イーヨーの灰色の思い

『われらの時代のピーター・パン』(上野瞭 晶文社 1978/12/20)

           
         
         
         
         
         
         
    


……どうして、イーヨーは、いつもあんなふうなんだろうと、みんな、いうけれど、ぼくだって、いや、プー横丁に住むものはみんな、時どき、じぶんのことをイーヨーだと思ってるんじゃないのかな。
                (くまのプー「未発表の日記」)

 3月下旬、ばあさまが入院した。おしりのまわりをぷちんと切るためだ。うんちの出口が腫れあがり、痛い痛いといいだしたからだ。お医者さまは、麻酔をかけて、ぷちんとやり、もう大丈夫、といった。あとは、うんちがでるのを待つばかり、といった。その晩、ばあさまは、ベッドの上から3度落ちた。すぐ下に、イーヨーのかみさんが寝ていたから、コンクリの床に撃突することはまぬがれた。
 ばあさまは、今ふうにいうと、重度身体障害者。目が見えなくなって20年になる。おまけに、片手と片足が、棒のようにこちんこちん。神経麻痺を通りこして機能が壊れてしまっている。身障者手帳をもらっている。
 ばあさまのつれあいのじいさまは、椎間軟骨ヘルニア。コルセットをはめている。歩けないわけではない。歩けるが、自動車の風圧にも吹っとぶほどよろよろである。交差点の信号が青のあいだに、どうしてもむこうに渡りきれない。それは、自動車が待ってくれれば何とか解決するのだが、どうしても待ってくれないものに、おしっこがある。じいさまは、茶の間からトイレに必死で急行する。気持は急行するが、足は気持を裏切る。便器に到着しているはずが、まだ廊下の半ばであったりする。そして、洩らすつもりのないものが、洩れてしまう。トイレの入口に白く残るじいさまの意志を裏切った自然のあかし。じいさまの「おもらし」の跡を見て、やるうと感心ばかりしておれない。イーヨーは顔をしかめ、イーヨーのかみさんはごしごし水洗いする。
 じいさまの唯一の楽しみは、酒である。晩はもう、飯などに見向きもしない。日本酒を飲む。そして、酔うと、何とか風呂へいれようとするイーヨーのかみさんの予定を狂わせる。
 ばあさまが入院して、生活のサイクルは狂いはじめた。じいさまがそれにいっそう拍車をかける。やっとこさ、病院のつきそいを交替してイーヨーが家にもどる。机の前に座ろうとする。すると待ちかねたようにじいさまが病院目ざして出陣しようとするのだ。またぞろ、バスで2停留所むこうの病院まで、今度は、イーヨーも、赤ん坊のペースで歩くことになる。
 欠かせないもの。家では、掃除、洗濯、買物、炊事、じいさまの世話、猫の世話。病院では、ばあさまの食事、用便の世話、点滴注射の腕の固定、夜の落下防止。イーヨーは、このほかに、昼間の仕事と隙間の仕事をかかえている。生活を支える昼間の仕事に対して「夜の」といわないのは、イーヨーがいつも、時間の隙間を見つけて、夜昼問わず、細々と金にならない原稿を書いているからだ。それでも、ばあさまの入院まで、それなりに安定した時間の隙間があった。それが、見る見るうちに壊れていく。
 イーヨーは、久しぶりに胃と背中をつらぬく一本の疼きを感じる。イーヨーは、胃潰瘍を2回、十二指腸潰瘍を1回、すでに経験している。バリウムをのむレントゲン検査は、その2倍以上やっている。それはいい。しかし、胃カメラだけは、2度やっても、それはいい、という気持になれない。日本脳炎の折の脊髄液の抽出検査。膀胱炎の折の膀胱鏡の検査。あれも参ったが、胃カメラもたまらないな、と思う。1度、検査のお医者さまに、「アウシュヴィッツみたいだ」といったことがある。ほんとうは「拷問」といいたかったのだが、それでは、お医者さまの気分を害すると思ったのだ。けしからんことを口走る患者だ……と思えば、お医者さまだって、つい、ぐいぐいとやりたくなるだろう。むこうは、患者に「よかれ」と思って検査をしているのだ。いくら、体の中に機械をつっこまないでください……といっても、「科学」は待ってくれない。あんな細い尿道にライト付きの顕微鏡をつっこむ時代だ。尿道よりも大きいのどから、胃袋にカメラをいれるくらいは、大した問題ではない。
『死ぬ瞬間』という本がある。エリザベス・キューブラーロスという人が、末期患者にインタビューし、生の最終段階において人はどう反応するか、真剣にそれを受けとめようとした本だ。(川口正吉訳、読売新聞社)この本を、イーヨーは、六年前に買った。そして、読まずに本棚のすみに押しこんでいた。6年目に読みはじめたのは、いうまでもなく、ばあさまのせいである。ばあさまは、ひどくぼけてしまって、夜昼の区別がない。目の前にいる相手を、過去の記憶の中の人物、また、そこにいない人物と混同する。ばあさまには悪いが、これが、生の最終段階だろうか、と思う。ばあさまの支離滅裂な片言雙句の中に、近づくものと遠ざかるものに対するメッセージがあるのだろうか、と考える。人は、死ぬ瞬間に何を考えるのだろうか。そのことをすこしでも知りたくて、E・キューブラーロスの本を読む。買物と食事の仕度の隙間に、フライ鍋の前で読む。
