あとがき大全(11)

           
         
         
         
         
         
         
    

一 調べ物をするということ
 細かい調べ物が嫌いな人は翻訳なんかやらないほうがいい……というと、語弊があるかもしれないが、そういう人に翻訳はあまり向いていないのは確かだ。いままでずいぶん長いこと、バベル翻訳学院とかタトル・エージェンシーなんかで翻訳の講座を持ってきたけど、受講生の答案をみて何より腹立たしいのは、調べればすぐにわかることを調べていないこと。はなはだしいのは、登場人物の名前の発音が違っていたりする。「カレブ」とか「ラチェル」とか平気で書いてくる。三省堂の『固有名詞英語発音辞典』を引けば出てるのに。とにかく、辞書引けよ……といいたくなることがあまりに多い。いや、多すぎる。そういう訳例をみると、一気に血圧が上がってしまう。
 翻訳というのは、まず調べることから始まる。知らない単語を調べる、そして作品の舞台になっている時代や場所について調べる、作者について調べる……とにかく調べ物の山なのだ。それをこつこつとひとつずつ調べるのが面倒……という人はお願いだから、翻訳なんかやらないでほしい。みんなの迷惑だから。じつをいうと、ぼくはこの手の調べ物が嫌いで、あちこちに迷惑をかけていて、本当は翻訳なんかやらないほうがいいのだが、助けてくれる人がたくさんいるのでなんとか顰蹙をかわずにすんでいる。
 そもそも翻訳というのは、手間暇かけてなんぼ(にもならない)の、割に合わない仕事だと思う。下手すると、ファーストフードのアルバイトよりも時給は低いかもしれない。
 いきなり話は変わるが、もとあかね書房の編集者で現在、フリーで仕事をしている三浦さんは、児童書界では屈指の名編集者だと思う。数年前にアーティストハウスからヘミングウェイの『ケニア』を訳さないかという話があったとき、〆切があまりに近かったために(二ヶ月弱)、「三浦さんに編集でかんでもらえるなら、引き受けます」と条件をつけた。当時は三浦さんもそれほど忙しくなかったのか、快く(?)承知してくれて、いざ仕事がスタートしたのだが、この本がまことにやっかいな代物だった。というのも、最初渡されたのは草稿のコピー。じつはこの作品、ヘミングウェイがかなりの分量を書いたものの、結局まとめきれずに眠っていたものを、息子が編集して(かなり削って、つぎはぎしたらしい)一冊の本に仕上げたのだが、これがずいぶんいい加減。なんか、あちこち齟齬があって、こんな形にするくらいなら、親父さんが書いたものを編集なんかしないで、そのまま出してくれよといいたくなってしまう。しかしヘミングウェイ生誕百周年の記念の作品だし、もともとヘミングウェイは大好きだし……というわけで、必死に訳しつつも、本当にこれがそのまま出版されるのかどうか、とてもとても心配で、取り次ぎのユニ・エイジェンシーの長沢さん(ずいぶん昔からお世話になってます)に何度も、「お願いだから、英語版のゲラが出たら送って」とお願いしてあった。ところが、いっこうにゲラは送られてこなくて、そのまま息子の草稿を訳し続けていて、やがて、長沢さんがどこから入手したのか、ゲラを送ってくれた。で、開いてびっくり。草稿にある部分が削られていて、ない原稿が突っこまれていて……全体としてずいぶん長くなってて……こんなもん、〆切に間に合うわけないじゃん!。しかしここで仕事を投げてしまわないのが、ぼくの偉いところだと思う。もともと、この仕事は、ぼくがどんどん訳していって、それを斎藤さんと久慈さんと長滝谷さんに原文とつきあわせてもらい、それをまた三浦さんが編集する、という形で進めていたのだが、ここに、さらにもうひとり、野沢さんに加わってもらって、部分的に下訳をしてもらうことにした。つまり、三浦、斎藤、久慈、長滝谷、野沢という、もう二度と再現不可能なベストメンバーでとり組んだわけである。一大プロジェクトグループといっても過言ではない。
