あとがき大全  7

金原瑞人

           
         
         
         
         
         
         
    
一 おわび
 ええ、この一週間ほど難解な風邪をひきこんでしまい、半死半生の態、昨夜は蒲団にもぐった途端に激しい咳に襲われ、ほとんど眠れず、そのまま今日は朝一限の授業に……というわけで、翻訳のことについて書くのはやめにして、来年に回します……というのは、ただの言い訳で、ちょっと材料集めに手間取ったため次回に……というのが本音。そのかわりに、ファンタジーの話でもきいてやってください。『ハリー・ポッター』の映画もきてるし、来年は『指輪物語』の映画もくるし、タイムリーではあります……というのも一種の言い訳で、こないだ大学の「文学」の講義でファンタジーの話をしたので、それをただまとめてお茶を濁そうというだけの話なのですが……

二 ファンタジー
 「あとがき大全」の二回目か三回目で、十八世紀のイギリスに小説という新しい文学ジャンルが誕生するという話を書いた。この「novel」、もう少しこだわって訳すと「近代リアリズム小説」ということになる。十八世紀を代表する『ロビンソン・クルーソー』『パメラ』『トム・ジョーンズ』『トリストラム・シャンディ』といった作品は、近代に生きる、固有名詞を持つ登場人物が織りなす、写実的な散文だった。そしてこの流れは十九世紀の小説家に引き継がれ、さらに二十世紀のジェイムズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフなど「意識の流れ」と呼ばれる作家たちを生み出す。
 『イギリス文学史』とか『イギリス小説史』などといった本を読むと、こういう流れが細かく書かれているし、大学の英文科で教える小説もほぼ、この流れに収まっている。しかしこの大河のような流れとは別に、あとふたつ大きな流れがある。ひとつは十八世紀の中頃から登場してくる「ゴシックロマンス」(恐怖小説)で、もうひとつは十九世中頃から形を整え始める児童文学。どちらも、いわゆる権威的な英文学からはほとんど相手にされないジャンルである。その証拠にゴシックロマンスや児童文学にしかるべき分量を割いている『英文学史』はまだ見たことがない。
 しかしこのふたつは、現代文学を語る上で決して忘れてはならない(と思う)。ゴシックロマンスの流れは本国イギリスでは軽視されていたが、十九世紀、アメリカ・ルネッサンス三羽ガラスと称されるナサニエル・ホーソン(『緋文字』など)、エドガー・アラン・ポー(『黒猫』など)、ハーマン・メルヴィル(『白鯨』など)らに受け継がれ、二十世紀アメリカ南部の女流作家、ウィラ・キャザー、カースン・マッカラーズ、キャサリン・アン・ポーターへ、さらにウィリアム・フォークナー、P・H・ラヴクラフト、スティーヴン・キングまで連綿と続いていく。
 そして児童文学のほうは、鬼っ子ともいえる『不思議の国のアリス』が多くの現代作家に影響を与えているし(たとえば、ぼくが去年訳した『サラ:神に背いた少年』や、これから訳すことになっている『Tideland』も、『アリス』を彷彿とさせる)、二十世紀の後半になってからはファンタジーが非常に強力なジャンルとして世界を席巻していく。今回はこのファンタジーについて簡単にまとめてみようと思うが、そのまえにウィリアム・ゴドウィン(一七五六〜一八三六年)というイギリス人を紹介しておこう。
 まず奥さんがすごい。メアリー・ウルストンクラフト。今でいえばウーマンリヴの闘士ともいうべき女権拡張運動家。で、ゴドウィンはというと、これがまた過激な自由主義者にして作家。そして『ケイレブ・ウィリアムズ』というゴシックロマンスを書く。この作品、文学史などでは「革命主義的問題小説の先駆」などと解説されていたりするが、なんの、立派なスリラーであり立派なゴシックロマンスである。そしてこのゴドウィンとメアリーとの間に娘が生まれる。名前は母親とまったく同じメアリー・ウルストンクラフト(欧米ではこういった例はそう珍しくなく、たとえばカート・ヴォネガットもそうで、父親が死ぬまではカート・ヴォネガット・ジュニアという名前だった。たしかヴォネガットだったか、いつも自分にきた手紙まで親父に開封されてしまうという話をどこかに書いていた)。この娘のほうのメアリーは、当時有名だったロマン派の詩人パーシー・ビッシー・シェリーの二番目の奥さんになるのだが、正式に結婚する前にシェリーといっしょにスイスに遊びにいく。行き先は、これもロマン派の詩人バイロンの別荘。さて、この別荘で、バイロン、シェリー、メアリーの三人が顔を合わせ、暇つぶしに(といったかどうかは定かでないが)、「ドイツで流行っているという恐怖小説をそれぞれ書いてみようではないか」といういうことになった。このときメアリーが書いたのがゴシックロマンスの傑作として現代でも有名な『フランケンシュタイン』(一八一八年)である。そしてこのときバイロンの侍医としてその場に居合わせたジョン・ポリドリがのちに書いたのが『ヴァンパイア(吸血鬼)』というこれまたゴシックロマンスの傑作だった。まあ、このへんのことは『ヤングアダルト読書案内』(晶文社)で少し長めに書いておいたので、興味のある方は読んでみてほしい。
 さて話はメアリーの父親、ゴドウィンにもどる。彼は自由主義者であり、運動家であり、また出版者でもあった。そして社会改革のためには子どもの教育をと考え、子どものための本を出版する。たとえば、チャールズ・ラムを口説いて子どものために『シェイクスピア物語』などを書かして出版したり(チャールズ・ラムをゴドウィンに紹介したのは、これまたロマン派の詩人であるコールリッジ)、自分でも子ども向けの本を書いて出版したりしている。
 つまり、イギリス文学の大きな傍流二本であるゴシックロマンスと児童文学がゴドウィンのところで交叉しているのだ。だからなんだ……と問われると困るが、ともかく、ゴドウィンという人間、ゴシックロマンスを語るうえでも児童文学を語るうえでも忘れてはならないから、覚えておいて欲しいということ。
