックスのシリーズや、ネズミを中心にさまざまな動物が登場し、ぴりっとした風刺と意外性に富んだ現代版イソップ風の『やねのうかれねずみ』とその続編『おつかれねずみ西部へいく』などです。ほかにフクロウ探偵のシリーズもありますが、これを読んだのはずいぶん前なので、内容までは覚えていません。
今回訳されたカバたちのシリーズも、なかなかとぼけた味わいです。
1月に『カバなふたりは きょうもいっしょ』(1972、以下『カバ』)と、『親友だって ひみつはひみつ』(1976、以下『親友』)の2冊が、続いて2月に『ちょっとのけんかも ときにはゆかい』(1980、以下『けんか』)と『やっぱりなかよし おかしなふたり』(1988、以下『なかよし』)が、いずれも安藤紀子訳、本体価格1300円で偕成社から出版されました。なお原書は7冊のシリーズでした。
最初に気に入ったのが、このなんとも楽しい書名です。4冊とも語呂がよく、読みたい気を起こさせてくれます。各巻にはそれぞれ5話ずつ収められていて、8ページから10ページがほぼ同じように展開します。つまりマーサ(またはジョージ)が、何かちょっとしたできごとにかかわる。それにたいし、ジョージ(またはマーサ)がコメントをし、「落ち」がつくというものです。マンネリになりそうなものですが、状況は変化に富み、また小道具と背景にほどこされた工夫が光っています。小道具についてはまた後で触れたいと思いますが、いずれにしろ、パターン化された展開は、読者にある種の安心感を与えています。
シリーズのもうひとつの魅力は、なんといってもカバというキャラクターゆえの、画面からはみ出そうなボリューム感です。どっしりしていて悪びれず「大きくて何が悪い」と言わんばかりの安定感が魅力です。幼児体型に似ているせいでしょうか。(だれです、中年体型そのものじゃないの、なんて言ったのは!?)
ジョージは、1巻目『カバ』の第5話「ジョージの金歯」で、ローラースケート中にすべって右の前歯を折ったときに、金歯を入れます。大好きな前歯がなくなってショックを受けたジョージ。するとマーサが、その歯を入れたジョージは「とってもハンサムでかっこいいわ」と言うので、ジョージも考え直します。以後この歯は彼のトレードマークとなっています。
一方マーサは、つねにスカート姿で登場しますが、そのトレードマークは、どうやら、左耳のうしろに挿している花一輪のようです(どうやって挿しているんでしょうね?)。『カバ』の表紙の花をつけたマーサがあんまり印象的だったので、第1話から花があったと思いこんでいました。でもジョージの場合と同様、マーサの花も、とちゅうから書き加えられた設定のようです。実際『親友』以後は、花ぬきのマーサは見られません。そして、おそらく生花だと思うのですが、マーサがしょげたりうなだれたりすると、花もそうなるのがご愛嬌です(例『なかよし』の「かっこう時計」)。
小道具では、壁にかかっている額縁が、文章にない、ちょっとした情報を補っているケースに気づきました。『カバ』に出てくる歯医者さんの名前は、筋には直接関係ないのですが、壁の額のおかげで「バック・マックトゥース歯科医院」だとわかります。また、『親友』でふたりがピクニックへ行く場所も、どうやら「バンカーヒル」らしいことが、壁の絵から推測できます。
はっとしたのが、『けんか』の献辞です。ほかの巻の献辞は「父」「母」「ジョージとセシル」宛てですが、『けんか』だけは「モーリス・センダックにささげる」となっていたのです。この巻の「ゆかいなプレゼント」にマーサが本屋に立ち寄る場面があります。背後の書棚には、「ブロンテ」「ジェイン・オースティン」といった英文学の作家だけでなく、「L・キャロル」「W・スタイグ」さらに「デンズロー」「A・ローベル」といった児童文学の作家・画家の名前があり、さらにひときわ大きく「センダック」という背文字が見えているではありませんか。前述の『20世紀作家事典』によりますと、マーシャルは、エドワード・ゴーリーとM・センダックの二人から大きな影響を受けており、それぞれ一冊ずつ本を捧げているのだそうです。
さて、このシリーズのテーマは何でしょうか。日常生活のなかのさまざまなシチュエーションで、「こんなときはどうする」「こういうときに大事なことはなに」を語っているものだと思います。ふたりは、外見を気にするほうですし、見栄を張って嘘をつくことがあります。さまざまな失敗もするし、誤解がもとでけんかをすることもあります。そのたびに、おたがいの言葉や、いろいろな行動によって解決していくのです。おそらく読者は、ふたりを見ていくうちに、知らず知らずに人間関係のノウハウを得ることでしょう。その意味では楽しめるマナー本だと言ってもよいでしょう。ふたりは、「言葉」「誠意」、そして「思いやり」のよさ、ありがたさを感じていますが、それは読んでいるわたしたちにも伝わってくるのです。
さきほど、マーシャルは低・中学年向きだと言いましたが、大人には楽しめないということではありません。むしろ、大人にも受けるユーモアが見られます。たとえばわたしが気に入った話のひとつ、『なかよし』の「親友ってのは…」を取り上げてみましょう。ジョージがマーサにホースで水をかける悪ふざけをします。被害者のマーサは腹をたて、けんかしたものの、その後仲直りが成立します。ところが最後のページは、翌年の同じ季節、今度はマーサがホースを手にしてじっとジョージを狙っている場面なのです。マーサは言葉では何も言っていませんが、読者にはその意図もわかるし、その後のふたりのやりとりも、予測できます。ここは、おそらく大人のほうがすっと理解できる、しゃれた終わり方と言えるでしょう。ほかにも、ときどき大人受けしそうな、くすぐりや皮肉があります。子どもに本を読んであげるのはいいけど、本がつまらなくて…とひそかに思っていた人にも、喜ばれそうな気がします。
なお、書いた時期が違うせいか、それともストーリーによって、全体の色使いを変えたということなのか、カバの体の色が、濃い灰色からかなり白っぽい色まで、一様でないことが目につきました。逆に言えば、長い年月をへて愛されたシリーズゆえに起きた変化かもしれません。

おまけのページ
2002年1月12日に、WOWOWチャンネルで、アメリカの児童文学作品が放映されたのに、お気づきになりましたか? 