 もちろん、誤訳はある。そもそも誤訳のない翻訳はありえない。問題はそれが多いか少ないか、我慢できる範囲かどうかだろう。誤訳というのであれば、そのまえに、誤読という問題がある。たとえば、日本語で書かれた作品を、日本語を母語とする人が読んで、それを百パーセント理解することが可能かどうか。もちろん不可能に決まっている。そしてまた、誤読というのであれば、そのまえに、作者の書き間違い、勘違い、誤解という問題がある。作者が表現しようと思っていることが百パーセント過不足なく、その作品に表現できている……わけがない。となると、翻訳というものは、まあ大雑把に作品の内容が伝わっていれば、それでよしとする……というところで手を打ちましょう……というのが世間一般の共通了解事項だと思う(ということにしよう)
 そもそも、冒頭の引用の部分からして誤訳である。これはケニア在住の日本人の方からのご指摘で判明。
 これについても面白いエピソードがあり、ケニア在住の日本人の方が『ケニア』出版元のアーティストハウスに手紙を送ってくださった。何カ所か誤訳らしいものが目に付いたので……という、とてもとてもありがたいご指摘で、こちらは目から鱗が落ちるような気がした。すぐにお礼の手紙を書き、FAXを送り……するうちに、お互いのことも少しずつわかってきた。ケニア在住の方は、職をひいてのち、現在ナイロビで悠々自適の(?)生活をしていらっしゃって、プロのギャンブラーとのこと。じつは何を隠そう(といって、ぼくはちっとも知らなかったんだけど)、ブラック・ジャックには必勝法があるらしい。そしてそれはすでに公表されていて、本にもなっている……らしい。つまり、その必勝法をマスターしさえすれば必勝!……にもかかわらず、ブラック・ジャックが依然としてカシノにあるのは、その方法が非常に複雑だから……ということらしい。で、そんなこんなで、しばらくやりとりが続いた。そのうち、名古屋で文庫をしていらっしゃる下里さんがスワヒリ語を習っていて、ケニアにいく……というので、ぜひ会ってきて!……といって、その方の電話番号を知らせておいたら、ちゃんと会ってきてくださって……とまあ、この話は長いからそのうちまたゆっくり。
 閑話休題、この『ケニア』という作品、もともとヘミングウェイが書きなぐって放っておいたものを、息子が下手な編集をしてしまったせいで、英語版は正直言って、あちこち変である。しかしそれを日本語に訳すときに、かなり整合性に留意しながら訳したので、おそらく原書よりも読みやすくなっていると思う。
 ともあれ、この本の編集に当たってくれた三浦さん、あとで編集料を時間で割ってみたら、マックドナルドのバイトの時給よりも低かったらしい。申し訳ない。
 翻訳にはつきものの調べ物という話をしていて、時給の話題が出たので、『ケニア』を引き合いに出したのだが、これにはもうひとつ理由がある。
 『ケニア』を訳していて、途中から野沢さんに部分的に下訳をお願いしてすぐ、野沢さんから、「この本、翻訳あります」という爆弾メールが入った。そんなことはアーティストハウスの編集の浜本さんも知らなかったし、プロジェクトグループも知らなかった。そもそも、『ケニア』という本は今回初めて、日の目をみるわけで、アメリカにもそんな本があるはずがないのだ(もちろん、そのくらいは調べてある……というより、調べるまでもない)
 ところが日本にはその翻訳がある……?!
 じつはヘミングウェイが残したままだった原稿を四分の一ほどに削ってまとめ直したものが、アメリカで七十一年〜七十二年にかけて「スポーツ・イラストレイティッド」誌に三回に分けて掲載されたのだが、なんと、これがそのまま「ヘミングウェイ全集」(三笠書房)の第七巻に『アフリカ日記』として翻訳されていたのだ。アメリカでは、雑誌に掲載されただけで、単行本の形では出ていない。翻訳王国日本ならではの快挙というべきだろう。もちろん、この『アフリカ日記』は全体の四分の一くらいなので、分量的には『ケニア』よりもずっと少ない。しかしとても参考になった。ある部分は重なっているし、それに『ケニア』では削られていて『アフリカ日記』にはそのまま載っている部分もある。
 これは野沢さんのお手柄だった。野沢さんはヘミングウェイのアフリカ物を訳すにあたって参考にしようと、その関係のものを調べていって、これにぶつかったらしい。おそらく「ヘミングウェイ全集」の内容を第一巻からざっとみていったのだろう。
 というわけで、とにかく、調べるということは手間暇かかって大変だけれど、調べなくては始まらないということも確かだと思う。そして、調べていると思わぬ発見もあったりする。