「病が重篤になると、患者は意見をのべる権利のない人間であるかのように扱われることが多い。入院すべきか否か、入院するとすればいつか、どこの病院か、それらの意思決定が患者以外のだれかに委ねられる場合が多い。だが病人もまた感情をもち、希望と意見をもっていること、そしてなによりも大切なことは、意見をのべて聴かれる権利があるのだという当然のことが、忘れられてはいないだろうか。」
 E・キューブラーロスはこういったあと、現代医学が、患者を1個のものとして取り扱うことに触れる。
「初めから人間としてのかれを考える人は、かれの生命を救う貴重な時間を失うのだ。すくなくとも、これが、この手術室現実の論理的根拠であり、正当化の理由であるように見える。」
 さまざまな検査。機械器具による人間内部への測定調査の開始。注射。輸血。薬物の投与。それをめぐって正確に動きまわる治療意図の人びと。
「このますます機械化されてゆく、ますます脱人格となってゆくアプローチは、結局、死にゆく人を扱うわれわれの自我防衛機制(不安を回避する心理的機構)の発動ではないのだろうか。」
「死があまりに恐しく不快なので、われわれの全知識の方向をそらして、器械に向けているのではないだろうか。」
 イーヨーは、4ヵ月近くおしっこのでなかった、隔離入院させられていた日のことを思い出す。ゴムのカテーテルによる排尿の連続。なすすべもなく高熱の中に投げだされていた半年という時間。そのあとに続くさまざまな病気に、いつも検査がのしかかっている。じぶんの症状を語りたいし、それを理解してほしいと切望しながら、病院の入口をくぐったとたんに、一枚のカルテに変身してしまうじぶん。ばあさまもまた、例外ではないのだ。
「医学はまだ人道主義的であり、尊敬すべき職業であるのか、それとも人間の苦痛を軽減するというよりは、たんに生命をのばすことを目的とする、新しい、だが脱人格的な科学となろうとしているのか。」
 E・キューブラーロスは、さらに「死の否認」に触れる。かつて宗教が受けおったそれを、現代科学は、あらゆる機械装置とコンピューターの力をかり、人間に受けおうようになった。宗教における「死の否認」には、死後の魂の安息を約束することにより、人びとに希望と目的をもたらすことがあった。しかし、それを肩がわりした現代科学は、「死の否認」はするが、希望も目的ももたらさない。ただ肉体の「生きのびる」ことだけを目ざし、不安を増大させるだけである。
「国民全体、あるいは社会全体がこうした死の恐怖に怯え、死の否認を志向しているとすれば、死の恐怖を克服するためには、破壊的な自己防衛手段だけにたよらざるを得なくなる。戦争、暴動、さらにまた殺人その他の犯罪件数の増加などは、われわれの受容的心情と、威厳とをもって死に直面する能力の低下を物語っているのかもしれない。」
 じぶん自身の死をおそれるあまり、人は、他人の死によって、じぶんの不死を確保しようと願う……。こういう願望の氾濫を、イーヨーも感じる。じぶんに起こりうるはずのない「人生の惨劇」……。傍観者の「殺人参加」……。
 ばあさまは、うんちさえでれば退院していい、といわれる。外科的処置は終了した、というのだ。座薬、浣腸、その繰りかえしにもかかわらず、うんちはでない。水分だけが流れでる。イーヨーのかみさんは、疲労の極に達し、イーヨーは、胃と頭をかかえ、イーヨーのせがれは、交代看護でうんざりしている。じいさまは、酒をのんで、発作的に病院行きを思いつき、イーヨーたちが、それぞれの仕事を投げだしていることなど、爪の先ほども考えつかない。ぼけるということは、ある意味で、不幸を分担しあわなくてもいいことなのだから、結構な話なんだ。イーヨーは、ばあさまの入院が、短い春休みのあいだだったことを、せめて「よし」としなければ……と思う。
 4月、ばあさまの退院。これが「おわり」ではなく、「はじまり」であったことは、日ならずしてはっきりしてくる。イーヨーは、家族とはなれて寝ている。その頭のま下に、ばあさまのための室内便器がすえてある。かっきり真夜中の2時、それは始まる。どしん、ずでんどう!2階までひびく音は、ばあさまの倒れる音である。ばあさまは、ある瞬間、棒のように倒れる。すると、じいさまの声がそれに続く。ばあさまは、1人で立ちあがれる場合もあるし、どうしても立ちあがれない場合もある。立ちあがれて、それから便器にまたがり、布団にもどろうとして、どでんと倒れる場合もある。はじめから、おしまいまで、(これが何と明け方の4時だ)倒れっぱなしの場合もある。この時、じいさまがよたよたと階段の下まできて、イーヨーのかみさんの名前を呼ぶ。イーヨーのかみさんは、このじいさま、ばあさまの娘なのだから、イーヨーを呼ぶより呼びやすいのだろう。しかし、はじめに下に降りるのは、イーヨーである。イーヨーのかみさんは、それこそ昼間の疲れで、うすっぺらな魚のように猫のそばで眠っている。