 そろそろファンタジーに話を移そう。このようにして十八世紀末から、イギリスで児童文学がぼつぼつ姿を現す。そしてチャールズ・キングズリーの『水の子』(一八六三年)、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(一八六五年)が登場し、いよいよ子ども向けのファンタジーがその足場を固めることになる。そのあとは『ピーターパンとウェンディ』(一九0四年初演)『たのしい川べ』(一九0八年)『クマのプーさん』(一九二六年)『メアリー・ポピンズ』(一九三四年)などと続いていく。
 ところで面白いことに、「ファンタジー」という言葉がこういう作品を指して呼ばれるようになるのは意外と最近なのだ。『オクスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー』によると、ファンタジーというのはギリシア・ラテン語の「phantasia」(考え、概念、イメージ)からきていて、英語でも「感覚器によって心に焼き付けられたイメージ」「幽霊、亡霊」「幻想、幻影」「意識的・無意識的な願望から生まれた白昼夢」「気まぐれ」といった説明はあるものの、『指輪物語』のようなファンタスティックな小説の意味は載ってない。そしてまた、『ランダムハウス』を引くと、文学作品で「ファンタジー」というとポーなどの恐怖・幻想小説をいうということがわかる。では、一体いつ頃から現代われわれがよく使う意味で「ファンタジー」という言葉が使われるようになったのだろう……と書くと、答えを知っていると思われるかもしれないが、じつはよく知らない。知っている人がいたら教えて欲しい。
 じつは「ファンタジー」という言葉は、現在は日本でもごく一般に使われているのだが、日本に定着したのもそんなに昔ではない。たとえば、偕成社から出ている『児童文学の世界』のなかにこんな一節がある。
「佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』(昭和三十四年・講談社)は、いまや日本の代表的なファンタジーとして知られていますが、当時、この作品をファンタジーと呼ぶ人は少なく、すぐれた空想物語、あるいは伝説物語というのが一般的な認識でした」
 そしてこのあとに、その理由が述べられているのだが、それ以前の問題として、そもそも当時の日本ではまだ「ファンタジー」という言葉が根づいていなかったはずである。もちろんイギリス児童文学を専門に研究していた人々なら「ファンタジー」という言葉は知っていただろうが、その時点での「ファンタジー」は現代のわれわれが使っている意味とは少し違っていた。つまり、「非現実的、幻想的な要素を含む小説」あるいは、「幻想的なテーマを扱った文学作品」(『日本国語大辞典』)という意味で使っていたわけで、「アッシャー家の崩壊」も『不思議の国のアリス』も『砂男』も『床下の小人たち』もみんな一緒にして「ファンタジー」と呼んでいたわけである。さらにいえば、今回最初のほうで紹介したゴシックロマンス、つまり『フランケンシュタイン』『ヴァンパイア』『吸血鬼カーミラ』『吸血鬼ドラキュラ』なども由緒正しいファンタジーだったのだ。つまり、かつては文学的ジャンルである「ファンタジー」のなかのごく一部を、児童文学のファンタジーが占めていたにすぎなかったのだ。しかし今の日本では『ファンタジー』といえば、『指輪物語』であり『ゲド戦記』であり『ハリー・ポッター』であり『ドラゴン・クエスト』であり『ファイナル・ファンタジー』である。そこにポーやホフマンやリラダンやユイスマンスやブラム・ストーカーの幻想小説を含める人間はいない。つまり昔の「ファンタジー」のなかの児童文学ファンタジーが、その他のファンタジーを「怪奇幻想小説」というジャンルとして押し出してしまい、この名称を独占してしまったといってもいいだろう。それは英米でも同じらしい……ここで「らしい」と弱気に出たのは、英米の若者数人にしかきいていないから。
 では、「ファンタジー」という言葉はいつ、「幻想的なテーマを扱った文学作品」という意味の広がりを失って、現在のような狭義の意味にしか使われなくなったのか。それは多くの国々をファンタジー・ブームに巻きこんだ作品が出たときだろう。そしてそれは、長いこと小学校や図書館の児童室の棚につつましく置かれていた児童文学のファンタジーが一般書の棚にまで進出したときだろう。
 そのきっかけになった事件は、一九六四年のアメリカで起こった。『指輪物語』のペーパーバックが出版されて、当時のヤングアダルトに一大ブームを起こしたのである。その中心となったのは高校生、大学生。このブームは年々大きく広がっていき、大学生からさらに一般読者までを巻きこんでいき、やがてアメリカの大学で「英文学」の授業でも取り上げられるようになる。そして七十年代、アメリカの図書館において、『指輪物語』は児童書の棚にも、ヤングアダルトの棚にも、一般書の棚にも並ぶことになる。いうまでもなくこのブームは日本にもそのまま輸入された。
 おそらく、今われわれが使っているような意味での「ファンタジー」という言葉が定着するようになったのはこの『指輪物語』のブームが最大の原因だと思う。これがなかったら、おそらくル=グインの『ゲド戦記』は生まれず(ル=グインは、『指輪』に登場する魔法使いガンダルフが少年時代どんなふうだったのだろうと考えて、ゲドを創造したと述べている)、おそらくエンデもファンタジーを書かず、『ハリー・ポッター』の登場もなかったはずだ。
 アメリカから多くの国々に広がっていった『指輪』のブームは、すぐに多くの優れたファンタジー作家を生み出すことになる。英米でいえば、アーシュラ・K・ル=グイン、ピーター・ビーグル、ステファン・ドナルドソン、アン・マキャフリー、パトリシア・マキリップ……などなど数え上げればきりがない……が、このブームもやがておさまり、新人大物作家がしばらく登場しない状況が続く。つまりファンタジーの沈滞化していったわけだ。それは日本でも同じで、早川FT文庫も断ち切れになってしまう。そんななかに切り込んできたのがドイツのエンデだろう。しかしエンデの場合、エンデのブームにはなったものの、ファンタジーそのものの活性化にはつながらなかった。だからぼくが出版者にファンタジーを持っていっても、「ファンタジーは売れないからなあ」といわれ続ける状態がかなり続いていた。そしてやっと『ハリー・ポッター』の登場。ファンタジーは再び大ブームとなり、それに刺激されて一気に多くのファンタジー作家が登場してきた。とりあえず、めでたい。