二 調べ物をする
 ここでいきなりジム・ハリスンである。アメリカの現代作家で、今のところ翻訳は『突然の秋』『レジェンド・オブ・フォール』『死ぬにはもってこいの日』の三冊。どの本もろくに売れてないけど、ぼくはどれも大好き。こういう骨太の作品を書く作家はなかなかいるもんじゃない。吹けば飛ぶような軽い本ばかり読んでいると、たまにこういう重量感のある本を読みたくなる。そして、訳したくなる。
 そんなわけで、ジム・ハリスンの『神が創り忘れた獣』(アーティストハウスから出版の予定)という本を訳し終えたところ。はっきりいって文体は難しいし、翻訳は大変。四苦八苦してやっと訳し終えたものの、たぶん誤訳はごろごろあると思う。のっけから、こんな感じ。

The danger of civilization, of course, is that you will piss away your life on nonsense. The discounted sociologist, Jared Shmitz, who was packed off from Harvard to a minor religious college in Missouri before earning tenure when a portion of his doctoral dissertation was proven fraudulent, stated that in a culture in the seventh stage of rabid consumerism the peripheral always subsumes the core, and the core disappears to the point that very few of the citizenry can recall its precise nature...

まあ、あとも推して知るべし。さらに難しくなってくる。
 ところで、この本の冒頭に次のような引用がある。
"There is no road for the gods to offer you flowers. Yuanwu"
だいたい、こういう引用文は前後がないと、意味がまったくわからない。
「神々があなたに花を捧げる道はない」と訳したところで、なんのことだか見当がつかない。そもそも、作者らしい "Yuanwu" だって、このまま「ユアンウー」と訳すわけにはいかない。おそらく中国人なのだろうが。
 もし、自分が訳すことになった本にこの引用があったとして、どうやって調べます? 「神々があなたに花を捧げる道はない。 ユアンウー」とするわけにはいかない。
 これからどうやってこの引用文をつきとめたかを書いていくので、自分で調べてみたい方はこの先を読まないように……ま、そんな人はいないか。
 じつはぼくの使っているパソコンは現在、ちょっと困った状態にある。というのも、ISDNでネットを使っていたのだが、J=COMというケーブルTVの会社が常時接続のネットを始めたので、そちらに乗り換えたところ、なぜか息子のパソコンはつながるのに、肝腎の父親のパソコンがつながらない……まま、はや半年。腰を据えてセットアップなんかをやり直せばいいんだけど、その時間的心理的余裕がない。
 で、今回は翻訳で世話になっている人々に、さらに世話になることにして、めぼしい相手に片っ端からメールでお願いしてみた。
 すると、まず中村さん(J・T・リロイの作品の下訳者、『世界で一番愛しい人へ』というレーガンのラブレターの共訳者、今年は共訳でスーザン・プライスの『スターカーム・ハンドシェイク』が出る予定)から一報があった。「出典、わかりました。圜悟の『碧巌録』です」
 これは早かった! 感動である!
 というのも、そもそも、これは引用文にミスがあるうえに('way' が 'road' になっている。もしかしたら、こういう訳があるのかもしれないけど)、ぼくが作者の名前を間違えて「Yuannwu」と書き送ってしまったのだ。すでにこの段階で、中国からの留学生、王さんからチェックが入った。「中国語で『Yuannwu』という名前はないと思います。『Yuan-nwu』というふうに『wu』の頭に『n』がくることはないからです」 とまあ、この二重のミスをものともせず、正解を引き出した中村さんに、今回は脱帽。
 それにしても、どうやって、突きとめたのか、それが不思議で、メールできいたら、次のような返事がかえってきた。


受信メール
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差出人 :#中村浩美
送信日時:2002/04/05 11:19
題名 :RE^2:サンクス!

金原先生

出典の見当がまったくつかない場合は、まずインターネットで手当たり次第に調べて、手がかりをつかむようにしています。検索エンジンは、好んでGoogleを使っています。ヒット件数が多いし、画面がすっきりしていて見やすいので、わたしには便利です。
今回は、まず Yuannwu で調べてみたのですが、英語圏以外の固有名詞は、スペルにバリエーションがあったりして、なかなかヒットしないので、結局、地道に road gods offer flowers といったキーワードを適当に組み合わせて検索しました。上の4語では成果があがりませんでしたが、road の代わりに way を入れたら、アマゾンのサイトが引っかかり、Yuan-Wu 著の The Blue Cliff Record の紹介画面が出てきました。運よく表紙の写真に「碧巌集」の文字がみえたので、改めて「碧巌集」で検索しなおしました。
(「碧巌集」とも呼ばれるようですが、「碧巌録」のほうが一般的な呼び方で、邦訳もたいてい「碧巌録」というタイトルになっているみたいです。)
02/04/05(金) 11:06 中村浩美

 それにしても、'road' の代わりに 'way' を入れてみたというのがすごい。
 というわけで、出典は判明した。あとは、引用部分の確認だ。いざとなれば、なぜかタイトルだけは高校で習って覚えていた『碧巌録』(臨済宗の基本図書みたいなものだろ思う)を全部最初から読むという手もあるが、それは最後の手段にとっておきたい(もちろん、作者に、「これ、いったいどこから引用したの」と質問を送ってはあるのだが、ちゃんと返事がくる確証はないし、出版の予定もあるので、早ければ早いほうがいい)
 で、出典は『碧巌録』という情報をまた流してみたところ、今度は船渡さんが(PHPの育児書『「考える力のある子」が育つ、シンプルで確実な方法』の翻訳者)、すぐにさがしあててくださった。船渡さんがこの答えにいきつくまでの行程がとてもおもしろいので、何通かのメールをそのまま載せてみよう。


受信メール
題名 :Buddha.
Date: Sat, 6 Apr 2002 23:57:51 +0900
Subject: Buddha.