 イーヨーは、夜中の1時に、やっと布団にもぐりこんだばかりである。これから深い眠りの底へもぐりこもうとしている。じいさまの声は、そのおぼろな瞬間をわしづかみにして、イーヨーをうつつの世界に引きもどす。イーヨーは、酔っぱらいのように、ばあさまに近づく。ばあさまを抱き起こすと、便器にすわらせる。その頃になって、やっと、イーヨーの頭の芯はずきずきと疼きはじめる。ばあさまは、そこでまた、倒れる場合もあるし、おしりをあげようとして倒れる場合もある。いずれにしても、かかえて手を洗わせ、おしりの始末をさせ、そして、お薬を塗りつけ、布団の中にもどさねばならぬ。じいさまは、そのあいだじゅう、よたよたとまわりを歩きまわり、「しっかりせよ」とか、「気をしゃんと持て」とか、ほんとうは、じぶん自身にいい聞かすべきシッタゲキレイの言葉を吐き続ける。イーヨーのかみさんも途中で起きてくることがある。また、イーヨーのかみさんひとりで、夜のこの儀式に参加することもある。いずれにしても、やっとこさ、じぶんの布団にころがったイーヨーは、そんな場合、口も利けない。煙草をくわえて、空の白むのを待つ。ばあさまもじいさまも、昼間、ごおごおと眠っている。しかし、イーヨーは、自転車で出勤しなければならない。昨夜、途中でやめた隙間の仕事を、もうとても続けられないほど、体はくたびれている。これが一日の始まりである。そして、神経をぎりぎりにしめあげるような一日が終わって、それが、夜の「ずでんどう!」につながっていく。
 イーヨーは、だんだん眠れなくなる。聞えない先から、頭の下のばあさまの倒れる音、じいさまの御指名を待ち受けるようになる。呼ばれない夜中でも、ちゃんと頭の下の排便儀式を聞いている。
 昼は、セデス。夜は精神安定剤。隙間に胃薬。仕事に煙草。深夜に水割り。昼間にコーヒー。イーヨーの体の中を、ぴっぴっぴっと、無数の金属魚がひらめいてとびはねる。イーヨーは、ばかだから、腹を立ちなければならない時、気弱く笑っている。死ニソウ……と連発することで、やっと浮上し空気を吸う。他人とまじわって、なごやかに振舞っただけ、夜はふさぎこんでいる。慢性腎炎の体からは蛋白尿が流れ続け、プラス2と宣告される。顔は血圧のせいで上気し、後頭部に、もやがかかっている。
 5月。ばあさまのおしりが異常に腫れあがる。週1度、往診のお医者さまが、再度の切開手術をすすめる。イーヨーのかみさんは、ばあさまより、今度は、じぶんが倒れるだろうという。イーヨーのかみさんには、兄貴が1人ある。じいさまと、あまり折り合いがよくなくて、独立して商売をしている。この兄貴と、イーヨーのかみさんの話しあいが始まる。今度は、何が何でも付添いのおばさんをたのもうと決める。
 ばあさまのおしりの腫れものは、できものでないことが判明する。おしりをぷちん、で問題は片付いていなかったのだ。うんちの出口にいたるまでに、腸の粘膜がすでに破れている。そこから、うんちが皮下に流れこんでいるのだ。腸壁には、20年間の運動不足のせいで、排出すべきうんちがかたまり、このままでは腸閉塞になるという。
 6月。ばあさまの人工肛門設置手術。手術の前日と手術日、イーヨーはイーヨーのかみさんや、かみさんの兄貴と、葬式の相談。手術中に万一のことありと心せよ……と、お医者さま。5月のおわりから再度はじまった病院通いを、イーヨーはおりている。すでに、膝関節や指の関節が、微熱のため疼き続けている。すごく高いな……と思うにせよ、付き添いのおばさんがきてくれている。イーヨーには、このおばさんが神様に見える。おかげで、3月下旬の時ほど、めためたに走りまわらなくてもいい。しかし、4月、5月の深夜のばあさまの排便儀式以来、イーヨーは、完全に体をこわしている。休みたいと思う。しかし、毎日毎日、仕事と会議は休みなくイーヨーを前に押しだす。
 ばあさまの手術はうまくいった。ばあさまは、一日5本の点滴注射で、まだ生きている。点滴用の注射針がはいらないほど、いたるところ内出血している。お医者さまは、皮膚を切開し、血管を取りだして注射針をさしこむ。じいさまは例によって、出陣を開始する。イーヨーの家族は、じいさまのよたよた歩きのガードマンになれない。それぞれ、朝、出かけねばならぬ。じいさまに、イーヨーのかみさんが、事情を話す。じいさまは、ほんのしばらくもすると、それを忘れる。朝いったことは、昼まで記憶に残らない。だから、じいさまはでかける。病院は、前よりも遠い。ある日は、うまくいきつき、別の日は、まったく見当はずれなところにいきつく。見知らぬ人から、家に電話がかかってくる。じいさまは、名刺を持っているからだ。イーヨーのかみさんは、パトカーみたいに自転車を走らせる……。