 とまあ、こんなふうな内容のことを大学で、約八十分くらいでしゃべったのだが、その講義の資料を集めているとき、なんと自分が大学院のときに書いた『指輪』の論文が出てきた。今回は「翻訳の話」も「昔の話」もやめて、ファンタジーの話をしたいと思うので、その論文を掲載してみる。興味のある方はどうぞ読んでみてください。今読み直すと、ずいぶんいい加減なところも多々あるけど、まあ、約二十年前の論文、手直しするのも面倒なので、そのまま。

三 『指輪物語』の論文(二十年前のものを発掘)
「ヒーローとアンチヒーローと――『指輪物語』におけるフロドを中心に」
金原 瑞人

 リアリズム小説を一応の核としながら、ゴシックロマンス、ヌーボーロマン、ノンフィクションノベル等、種々雑多な要素をはらみつつ成長し続ける小説というジャンルは現在もう捉え所がない程大きくなってしまっているが、この小説というジャンルの一角に根をおろし、いま着実にその領域を広げつつあるジャンルの一つがファンタジーであることは論をまたない。そして、文学の一ジャンルとしてのファンタジーが現代小説の一員としての市民権を得るのに最も貢献した作家がJ.R.R.トルキンであることもまた論をまたない。
ある人はチャールズ・キングズリーの『水の子』の、またある人はC.S.ルイスの『ナルニア国物語』の重要性を主張するかもしれないが、大人も充分に楽しめる文学の一形態としてのファンタジーの可能性を広く世界の人々に認識させたのはトルキンであり、『指輪物語』以前と以後のファンタジーは大きく異なっている。このことはこれからこの作品の独自性を述べてゆくうちに明らかになると思われるが、とりあえずここでトルキン以後のヤングアダルトを中心に読まれているファンタジーをモダンファンタジーと呼ぶことにしよう。
1950年代半ばに出版されてかなりの人気を呼んだ『指輪物語』(The Lord of the Rings)は、64年にアメリカでペーパーバック版で出版されると暴力的ともいえる勢いで大学生と高校生の間に広がっていった。時はちょうど学生運動がアメリカ全土をおおい、体制に背を向けた若者たちが精神のリベラリズムを合言葉にヒッピーとなって各地を放浪し、ベトナム戦争が資本主義大国アメリカの多くの矛盾を暴き出したあの60年代半ばである。
 音楽の方面では、ビル・ヘイリー、エルビス・プレスリーの後をうけてビートルズ、ボブ・ディランが登場してロックを一躍トータルな文化として確立してしまう。演劇の方面では、実験劇、コラージュ的演劇、パントマイム等が注目を集め、オープンシアター、パフォーマンスグループ等が演劇を徹底的に解体してゆく。またロックとミュージカルが見事に融合した『ヘアー』や『ジーザズ・クライスト・スーパースター』(両方とも初演はイギリス)が上演されるのもこのすぐ後である。
 そしてこれらの若者達の運動を大衆的な文学の方面で支えたユニークな小説が『指輪物語』であり、ハインラインの異色SF『異星の客』である。後者は現在、当時ほどの人気はないが、これら二つの小説の第一の共通点が新しいヒーローの創造であったことは重要である。そして『指輪物語』の後、やはりヤングアダルトを中心に読者層を大きく広げてきているモダンファンタジーの大作、アーシュラ・K.ル・グインの『ゲド戦記』(The Earthsea Trilogy)とリチャード・アダムスの『ウォーターシップダウンのうさぎたち』(Watership Down)が共にヒロイックファンタジーであることもまた重要である。それは激動する世界のなかで既成の価値観に強い不信を抱きながら自分たちの新しいヒーローを希求していた当時の、いや現代の若者達の気持ちをはっきりと証拠づけているからである。
 さて以上のような時代を背景に登場し、現在なお多くの人々に読みつがれている『指輪物語』であるが、他のファンタジーと違い、この作品についてはかなり多くの批評が書かれている。古いところでは『トルキンとその批評家達』(Tolkien and the Critics,eds.Neil D.Isaacs and Rose Zimbardo,1968)や『トルキンの世界』(Tolkien:A Look Behind The Lord of the Rings,Lin Carter,1969)新しいところでは『トルキン・コンパニオン』(The Tolkien Companion,J.E.A.Tyler,1976)などがあり、伝記としては『トルキン』(Tolkien,Humphrey Carpenter,1977)が出版されている。
 これらの批評は『指輪物語』がいかに多くの問題を含んでいるか、いかに現代小説としての豊かさと深さを備えているかということを改めて教えてくれるという点で有難いものではあるが、反面、文学的な読みこみに捕われすぎていて60年代後半から現在までの多くの若者達にとっての魅力という視点がほとんど失われてしまっていることも事実である。確かに『指輪物語』はフロド(Frodo)の旅を通しての成長の物語であり、T.S.エリオットの『荒地』にも似た現代文明批判の書であり、妖精の一大カタログでもあり、北欧神話の雰囲気を持つ長大な叙事詩であり、『ニーベルンゲンの指輪』とどこかで響きあう物語世界であり、バートン・ラフェルによれば「文体、性格づけ、事件」の三点からその文学性を充分に検討することのできる作品である(1)。しかし、それらはどれも『指輪物語』以外の小説についても云々できることであり、このような観点からのみの批評もそれなりに意義のあることではあるが、『指輪物語』の持つ強烈な魅力を語り得ないのではないだろうか。そのまえにまず『指輪物語』の持つ、他のファンタジーと違った点に注目する必要があるのではないだろうか。そしてその特徴を論じることによって『指輪物語』の現代における存在意義を確かめることができるのではないか。この作品の特徴と独自性を論じることは当然、この作品の流行の原因に触れることにもなり、更にこの流行は60年代後半から現代に至る時代性と決して無関係ではあり得ないはずである。
日本語訳の『指輪物語』の第一巻の後書きで瀬田貞二が「ガンダルフを大統領に!」というバッジをつけてデモっている学生の話を書いているが、私がよく覚えているのは「フロド・バギンズを大統領に!」とプリントされたTシャツを着てデモっている学生の姿である。言うまでもなく、ガンダルフ(Gandalf)もフロドも共に魅力的な登場人物である。
 しかしこの二人の間に大きな違いのあることは言うまでもない。『ホビットの冒険』(The Hobbit,1937)ではなかなかユーモラスな魔術師として登場するガンダルフは、『指輪物語』では悪の帝王サウロンに対抗する軍勢をまとめ、フロドに指輪を捨てに行くという大きな使命を自覚させる博識にして勇敢な魔術師として登場し、モリアの地下世界に続く闇の通路で巨大な裂け目に落ちてから更に偉大な魔術師、白いガンダルフとして復活し、アラゴルンらを導きながら中つ国を縦横に駆けめぐる。
ガンダルフは、あらゆる点からいって、これまでの多くの英雄譚に登場するスーパーヒーローである。そして このことは西の軍勢の総大将であるアラゴルンについても言えるだろう。したがって、もしガンダルフが、もしアラゴルンが『指輪物語』の主人公であったなら、この作品は『ナルニア国物語』等の凡百のヒロイックファンタジーと何ら変わるところのないものになっていたに違いない。
「ガンダルフは生きている」という落書きがよくロンドンの地下鉄に見られるが、ガンダルフというこれほど魅力的なスーパーヒーローを造形しておいて、結局ガンダルフによっては救われ得ない世界を創造したところにまずトルキンの卓越した独自性があるのである。そしてその世界の中で、かつての伝統的な英雄としての資格をほとんど持たないフロドが主人公として活躍するところにこの作品の一番の魅力があるのだ。したがって、これから展開する『指輪物語』論は、あくまでもガンダルフを対極点に置いてのフロド論になるはずである。
 ホビット族は「平和と静けさとよく耕された大地を愛する種族」で、「できるだけ表に出たがらない」が、「芯の強さを失う」ことがなく「いざ窮地に立てば剛胆不敵となり、必要となれば武器を巧みに扱った。」(2)
このホビット族の住むホビット村で、ビルボ(Bilbo)が111才の誕生日、フロドが33才でちょうど成人する日、フロドが義父ビルボに一つの指輪をもらうところから物語は始まる。この指輪はビルボがエレボール山の財宝を求めて仲間と旅する途中、ゴラム(Gollum、瀬田訳ではゴクリ)という気味の悪い生き物から奪ったもので、指にはめると姿が見えなくなるという不思議な指輪であった。しかし、この指輪は冥王サウロン(Sauron)によって作られたもので、エルフの王達の持つ三つの指輪、ドワーフの王達の持つ七つの指輪、人間族の持つ九つの指輪、これら全ての指輪を支配する、「全てを統べる指輪」であり、東の方で力を増しつつあるサウロンがやっきになってその行方を捜している指輪なのである。ガンダルフからそのことを知らされたフロドは、サム(Sam)、メリー(Merry)、ピピン(Pippin)の三人を伴って指輪を敵の本拠地モルドールにある「中つ国最大の熔鉱炉」すなわち「サウロン王国の心臓部、冥王の昔日の力の源である大火炉」に捨てるための旅に出る。
 ここでリン・カーターの言葉を借りれば、『指輪物語』は「サウロンの不気味な軍勢を相手に西方世界の将軍たちが繰りひろげる戦争のテーマ、そして恐るべきサウロンの魔力を秘める指輪を運ぶ英雄たちの小さな一隊が、それを破壊できる場所に持っていくまでの遍歴」「これら二つのプロットが、まさに二本の糸のように巧みに編みあげられている」作品ということになるが(3)、ここで注意しなくてはならないのは、中心はあくまでフロド達の指輪を捨てる旅の方にある、ということだ。というのも、サウロンの軍勢との闘いでアラゴルンを統率者とする西の軍勢が勝利をおさめても、指輪がサウロンの手に渡ってしまえばそれまでの努力が全て水の泡になってしまうからである。言いかえれば、西軍の闘いはサウロンの目をフロド達からそらすための陽動作戦であり、援護射撃なのである。
 この基本的なプロットの構造は作品の描写自体にも微妙な影響を与えているようだ。作品全体を通して幾度か繰り返される戦闘場面(特に第5巻)はどれを取ってもありきたりで迫力がなく、フロド達を襲う黒い乗り手達の不気味な怖ろしさや、フロドとサムが二人きりで滅びの山に行きつくまでの行程の重く張りつめた緊張感にはとうてい及ばないのである。
 このことに関してコリン・ウィルソン(Colin Wilson)が『トールキンの樹』という批評の中で次のように書いている:
 『指輪物語』のいくつかの戦闘場面は作品の全体的効果を損なうものであり、それらがまったく別の作品の一部のように見えるという議論もでてくるだろう。物語の早い流れをそれらがさまたげていることは確かである。私は『指輪物語』を最初に読んだ時、フロドがオーク鬼たちに捕えられてからどういうことが起こるか知りたくて、第5巻全部を飛ばして読んだ。子どもたちに朗読して聞かせたときにも、子どもたちが同じようにそこへくると第5巻を飛ばすことを主張した。(4)