〈『碧巌録』?〉 ええ、それはですねぇ、なんて答えられたら、わたし、今ごろは瀬戸内〇〇ですわ。少なくとも、こんなに軽薄じゃないはずでしょ。だって、それ、なに? (もう教養ないのはバレてるから正直にいきます)って辞書ひきましたもの。
先生、今度はなんのお仕事してらっしゃるの! もう、守備範囲が広いというか、無限というか……・。ただ、友だちの知り合いに、お坊様がいらして、博学で立派な方らしいので、その方にFAXでおたずねしています。
宗派もわからないし、所在は徳島! ハハハでしょ。わたしが、メールを開けたのが夕方遅くだったし、相手がお留守かもしれなくて、いまだ返事はいただいてません。だめかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……もう、先生のほうでわかってらっしゃるならいいけど。
きっと、明日にはお返事がくると思います。
でも、すごく難しい質問。仏書の中身も熟知していて、英語もわかってないといけないでしょ。お役にたてるといいけど。たてなかったらごめんなさい。
それにしても、先生の仕事ぶりといったら!
もう、凡人のわたしはさっさと寝ます。オヤスミナサイ。
舩渡


受信メール
  送信日時:2002/04/07 21:16
題名 :RE: RE:Buddha.

今日は、お花見にいっちゃいました。
もどってきたら、徳島のお坊様から留守電とFAX(よく働いてくれてます! 買い換えてよかった)〈船渡さんのFAXはいつも具合が悪くて、ついこないだ、いい加減に買い換えた方がいいんじゃないかとぼくがメールを送ったので、そのことについてのコメント〉。ご自身は専門外だけれど、ということで「禅をきちんと修行している外国人のお坊さんがいます。火曜日の午前中まで不在ですが、それ以降になら答えてくれると思います。私からも連絡しておきます……」という返信でした。
今、徳島のお坊様とお電話でお話しました。彼自身は仙台にもいらした方です。友だちの話によると、いわゆるエリートサラリーマンの人生に疑問を持って仏門にはいったんですって。ご本人は高野山で修行なさったというから確かに専門外なのでしょう。でも、「この英語はどう訳されますか?」なんて聞かれて、しどろもどろに直訳でお答えしたら、『捻花微笑』……おしゃか様が大勢の弟子の前で無言で花を手折ったら、弟子のひとりが(ダイカショウとかいってた)笑ってうなずいた……たぶん、その章だろうって。さとり、とかなんとかおっしゃってました! 
ウワッーって感じ。もうお花見なんていう俗な気分はふっとんじゃいました。
『碧巌録』は岩波文庫とか講談社学術文庫に原典と現代語訳が出てるけれど、自分も確かじゃないから、時間が間に合えば、その外国人にきいたほうが絶対確かだろうって。そのお坊さんはポーランド人で、信頼できる確かな外国人坊さんですって。如玄ノバク老師という方で仙台在住。それで、わたしが、火曜日の午後に、そのポーランド坊さんにお電話さしあげることになりましたけれど、時間的には間に合いますよね。でもねえ、『碧巌録』さえ知らないわたしが、先生からのあの文だけで、正解に近いところにいけるかしら? 
ただ、面白そうだから、文庫本は買ってみますけど。それに、もしかしたら、そのポーランド人の庵に直接うかがうことになるかもしれないの。だって、日常会話はできて、簡単な漢字までは読めるけど、徳島の方がお会いした方がいいかもしれないっておっしゃるし。ま、電話次第ですね。ということでした。ぴたっと合えばいいけど。
先生のおかげで、わたしも教養がつきますね?!
舩渡


受信メール
送信日時:2002/04/09 20:53
Subject: hekiganroku: English version

第十六則、鏡清草裏の漢の導入文あたりの英訳文を(たぶん部厚い本から)メールにおこして送っていただいたものです。おこしたのは、如玄さんの奥様(ポーランド人)。例の箇所は、introductionの中、次のstoryのところから11行前にもどったところです。ちょっと、先生の持っている英文とちがうけど、原文にはどちらもあっているといえますよね? FAXで送付した日本語と照らしあわせてみてください。