 何年か前、ひとりの児童文学者が自殺した。看病疲れ、としてあった。イーヨーは、その時、有吉佐和子の小説『恍惚の人』を理解するように、その作家のことをわかったつもりになっていた。ばあさまやじいさまと、今のような形で関わりだして、はじめて、その人をよくわかっていなかったことに気づく。なぜ……と問える人は幸せなんだな。そう思う。それと同時に、人生の始発駅に関わることは、終着駅にも関わることなんだな、と思う。
 プー横丁には、楽しい登場人物がつぎつぎでてくる。その中で、ロバのイーヨーだけが、いつもうっとうしい。ミルンは、その原因をさぐらなかった。知っていたのかもしれないが、それには触れなかった。かわりに、イーヨーの家を建ててやろうとした。だが、ひょっとして、あるいは、もしも、イーヨーは、ばあさまというような、どうしようもない事情を抱えていたのではなかろうか。いやもちろんのこと、『くまのプー』には、始発駅の発想があって、はじめから終着駅の発想はない。ミルンは、それを語るかわりに、イーヨーより一足先に、じぶんで終着駅にいきついてしまったのだ。いや。ほんとうに、これは、きわめて、あたり前の話だけれど、それでも、やっぱり、どういうか、うーんと、イーヨーは考えこむ。