 この作品はあくまでもフロド一行の旅を中心に展開してゆくのであり、特にフロドとサムが秘かに仲間から離れて二人きりでモルドールに向かうことになる第2巻の終わりから話が佳境に入るのである。
さて、仲間から別れて旅を続けるフロドとサムは、指輪の昔の持ち主で指輪を取り返そうと二人を執拗に追うゴラムに出会う(第4巻)。ここから、ゴラムに対して次第に同情を寄せるようになるフロド、ゴラムを忌み嫌うサム、フロドに感謝しながら、サムに反感を持ちつつ二人の道案内を務めるが指輪をあきらめ切れないゴラム、これら三人三様の気持ちと思惑を縦糸として、またクモのシェロブによる襲撃やオーク鬼との遭遇等の事件を横糸として、滅びの山への旅の物語が鮮やかに織られてゆく。この三人の道行はストーリーテラーとしてのトルキンの面目躍如といった観がある。
 滅びの山に近づくにつれて首にかけた指輪は次第に重くなってゆき、満身創痍のフロドは幾度も倒れ、挫折しそうになるのだが、そのフロドを支えて大火炉までの道を歩かせたものは何だったのか。
一つには、課せられた使命に対する無邪気なまでの誠実さと、先に紹介したホビット族に特有の芯の強さ、あるいは逆境において見せる勇敢さであっただろう。それはフロドに仕え、フロドを励ましながらお伴をするサムにもはっきりとうかがえる:
 しかし、サムの中で希望が消えた、あるいは消えたかに見えたまさにその瞬間、希望が新たに力強く燃えあがった。サムのいかにもホビットらしい純朴な顔は、決意が固まるにつれてひきしまり、ほとんど怖いほど決然とした顔になった。体中がブルブル震え、絶望にも疲労にも果てしない不毛の旅にも屈することのない、石か鋼でできた生きものに変わっていくような気がした。(5)

 この場面におけるサムの強さこそ、かつてビルボに一大冒険旅行を成しとげさせ、今フロドを歩かせ続けている最大の原動力であることは疑う余地がない。
しかし、第6巻に入り、オーク鬼たちから助け出されたフロドを支えているのはそれだけではない。たとえば次の場面はどうだろう。指輪が重くて重くて、もうとても持って行けないというフロドに、サムが痛ましさのあまり見ていられなくなって、自分が変わりにしばらく持って行こうかと切り出すところである:
 フロドの目に気違いじみた光が走った。「近寄るな。さわるんじゃない。」フロドは叫んだ。「これは僕のものだ。行っちまえ。」フロドの手はフラフラと剣の柄にかかりそうになった。(6)

 また次の場面はどうだろうか。ゴラムがフロドを襲うところである:
 ゴラムは鎖の先にある指輪を取ろうとフロドにつかみかかった。この時フロドの心で燃え尽きようとしていた意志をかき起こしたものは、指輪を力ずくでもぎとろうとするゴラムの襲撃をおいては他になかったかもしれない。フロドはとっさに、サムを、いやゴラムをも唖然とさせるほどの激しい怒りを見せて反撃した。(7)

ここに描かれているのは指輪の邪悪な力に支配され、もはや指輪から離れられなくなったフロドの姿である。倒れたフロドを何度も起き上がらせるもう一つの大きな力は、多くの批評家が見落としているが、この指輪の魔力なのである。自分以外のだれにも指輪は渡さないのだという強い気持ちに刺激されて立ち上がり、ホビット族特有の強さと使命感に支えられて、フロドは疲れ切った体をひきずるようにして火の山オルドルインまでやって来たのである。
 だが、火口にたどりついたまさにその時、フロドは指輪の魔力に全てを支配されてしまう:
「僕は来た。」とフロドは言った。「指輪を捨てに来たのだが、それはやめだ。捨てたりなんかするものか。指輪は僕のものだ。」そして指輪をはめ、またたく間にサムの前から姿を消した。(8)