The Blue Cliff Record
to awaken to their own living potential. Don't follow another's words; if your follow them, that indeed would be the moon in the churning rushing water. Right now, how will you find peace? I leave it up to you.16. The Man in the Weeds Introduction The Way has no byroads; one who stands on it is utterly alone . Truth is not seeing or hearing; words and thoughts are far removed from it. If you can penetrate through the forest of thorns and untie the bonds of the enlightened state, you attain the land of inner peace, where the gods have no way to offer flowers, where outsiders have no door to spy through. Then you work all day without ever work-ing, talk all day without ever talking; then you can unfold the device of breaking in and breaking out, and use the double-edged sword that kills and brings life, with freedom and independence. Even if you are thus, you must also know that within the medium of provisional expedients, there is lifting up with one hand and pressing down with one hand. Yet this still amounts only to a little bit. As for the fundamental matter, this has nothing to do with it. What about the fundamental matter? Story A monk asked Jingqing, "I am breaking out; I ask the teacher to break in." (Why raise waves where there's no wind? What do you want with so many views?) Jingqing said, "Can you live?" (A jab. He buys the hat to fit the head. He meets error with error. Every-one can't be this way.) The monk said, "If I weren't alive, I'd be laughed at by people." (He drags others into it. He's holding up the sky and supporting the earth, but he's one-sided.) Jingqing said, "You too are a man in the weeds." (After all. Take what's coming to you and get out. He can't be let go.)


受信メール

送信日時:2002/04/09 21:29
題名 :heikigannroku

これで正解ですよね!
つきとめられるかどうか不安だったので、見つかったときは興奮しました。如玄ノバクさんもそう。なんせ電話で、ふたりで1時間、あーだ、こーだ。ノバクさんは『碧巌録』の英訳本を、わたしは岩波を広げて。まずは、昨日のFAXはぺけです。お騒がせとジェットの無駄使い、ごめんなさい。ノバクさんとは、「『粘華微笑』は『碧巌録』にはありません」から始まりましたから。
先生の「the godsってだれ?」の質問のおかげで、入り口ができたようなもので、さすがです。ノバクさんによるとIndiaの神さま。でも、これがキリストともイスラムとも概念が違い全知全能ということはなく、悟りを開いたbuddhaの方が偉いんだそうです。なにせ、仏教では悟った人、目覚めた人が一番。そこで、先生の質問英文がある16則の導入部分も「悟った人の自由な行動を表している」すなわち、悟れば、心が安らかになる、ということらしいです。
はぁ〜。1時間これです。まあ、『碧巌録』なんてあるのも知らなかったわたしが、えらい進歩ですよね! ノバクさんは、丁寧な日本語だけど、わたしの質問には「ソウダヨ」ってカジュワルに答えるのでおかしいし、とんちんかんなことにも一生懸命答えてくれるので何でも図々しく聞いちゃいました。
ノバクさんも、最初は「何則かもわからない? ウ〜ン、ムズカシイ、ムズカシイデス」の連発。でも、それからFlowerにいって、20分わたしが休憩する間、彼はIndexで調べ方。そして、あったあ! です。
しかし、ポーランド人の禅の老師様と仏教のお話ではずむとは……わたしも老境に入ったということでしょうか……まさかぁ! です。徳島のお坊さんによると、ノバクさんはケーキ作りが得意らしいので、そのうち、やっぱり遊びにいってみましょ。ということで、少しはお役にたてたら、光栄です。
舩渡


 まあ、カジュアルなメールのやりとりなので、意味不明の箇所はいくつもあると思うけど、それを説明していると次にいけなくなるので、置いておこう。さて、このいきさつ、とてもおもしろいと思う。船渡さんというのは、翻訳をやっているぼくとほぼ同い年の女性だが、とてもおもしろい人。ついでに書いておくと、このあと船渡さんはそのポーランド人のお坊さんに会いにいってしまう……
 また、船渡さんたちがやっている翻訳の勉強会のメンバーで短編集を編もうという企画があって、もしかしたらこれが実現するかもしれない。乞うご期待!
 ところで、船渡さんからこの「ビンゴ!」のメール・FAXがきたとき、ぼくはつつじヶ丘の古本屋でちょうど岩波文庫の『碧巌録』の上巻を買って、しゃあない、読むかと決意して帰ったところだった。いや、とてもうれしかった。
 というわけで、ジム・ハリスンの引用は以下の通り。
・「諸天捧花無道」 圜悟(『碧巌録』第十六則)
 ちなみに、さっきの英語と岩波文庫を読み比べてみたところ、英語のほうがはるかに意味がわかりやすいことに気がついてしまった。まあ、それをいえば、『源氏物語』だって、英語のほうがずっと読みやすい。
 こうして、ジム・ハリスンの引用の件はめでたく幕を閉じた。
 いやあ、めでたい……と書くと、「なんだ、おまえは何も調べてないじゃないか」という非難の声が飛びそうだが、その通りである。ぼくは何も調べていない。しかし、いい仲間がいる。調べても調べてもだめな場合、あるいは調べようがない場合、あるいはネットが使えない場合……などなど……そういうときには、優秀な知り合いに頼む。翻訳に必要なものは、調べ物をするためのツール(道具)といろんな知り合いなのだ。