テキストファイル化佐々木暁子


生きているのは、あんたたちだけだと思っているのかい……と、フクロウがいった時、プーもコブタも、何のことだかわからなかった。ふたりにとって、世界とは、プー横町以外に考えられなかったからだ。(贋作「ミルンの創作ノオト」)

 ばあさまの人工肛門をはじめて見た時、イーヨーはいささかうろたえた。ばあさまのおへその横についたそれは、唇のようにまくれあがり、肛門というよりも、まずはむきだしになった生殖器そっくりだった。寝ているばあさまには申し訳ないが、これは猥褻である。とイーヨーは考えた。七十四歳のばあさまの持ちものにしては、そこだけがあまりにも色あざやかなのである。イーヨーは、横にいるかみさんの様子をうかがったが,かみさんの方は,それほど驚嘆しているようには見えなかった。
 付き添いのおばさんは、排便後の処理を説明すると、つぎに御本家の処置について話しはじめた。御本家とは、もと肛門、本来の正当なるおしりの穴のことである。開腹手術の際、腸は断ち切られて、御本家の出口の方へ、うんちは運ばれないようになっている。断ち切られた腸の先が、おへその横に直接顔をだすようになっている。御本家からは何もでないはずである。それなのに、若干の液状物が、どういうわけか滲みだしてくる。そこで、御本家の穴にガーゼをつめこむ必要がある。
 付き添いのおばさんは、ピンセットの先に脱脂綿を巻きつけ、それでガーゼを押し込むのだと実演してみせた。お医者も看護婦さんも、こういう仕事はやってくれないと、おばさんは強調した。文句は多いが、実に頑張るおばさんである。イーヨーは、このおばさんに感謝の念と奇妙な敬意を抱いている。御本家の処置のあと、背中の床ずれの手当をする。そして……と、おばさんの説明は続いた。
 その間、ばあさまは、生まれたままの恰好でベッドの上に投げだされていた。ばあさまに羞恥心がないわけではない。体裁をかまう気持もある。しかし、目も見えないし手足も動かない。血のかよった棒のような状態である。付き添いのおばさんが寝巻の前をめくればめくったまま。おしりをむきだしにすればむきだしたまま。じぶんの意志や感情に関係なく、ばあさまの肉体はカボチャや魚の干物のように、他人様の前にさらされる。
 イーヨーは、見まいとしても、ばあさまの体の一部始終を見ることになった。一口でいえば、干からびて脂肪の完全に喪失した一個の塊りである。しかし、ばあさまが干物でない証拠に、しわしわの乳房がついている。あるかなしかという程度に恥毛がそよいでいる。その先に厳然と女性のしるしも亀裂をつくっている。イーヨーは、ほんの短時間のうちにそれらすべてを見たわけだが、それの与える印象は強烈で、おまけに説明しがたい複雑な思いに把えられた。
 ばあさまはばあさまである前、ひとりの女だった。そういえばいいだろうか。これは当り前の話である。ばあさまもイーヨー同様、多感な思春期を持っていたはずである。これも当然のことである。その時、ばあさまの乳房はかくもぺしゃんこではなく、人並みにふっくらと盛りあがっていたに違いない。イーヨーはそう考えた。
 イーヨーがここで思い浮べたのは、某化粧品会社のセミ・ヌードのモデルである。美しい小麦色の肌を何のためらいもなく街頭にさらしている。若い娘さんである。イーヨーは、その「美女」の名前を知らない。だから、かみさんに、「そら、おしり丸だしの女の子」といって、けげんな顔をされたことがある。イーヨーが、どの女性のことをいっているのか、それがわかった時、かみさんは、「あの人はちゃんとパンツをはいてるのよ」とイーヨーの言葉を訂正した。なるほど、彼女は、ビキニの下の部分のようなのをはいている。しかし、その立体広告の前を自転車で通りすぎるたびに、あれははいているといえるのだろうかと考える。だれも文句をつけないなら、あんな布切れ一枚だって、とってしまうに違いない。それほど堂々とした? 肉体提示である。人も我もそう思う体の「健康的な美しさ」である。たぶん、この「美女」の中に、イーヨーのばあさまのような「未来像」はないだろう。「見る側」のだれも、この「美女」をしわしわや干物的肉体と結びつけることはないだろう。それにもかかわらず、この「おしり丸だしの女の子」は、間違いなく、しわしわの棒だらに直行していく……。
 ばあさまは、そのモデルの娘さんほどではないにしても、かつて、それなりの「若さ」と「美しさ」を持っていたに違いない。そうでなければ、どうして、今のじいさまが結婚を申し込んだろう。じいさまも若く、ばあさまも若かった。そして、じいさまは、ばあさまを、血走った目で眺めたに違いない。そうでなければ、どうしてイーヨーのかみさんやかみさんの兄貴が生まれただろう。ばあさまは、みずみずしい奥さんであっただろうし、笑ったり歌ったりする若き母親だった。
(イーヨーは、このあたりで想像力の貧困を感じる。そんなふうに断定しながら、具体的にその姿が見えないのだ。まあいい。)
 だれも最初から、しわしわのばあさまであるはずはない。ばあさまになるには、測り知れないほどの時間がかかる。それにもかかわらず、ばあさまになってしまうと、そこまでやっとこさたどりついた長い時間を、だれも考慮しなくなる。ばあさまは、最初からばあさまであったように思いこんでしまう。そうでないことをはっきりおぼえているのは、ばあさま本人だけになる。イーヨーでさえ、ばあさまの撥剌とした時代の存在したことを、神話的に感じてしまう。いわんや、イーヨーのせがれの世代は、それを有史以前の事実のように感じる。街角で見かける「おしり丸だしの女の子」とばあさまが、まったくおなじ「娘としての時間」を持ったなど、だれが信じるだろう。
 老人学が、社会福祉の発想が、また医学や心理学が、どれほど理路整然とそのことを説き続けても、この眼前の事実とそれへの人間的反応を消去することは困難である。