 この直後、しつこく後を追ってきたゴラムと姿の見えないフロドとの格闘が始まるのだが、指輪にとりつかれたフロドはまさに第二のゴラムに他ならない。火口のふちで指輪を取り合って争っているのはフロドとゴラムというより、ゴラムとゴラムなのである。
 読者は憶えているだろうか。今は不気味な怪物になってしまったゴラムも、もとはスメアゴル(Smeagol)という名の、ホビット族の一人であったということを。そして第一巻でそのことをガンダルフから知らされたフロドは「いくら遠縁とはいえ、ゴラムがホビット族の一人だったなんて考えられません」と言い、むきになって「なんとおぞましいことだ」と叫ぶのである。(9)
 第1巻のこの場面を記憶している読者は、自分自身があれほど忌み嫌っていたゴラムになって、ゴラムを相手に命がけで指輪を争っているフロドに深い同情と強烈なアイロニーを感じるに違いない。そしてさらに皮肉なことに、フロドの旅の使命は、フロドの指輪のはまった指を喰いちぎって狂喜するゴラムの火口への転落によって全うされるのである。
 以上のように『指輪物語』という作品は非常に残酷でアイロニカルな側面を持っているのだが、このことを頭に入れた上でフロドの役割について考えてみよう。
 フロドをこの作品の主人公として規定しているのは、まず何よりもここに描かれている状況である。これが伝統的な英雄譚に描かれているような、すなわち『アーサー王の死』や『フェアリー・クィーン』から『007シリーズ』や『デューン・砂の惑星』まで連綿と続くヒロイック・ファンタジーに描かれているような世界であったなら、ガンダルフやアラゴルンが主人公として活躍したに違いない。だが、『指輪物語』の状況においては、いわゆる知力に優れ、武勇にたけた英雄達は舞台裏にまわらざるを得ないのである。つまり、ヒーローがヒーローとして登場することができないアイロニカルな状況なのである。
 かつての英雄達は知恵と力を尽くして、巨大な悪を打ち破ったり、世を救う鍵を見つけ出したり、不毛の呪文を解いたりすることによって英雄としての存在を主張してきた。ガンダルフもアラゴルンもそういった英雄の一人なのだが、『指輪物語』の世界は二人によって救われ得ない。
どうしてガンダルフが自分で指輪を捨てに行かないのか。フロドに、指輪を持って行ってくれと言われた時、ガンダルフはこう答える:「その魔力が加わればわしの力はあまりにも強大で怖るべきものになるだろう。そして指輪はさらに大きな、さらに致命的な力を得てわしに臨むのだ。(10)」指輪を運んで行くのは何よりも非力なものでなくてはならないのである。
 そしてまた、フロドが選ばれた理由は非力であるということ以外何もない。なぜ自分が選ばれたんでしょうというフロドの問いに対するガンダルフの答は冷ややかである:
「誰がそんな問いに答えられよう。」とガンダルフは言った。「ただ、そうなったのは何も、他の者が持たぬ長所のせいでも、力や知恵のせいでもないことは、自分でしかとわかっておろうな。しかしお前は選ばれてしまった。持てる限りの力と勇気と知恵を使わなくてはならん。」(11)

 この作品におけるフロドの役割と、ガンダルフらの役割の根本的な違いについてW.H.オーデンは次のように述べている:
 『指輪物語』の何人かの登場人物、例えばガンダルフやアラゴルンは、天賦の才能を発揮すべく役をふりあてられている。サウロンとの戦いの作戦を立てるのはガンダルフの役である。なぜなら知力に抜きんでているから。またゴンドールの軍勢を率いるのはアラゴルンの役である。なぜなら偉大な戦士であり、王位の正統の後継者であるから。この二人は、どんなに苦しみ危険な目にあおうとも、それはある意味で自分のしたいことをしていると言えるだろう。しかし当の主人公であるフロドの置かれた状況は全く異なっている。指輪を大火炉に運ぶべしという決定が下された時のフロドの気持ちは正にパパゲーノのそれであった。(12)

 フロドに襲いかかってきたこの運命は理不尽で、不条理で、暴力的ですらある。パパゲーノどころか、ある朝目覚めたら不気味な虫に変身してしまっていた男の状況、あるいは身に覚えのないことで否応なく審判され処刑される男の状況に他ならない。
 さらにフロドに課せられた使命はただ捨てるという行為、つまりマイナスのものをゼロに戻すという非創造的な行為なのである。
 まず、力と知恵を備えた英雄がいながらも世界が救われないというアイロニカルな状況があって、その中で全く行きあたりばったりにフロドが主人公に選ばれるというアイロニカルな運命があって、その運命によって背負わされた使命とは、英雄的な行為とは相入れない、ひたすら逃げながら隠れながら指輪を捨てに行くというネガティヴなものなのである。
 そしてフロドはこの不条理で暴力的な運命をホビットらしく受け入れる。これはリベンデルの御前会議の出席者の希望であると共に、指輪の意志でもある。皮肉なことに、善なるものの意志と、悪なるものの意志がフロドという点で全く一致するのである。フロドはこの皮肉な運命を受け入れることによってヒーローとしての第一歩を踏み出す。
 だが、使命に対する切実さを支えに、傷つき疲れ果てたあげくやっと火口にたどり着いたフロドを待っていたのは、捨てるために運んできた指輪にとりつかれ、ゴラムになってしまうという悲惨な運命であった。そしてこの運命、あるいは悪の意志に身をゆだねた時、指輪は火口へと落ちてゆき、使命が全うされるのである。
 ここにあるのは、不条理でアイロニカルな状況をそのまま受け入れ、自分が最も忌み嫌うものになってゆきながらも使命を果たそうとする切実さと、それでもどうしようもなく邪悪な力に侵されてゆくやりきれなさと、その最も忌み嫌うものになってしまった時やっと全てが成就するという馬鹿馬鹿しさと寂しさであろう。『指輪物語』からファンタジーという衣を取り去った時見えてくるのは、現代の悲劇の主人公としてのフロドである。持ち前の誠実さゆえに状況と運命にもてあそばれ、傷つき疲れてゆく、我々の身近な共感の対象としてのフロドなのである。
 モルドールを去るフロドの胸には何かを成し遂げたという充実感よりは全てが終わったという安堵の気持ちの方が強かったに違いない。その後、村に帰ってサルーマンを相手に戦う時、活躍するサム達とは対照的に、フロドは終始受身で自分から動こうとしない。
 以上述べてきたフロド像を中心に『指輪物語』を見ると、作者のかなりはっきりしたメッセージが読み取れるのではないだろうか。ガンダルフやアラゴルンのような英雄によってではなく、フロドという非力で悲劇的なヒーローによって世界が救われるという大きな流れは、妖精物語に寓意を込めることを嫌ったトルキンの厳しい現実認識をいやおうなく反映しているのである。つまり、力によって世界が救われる時代は終わり、悪しき者を倒して新しいものを創造するというポジティヴな行為はかつてほどの意味を持たなくなっており、例えば「捨てる」というネガティヴな行為が一つの価値を持つ時代になりつつある、ということ、そしてそうした時代において救いは、例えば「フロド」のような力とは無縁の人物が、先に述べたようなみじめな旅を誠実に生ききることによってもたらされるのかもしれない、ということである。これはトルキンのメッセージであると共に祈りであるかもしれない。
 60年代後半から現代にいたる若者達、巨大な殺戮兵器に囲まれ、科学と進歩という合言葉が色あせてゆく中で生まれ育った若者達を特徴づけているのは、不条理な状況に対する無力感、力に対する不信、体制に対する反発、めまぐるしく変わる価値観に対するとまどい、そして圧倒的な危機感である。彼らが、いや我々が心から希求するのはこの危機から救ってくれるヒーローであるのは当然だが、一つの定まった価値観の下で秩序という剣を振りかざして敵対者を斬り捨てながら見通しの良い条理にかなった地平を駆けてゆくヒーローには何ら現実感がない。
 例えばこの種のヒーロー達が「イノセント」を合言葉に既成の秩序を回復してゆく『ナルニア国物語』は、まさにこの現実感のなさを逆手にとった夢と理想の世界のお話と言えるだろう。
 これに対し、『指輪物語』という、見事に織られた重厚なタペストリーにも似たこのファンタジーは心憎いばかりの語り口でそれとは全く異なった世界を体験させてくれる。ガンダルフやアラゴルンなどの昔なじみの英雄達も充分に魅力的なのだが、読み進めてゆくにつれて、まるで騙し絵を見ているかのように、前景と見えた二人の英雄が背景にかすみ、フロドという名のちっぽけで非力なホビットが前面に浮かびあがってくる。それと共に夢の世界と見えた状況から現実がかげろうのように立ちのぼってくる。その瞬間、我々はこの作品の持つ圧倒的な迫力にひるみつつ、不条理で悲劇的な生を懸命に生ききったフロドに共感しつつ、現実と対峙することになるのである。