三 知り合い、仲間を大切に
 じつはジム・ハリスンの引用を調べていて、昔にも同じようなことがあったのを思い出した。それは、『異聞蝶々夫人』(マガジンハウス)を訳していたときのことだ。この本がまことに、またおもしろい。まあ一種の奇書というやつ。タイトルからもわかるように、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』のパロディ。蝶々夫人と息子を置いてアメリカに帰っていったピンカートンは、ケイトという女性の性の奴隷になり、日本に帰らないまま年月が去ってしまい、そしてケイトの死後、蝶々夫人なきあとの長崎にもどってきて仏門に入り、そこで被爆し、死を迎えることになる……という、なんかむちゃくちゃ変な話なんだけど、それなりによくできていて、ただのポルノとはちょっと趣がちがう。
 ところで、この本の最後のあたりに、これまた禅がらみの話が出てくる。
"Someone asked: What is Buddha? A shit-scraper, answered Ummon. A thing is itself, that's all, and its it-ness is the ultimate reality--or Buddha, divinity, God, call it what you like..."
「仏陀とはなにか?」という問いはよくわかるのだが、'shit-scraper' というのがわからない。まず普通の英和辞典には載っていない。これをみて、即座に、「糞掻き箆ですね」と教えてくれたのが久慈さん。まあ、いろんなことを知っている勘のいい人ではある。英語を読む力も日本語の表現力も人並みはずれて優れているのだが、ただ唯一の欠点は怠け者。優秀な人間によくあるタイプかもしれない。
 それはともかく、これでひとつはわかったが、もうひとつわからないのがある。'Ummon' って、いったい誰? 何者?(「アモン」? 宮本亜門? まさか)
 ちょうどこれを訳していたとき、玉川大学に英語を教えにいっていて、そのとき講師の控え室で一緒だったのが、同じく法政の大学院出身の五十嵐君。サリンジャーの研究をしていて、『禅とオートバイ』などの翻訳もある。本人、禅宗の修業をしている。たしか、ご両親が敬虔なクリスチャンで、本人は禅宗で、兄弟のひとりがノンポリで、もうひとりが創価学会という、家族団らんの場では決して宗教の話は出来ない一家だったと思う。それはともかく、五十嵐君にこの部分をみせたら、「ああ、雲門かあ」と一言。
 とまあ、このときも、ふたりの知り合いに助けてもらった。
 じつは仏教関係の英訳本というのは、ちょっと面倒である。なにが面倒かというと、中国語からの英語訳と日本語からの英語訳の両方があるからだ(最近は、これに加えて、ヒンドゥー語からの訳もある)。たとえば、'Yuan-Wu' (圜悟)というのは、中国語からの翻訳で、名前もそのまま中国語読み。日本語読みだと、もちろん「えんご」。それに対し 'Ummon' というのは、日本語からの翻訳で、名前は日本語読み。中国語読みだと 'Yunmen'。もちろん圜悟も雲門も中国のお坊さん。なら、中国語読みで統一すればいいだろうということになりそうだが、アメリカの50年代から60年代、禅が一大ブームになったとき、読まれた英訳本の多くは鈴木大拙の手によるものだった。
 鈴木大拙は金沢出身で、本名、鈴木貞太郎。西田幾太郎、藤岡作太郎とともに加賀の三太郎と呼ばれた(らしい)。有名な仏教哲学者で、1897年に渡米。そこで老子や仏教の英訳本を次々に出す。それはすさまじい数である。そしてユング、ハイデガー、ビートニクの作家・詩人、ジョン・ケージなどなど、Daisetz の著作を高く評価している思想家、作家、詩人、ミュージシャンは少なくない。'koan' 'zazen' などの日本語の禅用語を英語に定着させたのも大拙である。英語圏における大拙の影響はとても大きい(なんせ、今でもアマゾン・コムをのぞけば、四十作近くの著作が手にはいることがわかる)。仏教の人名に関して英語圏でも日本語読みがかなりまかり通っているのは、こういう背景があるからだと思う。
 しかし、南方熊楠といい、鈴木大拙とい、昔はすごい人がいたもんだと思う。