 ばあさまは聡明であったのかもしれないし、あるいは、それほど聡明でなかったのかもしれない。いずれにしても、ごくふつうの女性だったろう。すくなくとも、夜と昼を取り違えたり、じぶん以外の人間にも生活があることを忘れたり……ということはなかっただろう。今、ばあさまの中で、そのバランスが崩れている。自他それぞれが煩雑な生活を持っているという知覚が喪失している。世界は単純化され、世話されるじぶんと、世話する他人の二種類の人間しか存在しなくなっている。
 すべてのばあさまがそうだというのではない。しかし、すべてのばあさまが、そうなる可能性を持っている。イーヨーはそう考える。しかも、すべてのばあさまが、実は、イーヨー自身も、その中に含めて考えている。ばあさまに限らず、じいさまも、また、つまり、人間すべてがこうなることを含んでいる。
 付き添いのおばさんが、イーヨーとかみさんに、ばあさまの人工肛門の処置の仕方を説明したのは、見舞人へのアトラクションではない。ばあさまが帰宅することになったからである。退院ではない。試験帰宅という、病室は確保したまま、一時的に家に帰ってみる。お盆の里帰りと同じである。病院側はそういうふうに事務処理をしてくれたが、ほんとうは違う。付き添いのおばさんがくたびれたからである。もう家に帰らしてもらいますと、決意を固めたからである。人工肛門や御本家の開示は、それにあたっての「引き継ぎ」である。イーヨーとかみさんは、ふうっと目の前が暗くなるような感じがした。ばあさまの世話で、不眠と神経症的強迫感はすでに経験ずみである。専門職のおばさんさえ眠れないとこぼすほどである。それぞれの仕事を持っていて、どれほどばあさまに耐えられるか。イーヨーは、また仕事はできないなと覚悟した。
 この「帰宅」を聞いて張り切ったのは、じいさまだけである。張り切ったといっても、別に、じいさまはエイエイオウと「天突き体操」をはじめたわけではない。ばあさまの入院前とおなじく、一日中寝ているだけである。かつては、植木鉢に水をやることが、じいさまの唯一の運動だったのに、それも放棄している。仕方なくイーヨーが、朝な夕なに水をぶっかけている。じいさまの運動は、新聞を読むことと箸を動かすことだけである。お酒を飲んで感傷的気分になると、メモ用紙にイーヨーたちへのメッセージを書くことである。
 ばあさまを即刻連れもどせ……という走り書き。ばあさまの世話はじぶんが一切やる……という決意表明。時には、「子等に告ぐ!」というかつての叛乱軍兵士へのメッセージに似た宣言文もある。いたたた、いたたた、と腰をおさえることと、もうだめである、死ぬから、と申し渡すことが、じいさまの毎日のお喋りである。慣れたというものの、ひどく気は重かった。
 じいさまは、ばあさまの入院の際、おなじ病院で精密検査を受けている。まったく異常なしの体である。そこへいくと、イーヨーもかみさんも「健常者」からはずれている。ばあさまに六人分の輸血が必要だった時、イーヨーたちは日赤病院に「返血」にいった。(献血ではない)イーヨーは慢性腎炎ではねられ、かみさんは標準以下の血液濃度というので採血不能といわれた。イーヨーのせがれだけが、採血可能な健常者だった。じいさまは、そういうことを考えない。じいさまにたとえ話したとしても、つぎの瞬間、忘れてしまうだけである。じいさまの中にも、世界認識の単純化装置が作動していて、自己=老人=いたわられるべきもの=悲劇的存在という意識が確固としてある。同居家族のイーヨーたちが何をしていようとそれは問題ではない、じぶんの世話を見るべきだという意識だけがはっきりしている。イーヨーはその発想の前に、いつも沈黙した。
 ばあさまが帰るときまった日、前まえから読みたいと思っていた一冊の本を、イーヨーは買ってきた。ジャン・ポール・サルトルの『シチュアシオンX』である。この本のことは、堀田善衛の『本屋のみつくろい』(筑摩書房)で知っていて、何度か丸善まで探しにいったものである。原書の方はSituations.Zあたりまでしかなく、結局、人文書院版の訳本を買った。別にフランス語が読めるわけではない。これを機会にひとつ再学習をしようと考えただけである。イーヨーは、二十年以上、フランス語を手に取っていない。厳密にいうと、その間一度だけ、翻訳のまねごとをしたことがある。しかし、昨年、イギリス航空のエンジン故障で、ドゴール空港で数時間待たされた時、どうしてもフランス語を話す必要に迫られた。トイレでチップの小銭がなかったからである。とっさに喋ったフランス語は、学生時代に手にした『フランス語四週間』程度のものだったが、相手のばあさまに通じた。フランス語といえば、イーヨーの中には、敗戦直後、ムッシュ・オーシュコルヌにL’existantialisme est humanismeを習った記憶が生きている。また、サルトルの『嘔吐』を熟読した胸部疾患の時代の記憶が生きている。
 『シチュアシオンX』は、その記憶を呼びもどすために買ったのではない。この巻に、サルトルの「七〇歳の自画像」が収録されていたためである。ミッシェル・コンタの質問に答えて、サルトルが、政治、自作、音楽、金、健康状態などについて語っている。視力喪失の箇所は、以前「朝日ジャーナル」の抄訳で読んだことがある。イーヨーの関心は、じいさまやばあさまもひとつの「老年期」なら、サルトルの在りようもひとつの「老年期」である。そこに潜在的にも共通する「老年期現象」があるのかどうか。それとも、おなじ「老年期」といっても、予測どおり相当な隔差があるのかどうか。そうしたことを確かめたかっただけである。
 仮りに八十歳まで生きるとして、残りの十年に何をなし得るか……そういったあと、サルトルはいっている。