1) See Burton Raffel,“The Lord of the Rings as Literature”in Tolkien and the Critics eds.Neil D.Isaacs and Rose A.Zimbardo(London,Univ.of Notre Dame Press,1968)pp.218−246.
2) J.R.R.Tolkien.“Prologue”in The Lord of the Rings,3vols(New York,Ballantine Books,1974),pp.19−20.
3) Lin Carter,Tolkien;A Look Behind The Lord of the Rings(New York,Ballantine Books,1973),p.96.
4) コリン・ウィルソン、『トールキンの樹』(“Tree by Tolkien”)、吉田新一訳(東京、雑誌『子どもの館』1975年2月号掲載),p.15.
5) The Lord of the Rings,volIII,p.259.
6) Ibid.p.263.
7) Ibid.p.271.
8) Ibid.p.274.
9) The Lord of the Rings,volI,p.86.
10) Ibid.p.95.
11) Ibid.p.95.
12) W.H.Auden,“The Quest Hero”in Tolkien and the Critics.P.55.

(注)引用は(4)を除き金原の訳ですが、The Lord of the Ringsに関しては瀬田貞二訳(評論社)を参考にしました。

四 幻の『指輪物語』日本語版
 いうまでもなく『指輪物語』の日本語訳は瀬田貞二による評論社版しかないが、じつはもうひとりこれを訳していた人がいる。
 ぼくが法政の大学院に入ったとき、指導教官は村上淑郎先生だった。専門はシェイクスピアだったが、英文学のみならず日本物(純文学から、都筑道夫、山田風太郎といった大衆文学にいたるまで)にもとても詳しかった。その村上先生が、早川書房の依頼で、文庫用に『指輪物語』を訳していた。評論社と早川が文庫の権利をめぐって競合していたのか、早い者勝ちという状況になっていたらしく、評論社があわてて文庫版を出し、早川は引き下がったという(このへんの事情に通じていらっしゃる方、ぜひ詳しい事情を教えてください)。評論社版の昔の文庫が、字があまりに小さくて読みづらかったのは、文庫化を急ぐあまり活字を組み直す暇がなく、単行本の頁をそのまま縮小したからという話をきいたことがある。というわけで村上訳『指輪物語』は結局日の目を見ずに終わってしまったのだが、ある意味でとても残念である。というのは、瀬田訳では原作の持っているあのダイナミックな躍動感がまったく伝わってこないからだ。瀬田調の「ですます体」が原作の持ち味を殺してしまっている。ある意味、誤訳といってもいいかもしれない。別宮先生が「欠陥翻訳時評」で瀬田訳の『指輪物語』を取り上げ、誤訳を次々に指摘したのは有名だが()、その誤訳の多さ以上に問題なのはその文体だと思う。
 瀬田調にはそれなりの良さがあり、それがふさわしい作品があるのは否定しない。たとえば「ナルニア国物語」は、あれでいい。そして『ホビットの冒険』も許す。しかし『指輪』だけはやめてほしかった。ぼくの読む『The Lord of the Rings』は、あのような物語では決してないのだ。
 ぼくが、もしできるなら、ぜひ訳し直したい本が三つある。
 『老人と海』『ゴーメン・ガースト三部作』『指輪物語』。

五 読者の方々に質問
 ファンタジーに関して、この頃考えていることがある。それはC・S・ルイスの「ナルニア国物語」の再評価だ。というのも、このあいだ学生に講義をするのでファンタジーを昔のものから最近ものまでざっと並べて考えていたのだが、「子どもが世界を救う」というファンタジーのパターンを最初に作ったのはルイスではないだろうか。「ナルニア」以前のファンタジーで、子どもが世界を救うという作品があっただろうか。もしあったら、教えていただきたい。
 これはとても面白い問題だと思う。現実世界を舞台にしたリアリスティックな作品の場合、子どもが世界を救うという物語は作れない。ところがルイスは、子どもが救いうる世界を作ってみせた。そしてそれはその後のファンタジーでも受け継がれていく。たしかに『指輪物語』のフロドは三十三歳だが、みかけは子どもであり、子どもが十分に感情移入できるように作ってある。
 これに対して、手塚治虫はSFという形で、世界はそのままにして、主人公の少年に百万馬力(最初は十万馬力)を与えることによって、アトムが世界を救うという物語をみせてくれた(最終話)。
 とまあ、このへん、ちょっと考えてます。

六 これまでの話とはまったく関係のない「あとがき」をいくつか
 今回はスーザン・ヒントンの『トラヴィス』、ロバート・コーミアの『ぼくが死んだ朝』、
メアリー・ダウニング・ハーンの『十二月の静けさ』のあとがきを。これら三作品の共通点はほとんどないが、現代アメリカのヤングアダルト物というところで、なんとかつながっている。


『トラヴィス』
訳者あとがき

一九六七年、スーザン・ヒントンの『アウトサイダーズ』が発売されて以来、アメリカ、イギリスのヤングアダルト小説はリアリティという点で、大きく変わった。たとえば、それ以前の青春小説の代表『ライ麦畑でつかまえて』(一九五一年)の場合、主人公のホールデンはドロップアウトというレッテルをはられて高校を退学させられてしまうが、現代の若者の目に、ホールデンは決してドロップアウトには映らない。いや、優等生といっていいくらいだ。今でも『ライ麦』はよく読まれているが、発表当時の衝撃は伝わってこないし、もはや主人公自身に、ドロップアウトとしてのリアリティが感じられなくなってきている。それにたいし、ヒントンの主人公たちは、まさに現代社会からドロップアウトしてしまった若者としての強烈な存在感がある。サリンジャーとヒントンの違いはここだ。どちらがいい、悪いという問題ではなく、質の違い、いや、読まれかたの違いといっていい。そして、この違いはとても大きい。おそらく日本でも、英米の青春小説にかんしては、サリンジャー派とヒントン派の二派に分かれるのだと思う。
ぼくはどちらかというとヒントン派になる。簡潔な文体、情景を切りとる鮮やかな手腕、そしてなにより、現代という状況への鋭い切りこみ。デビューして二十年、ヒントンの現代社会の若きドロップアウトを描く力は、いまだにおとろえていない。それは『トラヴィス』にもはっきりうかがえる。義理の父を殺しかけて鑑別所に送られた十六歳のトラヴィスが、おじの家に引き取られるところから始まるこの小説で、ヒントンは、いくつかの事件をからませながら、主人公の内面を見事に写しとっていく。とくに後半、ケイシーがスターランナーを乗りこなそうとしはじめるあたりから、ジョーが訪ねてくる章にかけては、圧巻というほかない。
ただこの作品は、それまでのヒントンのものと違って、全くの一人称で書かれていないため、ある種の広がりがでてきているし、小説家を目指す主人公トラヴィスに、ヒントン自身の投影がみられる。その意味では、『トラヴィス』は、これまでの作品のエネルギーを維持しながら、新しい方向を試みたものといえるかもしれない。
そのへんは、読者自身で確かめてみてほしい。
それから、ヒントンの作品はいつもそうなのだが、話の展開がかなり乱暴だ。たとえば、ケンの離婚にしても、その理由はいまひとつよくわからないし、ふたごやジョーやカークの家庭状況などちっとも説明がない。これはもちろんヒントンが、意図的に行っていることで、手法としてはとても魅力的で効果的なのだが、訳者としてはとてもつらかった。そこをフォローしてくれた島田さん、斎藤さん、飯塚さん、また、翻訳をまかせてくださった若月さん、編集の方でお世話をかけた曽根さん、そして原生林のみなさんに、最後になりましたが、心からの感謝を。
一九九一年三月三日 金原瑞人