原作はベラ・クリーバー&ビル・クリーバー『ゆりの花咲く谷間』(1969)で、翻訳は1973年に冨山房から出ていました。アパラチア山脈に住む貧乏な小作人の一家の子どもたちが、父の死後、孤児となったことを隠し、自分たちだけでやっていこうと奮闘する物語です。周囲に発覚すると、きょうだいがばらばらに孤児院へ入れられることを恐れたのです。
昔、この本を読んだときには、「暗い」「つらい」印象しか持たなかったようです。ところが去年、この作品を読み返す機会に恵まれ、批評についても調べてみました。そのとき、ハンフリー・カーペンターが、クリーバー夫妻は「ポリアンナ」のような明るさを発揮する従来の家族小説の少女像に疑問を抱き、こういう作品を書いたのではないか、と述べているのを見つけました。ポリアンナはご存知だと思いますが、エレナ・ポーター作の前向きなヒロインで、この名前から、底抜けに楽天的な人物を表す名詞がつくられ、辞書にのっているほどです。『ゆりの花咲く谷間』では、主人公のメアリ・コール・ルーサーが、頭の少し弱い夢見がちな姉をかばい、弟や妹を指図して、一家をまとめようとがんばります。確かにこういうところは、家庭小説のヒロインそのものです。
メアリはしっかりもので、計画性もあり、また機転もきく、頼もしい少女なのですが、生活費をかせぐためには心を鬼にしてきょうだいにつらくあたり、また金の亡者のようになってしまいます。けれどもメアリの流儀で行き詰まったとき、一家を救うのは、のんきにしか見えなかった姉でした。
確かにカーペンターの指摘は当たっていることでしょう。でも、父の遺志を継ぎ、土地にしがみついて生きようとした開拓女性ということを考えると、両者の年齢こそ異なりますが、ウィラ・キャザーの『おお、開拓者よ!』のヒロイン、アレクサンドラとの類似も気になります。キャザーの作品同様、この作品でもきょうだいの関係や、きびしい生活の実態がリアルに描かれているからです。ところが、批評のひとつで作家のウィリアム・サローヤンがほめているのに気づきました。そして、サローヤン自身が『人間喜劇』そのほかの作品で、つらいきびしい人生をユーモアをまじえて描いていることを思い出したとき、彼がこのふたりの作品に、同様のユーモアを見いだしたのではないか、という気がしてきました。
メアリは、偏見に満ちた、それゆえ信頼できない語り手です。それに気づけば、メアリの奮闘を距離を置いて眺めることになり、(メアリ本人はさぞかし憤慨するでしょうが)、端から見ている分には、滑稽味が感じられる…のではないでしょうか。
さて映画は、1974年制作(98分)のアメリカ映画でした。WOWOWのプログラムによると、「本邦未公開」だったとか。あいにく12日は気づくのが遅れ、途中から見ただけでした。しかも1月はこの日だけ。見逃した獲物を残念だと思っていたところ、2月には、2日、10日、20日と、計3回放送されるようです。この機会に、のぞいてみてください。
今回もそうですが、児童文学の映画化・テレビ映画化作品は、ひっそりといつのまにか上映・放映され、話題にもならずに…というケースがよくあります。
そして現在岩波書店から作品集が刊行中の、E・L・カニグズバーグにも、いくつか映画もしくはテレビ映画化された作品があるようです。(作品集は、これまでに9巻『十三歳の沈黙』、1巻『クローディアの秘密 ほんとうはひとつの話』2巻『魔女ジェニファとわたし ベーグル・チームの作戦』が刊行ずみ。)
かつてNHKで『なぞの娘キャロライン』のテレビ映画版(?)が放映されたので、それは見たことがあります。でも、『クローディアの秘密』(1967)の映画もあるそうですね。現代アメリカを代表する、すぐれた作家の作品集刊行にちなんで、いっしょに映画も見せてくれると、嬉しいのですが…。

前に書評を書いたゲアリー・ブラックウッドの『シェイクスピアを盗め!』の続編、『シェイクスピアの代作者』(安達まみ訳、白水社、本体価格1800円)が出ました。本を入手したばかりで、早く読みたくてうずうずしていますが、この「気まぐれ図書室」には間に合いませんでした。1冊目については、児童文学書評に転載済みですので、もし良かったらそちらをご覧下さい。(初出は週刊読書人、2001年4.13号) ではまた。