 ―わたしの場合、年は半失明をとおして(これは一種の事故であって、別の事故が起こりえたかもしれなかったわけだが)、また死が近いとうことをとおしてしか感じられない。死というやつはどうしても否定できないんでね。死のことを考えるということじゃない、わたしはぜんぜん死のことを考えない。そうではなくて、死が近づきつつあるということを知っているということだ。
 ―それは前から知っていたでしょう。
 ―その通り。けれども、そのことを考えてはいなかった。ほんとうにはね。ある時期には自分は不滅だと思い込みさえしたくらいだ、ほぼ三十歳くらいまでは。けれどもいまでは自分がすぐにも滅びうるということを知っている。死のことはぜんぜん考えないのにね。ただ自分が生涯の最後の時期にあること、したがってある種の作品は書き得ぬことは承知している。量的にであって、むずかしさのためじゃない。頭の働きという点では十年前とほぼ同じレベルにあると思っているわけだから。わたしにとって重要なことは、なさるべきことがなされたということだ。出来の良し悪しはどうでもよい。けれどいずれにしても、やってみたということだ。それにまだ十年残っているじゃないか。
 年齢に関するところを、もうすこし引いてみよう。

 ―しかし、いま申し上げたことのなかに、年齢のことはそれほど関係していなかったのですが。いつごろから年をとったとお感じになったか?
 ―複雑なんだな。というのはね、ある意味では、眼を実際に使えなくなったとか、一キロメートルしか歩けないとかいうこと、これは老化ということだ。つまりね、これは病気らしくない病気で、これがあっても生きていけるが、わたしが道の果てに来ているという事実に由来することはたしかなんだ。というわけで、老化ということ、これは事実だ。けれども他方では、そのことをさほどわたしは考えない。自分のことは見えるし、自分のことは感じられるし、仕事は四五歳か五十歳の人のようにやっている。老年という意識はない。とはいっても七十歳では老人ということになるんだな。
 ―あなたと同じ年齢の人びとの大部分はそんなふうだと思いますか?
 ―さあどうかね。わたしにはなんとも言えない。わたしは自分と同じ年齢の人たちが好きじゃない。(略)
 ―しかし、あなたと同じ年の人びとの何が嫌いなのですか?
 ―彼らは年寄りじみてるよ。これには辟易するよ。
 ―あなたが人を辟易させるとは思わないが……。
 ―ああ、けれどわたしはね、わたしは年寄り連中のようじゃないからね。年寄りというのは自分の考えをくどくど繰り返し、固定観念にしがみつき、今日他の人間が書くものによって邪魔されたと感じている。……ああ、連中には辟易するね。処罰さ、この年というやつは。たいていの場合には。それに彼らはかつて持っていた新鮮なものを失っている。若い頃知り合った年寄りに会うのは実に不愉快なことだ。(略)(海老坂武訳)

