『児童読物よ、よみがえれ』(山中恒 晶文社 1978)

児童文学 一九七六年

 日本の創作児童文学は、ここ数年来、まるで判をおしたように、「低調である」と言われ続けてきた。特に一九七六年度に関しては「ほとんど見るべきものがなかった」とする手きびしい批評さえある。しかし、ここでことさら「低調論」を展開しても、本質的には無意味であろう。
 ありていに言って、児童文学作家たちにとって、この恒例化した「低調論」は、さして深刻な問題として、主体的に受け止められていないように思える。ここ数年来、格別出版点数が減少したわけでもないし、各種児童文学賞の選考委員会が軒並み「本年度該当作なし」を決議したわけでもない。相変わらず青少年読書感想文全国コンクールの課題図書は売れている。あまつさえ、各種文庫本によって忘れられていた旧作やなにかまで息を吹き返している。
 たしかに「低調論」の根拠になっているように、ここ数年来、衝撃的な話題作や光彩陸離たる新人作家の出現はなかった。しかし、そうしたことが突発的に現象するとも思えない。それに多くの児童文学作家たちは、そうした事態の発生を望んでいるとも思えない。各社が似たような企画、シリーズ、執筆者……、つまり、書き手は固定化し、発註受註がパターン化し、それでなんとかなっているのに、その流れが変わるような事態の発生は望みたくないのが本音であろう。だが、そうした一種の無風状態は第三者にアナーキイなもののような印象を与えているが、内実、かなり緊張した政治的構造に支えられているのである。
 ここ数年来、児童文学界は、組織的に極めて政治色濃厚な一党支配状況が確立しつつある。現在、日本の児童文学系団体で、最大の規模をもつのが、<日本児童文学者協会>である。いわゆる「民主主義的児童文学の創造と普及」を目的とするこの団体は政治的には、日本共産党の系列に属する文化団体で、同じ政党系列に属する<日本子どもを守る会>や、これまた同系列の全国的規模をもつ読書運動団体<日本子どもの本研究会>などと、密接な連携のもとに、普及面では確実な成果をあげてきた。かつて<日本子どもの本研究会>の役員が自分たちの団体は「普及面で作家を支え、保証する」と言明したが、言明どおり確実に達成しつつある。そのため、児童図書各社の営業部で、これらの組織に加盟している作家であるかどうかは、その売上げののびや部数でほぼ判断がつくとさえ言われている。つまり<創造と普及(生産・消費と言い替えてもよい)の一貫性>ということでは、この組織による政治的支配はほぼ完成したと見て差し支えないであろう。
 同一組織に所属する作家の作品を、同一同系列組織に所属する批評家や読書運動家が、積極的に評価推薦し、同一系列の組織に加盟している個人及び団体がそれを購入するばかりでなく、更に組織拡大を意図しつつ、外部へも積極的に売り込む。もちろん、それを目的とした組織であるから、そうした活動は当然である。そしてその情宣材料として三団体その他の機関誌が効率よく使われるばかりでなく、各大手筋の新聞の<児童図書紹介欄>でも、それを実践するのである。
 自分たちの組織に属する作家の作品は政治的配慮によって高く評価して売り込むが、そうでないものは、これを黙殺するか、感情をむき出しにしてけなすという戦術がとられる。これも組織拡大の戦術上、当然であろう。
 拡大方針上障碍となるような分子の作品を持ち上げる必要は●(わずか・ゴウ)かもないのである。
 問題なのは、そうした評価が政治的なものであることをおしかくし、あたかも非政治的、客観的、公正なものであるかのように巧みによそおっていることである。そうした政治的意図があるとも知らず、多くの子どもの本の購入者が、それを情報源にしている。たまに不審を抱いたものが、「なぜ、自分たちの組織外の作家のものも取り上げないのか」と質問すると、「自分たちは公正である。彼らが良いものを書きさえすれば、評価することにやぶさかではない」とうそぶく。そして、なにより問題なのは、そこで子どもは、一方的に彼らのすすめる作品をおしつけられる存在でしかないということである。
 もともと、日本の児童文学界は伝統的に排他的傾向が強い。これは一般文学に対して児童文学をマイナーのものと見なす一般的児童文学観に対するコンプレックスに由来する。それが児童文学作家たちの専門家意識、ギルド的同人意識を強化させ、これに加えて戦中戦後体験からくる防衛本能が組織への依存感を助長してきた。それが現在では組織防衛とうらはらに組織拡大戦術に現象しているのある。従って組織防衛に根差した状況批判は活発になされても、逆に状況論を根底とした組織批判には極端な拒否反応を示すのである。だから「低調論」も印象批評論にとどまり組織避難に抵触しない限り歓迎されてきたし、ときに彼ら自身「低調論」を援用することによって、公正をよそおい、組織避難を封じ込めたばかりか、逆に組織の運動体としての積極性をPRすることに成功してきたのである。こうなると、お人よしに「低調論」をたてることさえ、現在の児童文学状況に更に不毛の上薬を塗る結果になりかねないのである。