『ぼくが死んだ朝』
訳者あとがき

バスジャック発生。
マサチューセッツ州ハロウェルで、幼児十数人を乗せてサマーキャンプにむかっていたバスが、四人のテロリストによって乗っ取られ、そのまま、今はもう使われていない高い鉄橋の真ん中に誘導された。場所は、独立戦争のときの有名な古戦場のあるレキシントンの近く。
これが事件の発端だった。
この乗っ取り事件の展開を四人の目が追っていく。
たまたまその日、叔父の代わりにバスを運転していた女子高生ケイトと、このバスジャックではじめて一人前の役――バスの運転手を殺すという役をもらったテロリストの青年ミロ。殺す者と殺される者、このふたりの目が、それぞれの角度からみつめていく。そしてこのふたりの息苦しいほどの心理的葛藤が盛り上げていくサスペンス、これがこの作品の縦糸になっている。
そしてもうふたり、テロリストたちにある品を届けることになる青年ベンとその父親がいる。ベンとベンをテロリストたちに送りこんだ父親との事件後の葛藤が、もうひとつのドラマを作り上げていくのだが、こちらはベンの追想という形で全体の枠を構成している。これが横糸。
これら二本の糸が織りなす緊迫感に満ちたミステリー、というよりミステリー風スリラーが、この作品だ。
人質に取られた子どもたちを必死に救おうとするケイト、国の威信にかけてもテロリストの計画をつぶそうとする秘密機関の長官であるベンの父親、その根っからの愛国者の父親を信じて敵のもとにおもむくベン。故国を取り戻すために、厳しい秘密訓練に耐え、ようやく一人前の戦士として認められるため機会を与えられたにもかかわらず、度重なるアクシデントのため使命を果たせずいらだつミロ。
この四人の視線が錯綜するなか、事件は思いがけない方向に進みはじめる。

とまあ、あとは読んでいただくとして、ロバート・コーミアの作品を読んでいると、いつも思うのだが、ずいぶんスティーヴン・キングに似ているところがある。
たとえば、ふたりとも文体は良くも悪くもオーソドックスだし、取り上げる題材もテーマも物語の展開も、やはりオーソドックスだ。それにもかかわらずというべきか、だからこそというべきかどうかはわからないが、ふたりの作品は暴力的なまでに強烈な迫力を持って読者にせまってくる。キングとコーミアの筆力というのは、すさまじいとしかいいようがない。
もうひとつ、キングは子どもを描くのが非常にうまい。『クージョ』『シャイニング』『スタンド・バイ・ミー』その他どれをとっても、子どもが生きている。下手な児童文学作家など足元にもおよばないくらい、子どもの描き方がうまい。一方、コーミアは現代の若者を描くのがじつにうまい。サリンジャーやスーザン・ヒントンの作品の若者たちとくらべても、まったく遜色ないといっていいだろう。
それから最後に、ふたりの作品は、描かれるのが日常の不安や危険であれ、超自然現象の恐怖であれ、文句なしに恐い!
(ただ、蛇足ながら、作品の構成はコーミアのほうが凝っていて、面白い。それは、この『ぼくが死んだ朝』でもはっきりわかると思う)

さて、作者についてだが、ロバート・コーミアは一九二五年、マサチューセッツ州レミンスタ生まれ。ラジオの台本作家、記者、コラムニスト、編集者といった職業を転々としたのち作家としてデビュー。六〇年から一般向けの小説を三本ほど書いて認められるが、七五年から若者を主人公にした作品を書き始め、圧倒的な人気を得る。
その最初の作品が『チョコレート戦争』(集英社文庫コバルトシリーズ)。映画にもなっているのでご存知の方も多いだろうが、これはカソリック系の男子高で、体制に逆らおうとする青年が暴力的に、徹底的に押しつぶされていく様子を容赦なくリアルに描いた作品だ。そのきびきびした文体からたたき出されるパンチは痛烈で、驚くほど重い。映画のエンディングは原作と異なっているので、映画しか観ていない方はぜひ、原作のほうも読んでみてほしい。
この作品はアメリカで評判になり、ほとんどの図書館の若者向けのベスト図書のリストには必ずといっていいほどのっている。続編も出ているが、残念ながらこちらのほうは未訳。
第二作の‘I am the Cheese’(未訳)も同じように、ひとつの体制の中で徹底的に痛めつけられていく青年の物語。『チョコレート戦争』とは違って、全体の構成がミステリー風になっている。ちょうど次の『ぼくが死んだ朝』との中間のような小説といっていいだろう。
そして第三作がこの『ぼくが死んだ朝』。雰囲気も文体も前二作にほぼ似ているが、有無をいわせぬ筆力に圧倒的な緊迫感とリズム感が加わっており、七九年に発表されて以来、特に若者の間で熱狂的に読まれている。
しかしこの作品、いわゆるアメリカン・ミステリーとはちょっと色合いが違っていて、ハードボイルドでもなく、センチメンタルでもなく、『ダイ・ハード』のような活劇でもないし、かといって変格物でもない。心理サスペンス、いや心理スリラーといった趣で、とくに「やあ、父さん……もどってきたよ」というベンの言葉ではじまる第十一章は出色。見事にきまっている。
この作品の延長上に、第一級の恐怖小説『フェイド』‘Fade’がある。スティーヴン・キングのお墨付きとのことだが、これはキングとひと味違ったホラー(スリラーといったほうがいいのかな?)の傑作で、恐怖の演出についていえば、シャーリー・ジャクスンの長編小説の現代版といった感じかもしれない。『ぼくが死んだ朝』もそうだが、この作品も凝った構成になっていて、いわゆるメタ・ノベル――簡単にいえば、小説内小説の形になっており、これがじつに効果的だ。
『フェイド』も扶桑社ミステリーから刊行予定ということ、大いに期待したい。
また‘I am the Cheese’と‘Bumblebee Flies Anyway’も他社から翻訳、刊行の予定らしい。さて、コーミアが日本でどのように迎えられるか、とても興味のあるところだ。
(一九九一年八月)