四 あとがき
 というわけで、今回のあとがきは、『ケニア』と『異聞蝶々夫人』のふたつです。


   『ケニア』訳者あとがき
 今世紀のアメリカを代表する最もアメリカ的な作家といえば、やはりへミングウェイだろう。フォークナーもフイッツジェラルドも、へミングウェイに比べるといささか影が薄い。そのへミングウェイの未完の遺作が出版の運びとなった。それも生誕百周年を記念して、彼の誕生日である一九九九年七月二十一日に。今世紀はまだあと一年半あるが、これを「今世紀最後の文学的事件」と呼ぶのに異を唱える人はあまりいないと思う。  四月二十一日の「ニューズウィーク」誌によれば、これはへミングウェイが一九五五年〜五六年にかけて書きあげた(というより書き飛ばした)八百枚あまりの原稿を息子のパトリックが三分の一ほどを削ってまとめたものらしい。もっとも、もとの原稿を四分の一ほどにまとめたものが七十一年〜七十二年に「スポーツ・イラストレイテイッド」誌に三回に分けて掲載されている。
『ケニア』というこの作品、ひと言でまとめてしまえば、五十三年のケニアにおけるサファリ体験を小説に仕立てたもので、作者へミングウェイも、同行した妻のメアリもほかの人物もすベて実名で登場する。その意味では日記か回想録に近い。
中心になっているのは、メアリのライオン狩り、へミングウェイとメアリと現地の娘ディバの三角関係だ。そしてケニア、サファリ、現地の人々との触れ合い、わがままで身勝手で生意気だけれどもなぜかかわいいメアリ、彼女に翻弄されつつそれを楽しんでいるへミングウェイなどが、じつに鮮やかに生き生きと描かれている。へミングウェイの作品のなかで、これほどアフリカが魅力的に描かれたものはない。またこれほど女性が愛らしく描かれたものも、これほど満ち足りた主人公が描かれたものもないだろう。そういった意味では、この作品はへミングウェイの多くの作品群のなかで、舞台の位置のみならず内容からしても、最南に位置するものといってもいいかもしれない。
 また所々に顔を出す、過去の回想、とくにパリの想い出や、ヴェネチアのへンリー・ジェイムズ、D・H・ロレンスやジョルジュ・シムノンの作品に対する言及や、ジョージ・オーウェルとの接触など、へミングウェイ・ファンのみならず二十世紀文学に興味のある読者にとって興味深いものが多いと思う。それから、自分の飼っていた馬を撃ち殺す場面をはじめ、そのまま短編小説にもなりそうなくらいに密度の高いエピソードもいくつかあり、これも楽しみのひとつだ。
 しかしなにより面白いのは、この作品が、事実をもとに書かれているものの、全体としてフィクションになっているところだろう。メアリが仕留めようとするのは事実とは違って、「黒いたてがみの巨大なライオン」であり、作中のへミングウェイは実際のへミングウェイが書いてもいない作品を自分の作品としてあげて云々している。そのうえ、次の科白だ。
「小説家だってことは、わたしも嘘つきってことだし、自分の知っていることやきいたことからいろんなものをでっちあげているわけだ。わたしは嘘つきさ。わたしがいいたいのはわたしは真実以上の真実を作りあげているということなんだ。腕のいい作家と悪い作家の違いはそこに出てくる。たとえばわたしが一人称で小説を書くと、批評家たちはいまでも、わたしにそういう事実はなかったと証明したがる。しかしこんなばかばかしい話はない。ダニエル。デフォーはロビンソン・クルーソーではないから、あの本は駄作であるといっているようなもんだ」
となると、さきほど書いた回想とかほかの作家に対する考えとか、メアリの造形そのものまでフィクションという枠のなかに入ってしまう。いや、作品中で引用される、へミングウェイ弾劾の投書も、ディバという娘の存在も、みんな疑問符がついてしまう。
これをメタフィクションとかといってことさら堅苦しく論じるつもりはまったくない。おそらくヘミングウェイは、にやにやしながらこれを書いたのだろう。そしていまも天国でにやにやしながら、この未完の作品がアメリカと日本で同時に出版されるのをながめているのだろう。結局、自分の手で完成させることはなかったものの、へミングウェイ自身、最も楽しみながら書いた作品であることは間違いないと思う。
どうかその楽しい世界を存分に楽しんでいただきたい。