 そして子どもたちはますます本ばなれし始めている。児童文学がどう逆立ちしようと劇画・マンガの普及率には遠く及ばない。加えて、学校における国語教育、政治的読書指導が更に効果的に拍車をかけている。劇画やマンガに比して児童文学にはタブーが多すぎる。これもまた児童文学が伝統的に<教育>に従属する形をとっており、教育文化財の範疇を出ようとしないからである。
 だが、児童文学にとって当面の対象であるべき、子どものおかれている状況は恐ろしく荒廃の一途をたどっている。例えば、一九七六年度にはいって、子どもの自殺が目立つようになった。その年末、ふたつの象徴的な死があった。
 一二月七日、盗みの疑いで教師から責められて首つり自殺をした福島県の中学生市川良善一君の例がある。彼はその遺書と思えるものに「学校がこわいので、もう行かない」と一九回もくり返し記していた。彼の場合は人権問題としてクローズ・アップされて明るみに出たから、彼のおかれていた状況が、やや推測がつくが、恐らく同じケースで闇にほうむられた例はかなりあると思われる。
 外国では生活感情の問題か、宗教的戒律の関係か、子どもの自殺はあまり例がないといわれている。しかし、日本では年々増加の傾向にある。総体的数字の上から見れば、自殺はとるに足らないほど少数の特殊な例であると言われているものの、現実に子どもが死を選ばざるを得なくなった状況があったということまでは否定できない。また、当人が死を選ぶ、選ばないはともかくとして、そのプレッシャーの計量的差はあれ、そうした状況がすべての子どもたちをとりまいていると見るのが妥当ではなかろうか。
 これは現象的には極めて政治的な問題を含んではいるが、体制→←反体制といった図式の援用で処理できるほど単純な問題ではない。根元的に同時代人の魂の問題であり、生命の問題である。
 遠大な社会変革を目指す理念を図式的に呈示したり、連帯と運動のエネルギーを讃美する児童文学作品を「積極的に今日的問題に取り組んだ前向きの作品」と政治的に手ばなしでほめたたえることも悪くはないであろう。だが、子どもをとりまく状況を子どもの論理で捉えなおし、その荒廃の参上を自らのものとして主体的に受けとめ、プリミティヴな感性をを根底にして、血のかよった同時代人としての子どもへのメッセージを送ることこそ、児童文学作家の当面の課題ではなかろうか。そのメッセージを誇り高く「児童文学」とよべるような……。
 同じく一二月一二日、東大阪の中学生藤川幸司君が「弱い自分をどうぞ許してください」というメモを残して、ガス自殺した。ガス自殺するにあたって、自分のかわいがっていたペットの小鳥を別のへやへ避難させ、ガス充満で爆発する危険がないように、窓をあけはなし、自分はビニール袋をかぶってガス管をくわえていたという。自分の死後のことまで配慮しつつひっそりと死んだ彼が、何に対して「弱い自分」を絶望的に認め、何に対して「許し」を乞うたのか。いま、おとなであり、かつ、生前の彼とかかわりを持たなかった児童文学作家にとって、彼をとりまく「何」を考え、手さぐりすることは、無益な作業なのだろうか。

 一九七六年を「低調であった」と言いつつ嗜好にあった若干の作品をあげて評価することは、総括そのものに齟齬をきたすであろう。児童文学は前年度の現状維持のまま一九七六年を大過なく過ごした。だが、子どもをとりまく、すべての状況は確実に悪化しつつある。にもかかわらず、児童文学界で<子ども離れ>を評価する発言さえあらわれ始めている。かつてこの国の児童文学の優れた先輩達は、己の内なる心象としての童心に情憬的に真善美の殿堂をうち建て、現実の子どもを拒否して、なおかつ、その殿堂を<童話>乃至は<児童文学>と名づけた。その伝統はいまなお、脈々として誇り高くうけつがれているのである。
テキストファイル化永井オリエ