『十二月の静けさ』
あとがき

第二次世界大戦後、ベトナムは朝鮮半島と同じように南北に分割されてしまいました。北ベトナムは共産主義体制で、南ベトナムは資本主義体制です。南ベトナムが共産主義化するのをおそれていたアメリカ合衆国は、五〇年代から南ベトナム政府にばくだいな額の援助費を送り、六〇年代に入ってからは特殊部隊を送りはじめます。そして一九六五年、アメリカはついに北ベトナムに爆撃を開始。これがいわゆるベトナム戦争の始まりです。この戦いに、アメリカ国内で激しい反対運動が起こります。おそらく南北戦争をのぞいて、これほどアメリカ国内をゆさぶった戦いはなかったでしょう。さらにほかの国ぐにからもアメリカは厳しい非難をあびることになりました。ところが、この戦争は約十年も続くのです。
そのうえ、ベトナム戦争はアメリカがはじめて負けた戦争でもあります。そう、アメリカはそれまで一度も戦争に負けたことがなかったのです。最初から最後までアメリカは押されぎみでした。なぜアメリカがこんな戦争をしたのか、なぜ泥沼状態のまま十年もこの戦争を続けたのか、ベトナム戦争は多くの問題をふくんでいます。
ベトナムで使われた火薬の量は、第二次世界大戦で使われた火薬のおよそ三倍。さらにアメリカは枯葉剤を使い、当時のベトナムの人びとだけでなく、その子孫までが苦しみを背負うことになりました。枯葉剤は、カマウ半島の広大なマングローブ林を消滅させたばかりか、ベトナム各地でシャム双生児や無脳症などの子どもの出産や、死産を異常に増加させました。ベトナムに住む人びとに、この戦争の傷跡はいまでもくっきりと残っています。
しかし苦しんだのは、ベトナムの人だけではありません。ベトナムで戦ったアメリカ人兵士までが、その影響を受けることになったのです。つまりベトナム戦争に参加したアメリカ兵士のうちかなりの数の人びとが、内地にもどってから苦しむことになってしまったのです。ベトナムでの体験が悪夢となってとりつき、いつまでも普通の生活にもどれない人びとがいます。戦後、アメリカ国内に、あまりの苦しさに自殺する人、病院に収容される人、ホームレス、つまり浮浪者として町をさまようようになった人などが続ぞくとあらわれてきました。この本の中に出てくるウィームズさんもそのうちのひとりです。
主人公ケリーはふとしたことから、ウィームズさんを救おうと決心します。しかしケリーのお父さんはいい顔をしません。お父さんもまた、ベトナムからの帰還兵ですが、普通の生活をしています。しかしベトナムのことは決して口にしようとしません。
ケリーは感謝祭の夕食にウィームズさんを呼びたいといいだして、お父さんとけんかになります。
「ベトナムも浮浪者も、もうたくさんだ。お前には戦争なんて、これっぽっちもわかっちゃいない」というお父さんに、ケリーはこうたずねます。
「もしわたしが男の子で、中南米かどこかで戦争があったとしたら、父さんはわたしを行かせたいと思う? わたしがビニールの遺体袋に入ってアメリカに送り返されるのを望むの?」
ウィームズさんにとって、お父さんにとって、ベトナム戦争とはいったい何だったのか、ケリーは悩みながらも自分が少しでも力になれればと思って、ウィームズさんに近づこうとします。ところが、そうするうち、しだいに友だちからも家族からも孤立していきます。

ぼくがこの本に出会ったのはまったくの偶然でした。ある洋書専門店で表紙にひかれて手にとったのがきっかけです。そして帰りの電車の中で読みはじめて、徹夜で読み終えました。途中で本をおくことができなかったのです。自分の気持ちをだれにもわかってもらえない、助けようとしているウィームズさんにさえわかってもらえないケリーの孤独と悲しみが、最後まで心をつかまえてはなさなかったのです。
これは戦争をテーマにした作品ですが、むごたらしい殺人の場面も、流血の場面もでてきません。しかし、戦争は戦争が終わった時に終わるものではありません。戦争に終わりはありません。どこまでもどこまでも人をひきずっていきます。この本のなかにも書かれているように、戦争の記憶は日びの暮らしの陰にかくれていて、すきさえあれば飛びかかろうとまちかまえているのです。それはベトナム戦争にかぎったことではありません。トロイア戦争でも太平洋戦争でも同じことでしょう。どうしても断ち切ることのできない痛みを、数えきれないくらい多くの人にあたえつづけるのです。この本は、そのことをケリーとケリーのお父さんとウィームズさんの三人の生き方をとおして、訴えているのです。
しかしこの作品にはもうひとつ印象に残るものがあります。それは、不安と孤独にさいなまれながらも、必死に理想を追っていこうとする若者の姿です。
ケリーが大おばさんからこういわれる場面があります。
「ケリー、人間っていうのは変わっていくもんだよ……人生が、ごつごつした角をけずりとっていく。そして人はすこしずつ現実に甘んじて、それなりの生き方に落ちつくようになっていく」
それにたいしてケリーは「わたしは人生にけずられて丸くなったりしないし、現実に甘んじたりしないわ。絶対に」と答えます。
たしかにケリーは、若すぎるのかもしれませんし、あまりに極端かもしれません。しかし、だれの心のなかにも、ケリーはしっかり生きているのではないでしょうか。
といって、理想をつらぬこうとするケリーがすべてを救うわけではありません。現実はそれほど甘くないのでしょう。作者のメアリー・ダウニング・ハーンはそのあたりもしっかり心得ていますが、最後の場面とともに、ケリーの姿は読者の心のなかにくっきりと刻みつけられることでしょう。
これは戦争という悲惨な現実と、そういった戦争をまねいた人間のおろかさを描くとともに、この悲劇をわずかでもやわらげることができるかもしれない人間の理想をあざやかに描いた作品です。
この本を読んで、ベトナム戦争についてくわしく知りたいと思ったら、どうか自分でも調べてみてください。映画も、『プラトーン』、『グッドモーニング・ヴェトナム』、『フルメタル・ジャケット』、『ハンバーガー・ヒル』、『七月四日に生まれて』など、たくさん作られています。この本のなかにも出てくる『ランボー』のような映画とくらべてみるのもいいかもしれません。
また本では、吉沢南の『ベトナム戦争と日本』(岩波ブックレット)や、岡村昭彦の『南ヴェトナム戦争従軍記』(筑摩文庫)などがあります。ベトナム戦争が決して、アメリカとベトナムだけのものではなく、日本や韓国までを巻きこんでいたこともわかるでしょう。

メアリー・ダウニング・ハーンは『十二月の静けさ』のほか、『ヘレンがくるまで』をはじめいくつかの作品を発表し、何点かはほかの国でも翻訳されていますが、日本での紹介はこれがはじめてです。

また最後になりましたが、あれこれお手をわずらわせた編集の奥田さん、小島さん、原文とのつきあわせをしてくださった斎藤さん、そしてこまごまとした質問にていねいな御返事をくださった作者のメアリー・ダウニング・ハーンさんに、心からの感謝を。
                 一九九三年十月     金原瑞人

注:4における「別宮先生が「欠陥翻訳時評」で瀬田訳の『指輪物語』を取り上げ、誤訳を次々に指摘したのは有名だが」の『指輪物語』は『ホビットの冒険』のまちがいであることを、高橋誠(http://homepage1.nifty.com/hobbit/ )様よりご指摘いただきました。
 次号においてお詫びと訂正がなされます(ひこ)