 ここで、おわびをひとつ。じつはこの作品、文章そのものはへミングウェイの未完成の原稿を息子のパトリックがほほ元のまま用いられているらしく、明らかに文法的に誤りのあるものや、意味が通らない部分や、前後でつじつまのあわない箇所や、作者の思い違いとしか考えられないところなどが、少なからずある。それに関してはできる限り、無理のないような形に整えておいた。もちろん、訳者の思い違いもあるだろうし、時間の制約があったうえにアメリカでゲラ段階での大幅な原稿の差しかえもあり、調ベがついていない箇所や不明のままの箇所もいくつかある。どうかご寛恕いただきたい。
 また「スポーツ・イラストレイティッド」に掲載されたものは、七十四年、「へミングウェイ全集」(三笠書房)の第七巻に『アフリカ日記』として翻訳されている。訳者の岡田さんは、あとがきで次のように述べておられる。
「翻訳に当たっては、男女の会話の回数が合わない部分や、明らかな誤植、否定の単語が明らかに抜けていると思われる所など、そのままでは訳すことが出来ないか、あるいはあまりにも不必要な混乱を招くような点は、いちいち注をつけてはあまりにわずらわしいので敢えて訳者の責任において修正したが……読者をただちに悩ませるに相違ない点を多々放置せざるを得なかった。そのような事情に訳者の非力が加わって、きわめて読めない訳文を生産してしまったものとひたすら恐れている」
この翻訳の存在を知ったのは訳了間際でじっくり読む時間がなかったが、何カ所か参考にさせていただいた。この場を借りてお礼を申しあげたい。しかしここまで削られたものを(ほぼ原型をとどめていないといってもよく、アメリカで雑誌に掲載されたときジョウン・ディディオンなどが辛い評価をくだしているのも無理はない〉、二十五年前にここまで訳されたというのは驚くほかない。翻訳者としてとてもすぐれた方であったのだろう。
  ヘミングウェイの誕生日に間にあわせるため、この作品を翻訳するのに与えられた期間は二ヶ月弱。非常に窮屈なスケジュールでこれを仕あげるために、多くの方々にお世話になった。とくに編集の三浦さんと浜本さん、原文とのつきあわせをしてくださった斎藤さんと久慈さんと長滝谷さん、部分的に下訳をしてくださった野沢さんには本当に感謝の言葉がない。
 さらに突然のお願いにもかかわらず、快くへミングウェイの狩猟に関する詳しい資料をまとめてくださった東京女子大学の今村楯夫教授にも、心からお礼を申しあげたい。
 その他多くの方々のご協力により、日本版の『ケニア』はアメリカ版よりもかなり読みやすく、楽しいものになったのではないかと自負している。へミングウェィの大ファンとしては、これをきっかけに、ヘミングウェイの作品がさらに多くの読者に読まれることを祈るばかりである。
                    一九九九年六月二十六日    金原瑞人


   『蝶々夫人異聞』訳者あとがき
 簡単にいってしまうと、『O嬢の物語』×『フランス軍中尉の女』×『バタフライ』なのである。つまりポルノ風の現代小説、あるいは現代小説風のポルノといった感じの本なのだが、ポルノというにはあまりにストーリーと構成がしつかりしすぎているし、現代小説というにはエロティックな雰囲気があまりに濃密で、かつあまりに面白すぎる、とまあ、そんな小説なのだ。
 そのうえ、読んだ方にはもうおわかりと思うが、ストーリーそのものもなかなか感動的で、ただのエンタテイメントと呼んでしまうには、ちょっと惜しい、なにか心に迫ってくるものがある心憎い異色作、と一言付け加えておかなくてはならない。
 いうまでもなくこの作品のもとになっているのはプッチーニの有名なオペラ『蝶々夫人』なのだが、オペラでは、ピンカートンに捨てられて自殺してしまう蝶々さんが主人公になっているのにたいし、この作品ではピンカートンが主人公になっていて、なぜピンカートンが、あれほど愛していた蝶々さんを捨てることになってしまったのかというところに焦点があてられている。つまり「すぐにもどってくるから」と約束して蝶々さんを置いてアメリカに帰国したピンカートンとケイトとの関係がこの小説の中心となっているわけである。
 それにしても、これを訳しながら何度も考えたのだが、いったい読者はどの人物に共感するのだろう。ピン力ートンか、ケイトか、バタフライか。というのも、そのどれもが鮮ゃかにしっかり描かれていて、すこぶる魅力的なのだ。堕落と退廃の道を一気に転がり落ちていくピンカートンも、悪魔的でそれでいてなぜか憎めないケイトも、そしてなんとも日本的な(?)バタフライも。そういえば、なんとも官能的なマリカも印象的だ。
 それにピンカートンの心理描写の細かくて鮮やかなこと! そしてそれがそのまま、ちょうど十九世紀頃の心理小説のパロディになっているというのもまた面白い。
 本書は、作者のパウル・ラーヴェン自身が蝶々さんのモデルになった女性の孫である、という設定で書かれている。はたしてそれが事実であるのか、あるいは単なる設定にすぎないのか、ほんとうのところはわからない。作者については、ドイツ生まれで現在フランスに住んでいる、ということ以外、詳しい情報が入ってこないのだ。
 最後に一言。
 この作品を訳すにあたり、ページ数の制限があったため、場面によっては要約の形にしたり、重複する部分や本筋からあまりにはずれた部分を削除したりして、全体としてかなり短いものにした。しかしその点に関して、訳者としてはあまり心配していない。この作品の唯一の欠点である「くどさ」が解消され、削ったというよりはシェイプアップしたという感じになっていると信じている。嘘だと思われる方は遠慮なく原書と読み較ベていただきたい。