テキストファイル化小田ともみ

 じいさまは77歳である。たぶん、サルトルなど読んだことはないだろう。じいさまは20年前から新聞しか読まなかった。その前はどうだったか、イーヨーは知らない。イーヨーが同居しはじめてから、じいさまが本を読んでいたところを見たことがない。繰りかえすようだが、じいさまの生き甲斐は酒だけだった。停年退職と同時に「働く」ことに背を向けた。それはある意味では賛嘆に価することだったが、「じぶんの時間」が生まれた時、じいさまは「無為の時間」の中にそのまま滑りこんだ。気がつくと、年金も何もないのに、ほぼ20年、酒を飲んではごろごろ寝ていたことになる。何も、じいさまがサルトルのように生き、ばあさまが、シモーヌ・ド・ボーヴォワールのようであるべきだったといっているのではない。このフランス人のカップルと、じいさまやばあさまは、最初からこの世の中に関わる姿勢が違っている。最初は、どちらも「子ども」であった。しかし、そこから旅立たなければならなくなった時、じぶんを、肯定するか否定するか、冒険者たらんとしたか、分別臭い「しきたり人間」たらんとしたか、その選択の安易度によって方向は分れた。ばあさまが『第二の性』などを書かず、じいさまが『賭はなされた』などというシナリオを書かなかったのは、世間様との折合いを最優先した結果である。そうした生き方を選んだじいさま・ばあさまを責めるわけにはいかない。そうした生き方こそ、じいさま・ばあさまのまわりにごろごろしていたものである。大勢に順応し、「枠内人間」の道を選んだ以上、フランスの思想家のようにはならない。それはそれで仕方ないとして、イーヨーの歯がゆく思うのは、その先である。じつにくだらないと人がいってもいい。そのくだらなさの中で、くだらないことに熱中する姿勢、そうしたものが、どうしてじいさま・ばあさまにはなかったのか。
 ばあさまが「試験帰宅」と決った日、イーヨーは、かみさんといっしょに、かみさんの兄貴に会った。かみさんの兄貴は、ばあさまの長男である。もちろん、じいさまにとっても長男にあたる。イーヨーのかみさんは、「試験帰宅後」のことを相談した。経済的にも精神的にも、また肉体的にも、とてもイーヨーのかみさんひとりで引っかぶれるものではないからである。かみさんの兄貴は、「生きているものの方が大事である」といった。付け加えて、「もちろん、ばあさまも生きているが」といった。イーヨーは複雑な気持になった。かみさんの兄貴のこの言葉は、イーヨーも他人にいい、また、まわりのものからもいわれた言葉である。
 たとえば、Yの母が死んだ。今年の夏の盛りである。急死である。Yは、イーヨーのゼミをでた娘さんで、イーヨーのせがれよりほんの少し年上である。イーヨーは、かみさんから伝言を聞くと、すぐYの家にいった。Yの母は、イーヨーより、これもほんのすこし年下である。女手ひとつで、Yと義理のばあさまを育ててきた。もし、死に年齢的序列があるとすれば、80歳の義理のばあさまから昇天するはずである。しかし、死に年齢的序列はない。40何歳の母親の方が、その2倍近い人生歴のばあさまをとびこして昇天してしまった。イーヨーは納棺に立ち会った。まことに手際よく葬儀社の人たちが処置をする。イーヨーは、その時、Yの母親の手足を見て胸が痛くなった。やせ細ったそれは、すぐそばに寝ている80歳の老婆の手足とおなじであり、イーヨーのばあさまのそれとも変わりがなかった。Yの母は、そこまで身をけずって働いた。この夏、死ぬとは考えずに働いた。結果、彼女はふいに心臓発作におそわれ、呼吸困難に陥り、のどを切開したが、そのまま息絶えた。80歳の義理のばあさまは、イーヨーのばあさま同様、まったく目が見えなかった。じぶんで体を動かせない点もそっくりである。Yが、そのばあさまを抱きかかえ、死者への最後の別れをさせた。棺のそばで、手さぐりでYの母の死体にふれ、これは誰・・・・・・というところも、イーヨーのばあさまそのままだった。納棺のあと、イーヨーは、その柩を、祭壇まで運ぶのを手伝った。
 イーヨーはこの時、Yに、「生きているものの方が大事」といっている。もちろん、「生きているもの」として、Yのことを考えている。80歳の義理のばあさまにしばられて、じぶんをおろそかにしてはいけない。そのためには、義理のばあさまを病院に入れてでも、じぶんは仕事を続けるべきだ・・・・・・といっている。80歳のその義理のばあさまは、「生きているもの」ではなかったというのか。とんでもない。彼女もまた生きている人間のひとりだったのである。
イーヨーは、かみさんの兄貴の言葉を聞いた時、そのことを思いだした。「生きているものが大事」とは、棄老の発想だな、と思った。じぶんの中に、そういう冷酷な考えがでんと坐っていることに気づいた。かみさんの兄貴は補足的にばあさまも生存中……と口にしたが、頭のどこかに、すでに「準死者」としてのばあさま像があるのだなとわかった。ひどく不快だったが、これはイーヨーが、Yの義理のばあさまに抱いたことと同じではないか。発言者と発言対象の間柄が、あかの他人であれ、また血縁者であれ、いきつくところはおなじである。老人を切りすてる発想である。考えてみれば、これは、現代文化の中にあるもっともおそろしい発想ではないかと、イーヨーはふいに飛躍した思いさえ抱いた。身障者、不当な被差別者の声はあがっている。しかし、イーヨーのばあさまや、Yの義理のばあさまの声はあがっていない。「役立たず」とひそかに断定される「準死者」はどうすればいいのか。
 イーヨーは、その晩、夢を見た。
 ずっと以前に、吉永小百合をオートバイのしりにのせて爆走している夢を見たことがある。しかしそんなカッコイイ夢ではない。
 貨物列車が到着する。アウシュヴィッツ強制収容所である。貨車から押しだされる人間の群れ。前方にそびえるガス室。門の入口で選別が始まった。(これはすべて、イーヨーが映画や本で見たとおりのものだ)左、と鍵十字の腕章をつけたナチスの兵士が指示をだす。まったく「労働」に適さない老人たちは、ガス室への道を歩かされる。左。その指示を与える兵士の中に、気がつくとイーヨーが立っていた。イーヨーだけではない。かみさんの兄貴も、かみさんも、イーヨーのせがれも立っていた。イーヨーのせがれは、いつも部屋でそうしているようにエレキ・ギターを弾いている。「わたしは、おばあさんを主人公にして一冊の絵本をつくった」という若い詩人も立っていた。ずいぶんとたくさんの知った顔が、ナチスの兵士のそばに並んでいる。貨車からは、ひっきりなしに老人の群れが押しだされてくる。イーヨーのばあさまも、じいさまに手を引かれて姿を見せる。そして、左の道を消えていく。途絶えることのない果しない人の流れ。その中に、やがて、イーヨー自身があらわれた。イーヨーは、しわしわで干物そっくりだった。左。イーヨーのせがれが指示を与えた。イーヨーは、それをとめることができなかった。老人となったじぶんが、ガス室の方へ、とぼとぼ歩いていく姿を見送る以外、何ひとつできなかった。
 夢にしてはできすぎている。吉永小百合の方はほんとうだとしても、アウシュヴィッツの方は、イーヨーの非生産的空想である。選別するものも、すべて選別される側に立つだろうという避けがたい事実への思いである。思いといえば、イーヨーはまた、3人のおばあさんのことを考えた。
 フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』のバーソルミューおばあさん。E・L・カニグズバーグの『クローティアの秘密』の中のベシル・E・フランクワイラーおばあさん。それに、深沢七郎の『楢山節考』のおりんおばあやんである。どうということはない。こういうばあさま像もあるのに……という漠然とした対比である。この中で、もっともイーヨーのばあさまに近いのは、バーソルミューおばあさんである。なぜなら、バーソルミューおばあさんは、一見、じぶんの「過ぎし日々」を思い浮べるだけの人物として描かれているからである。ただ、イーヨーのばあさまと決定的に違うのは、その回想が、ピアスの才筆で実在化され、他人の(この場合は少年トムの)深く関わるものとなった点である。イーヨーはかつて、この作品について、「時間」や「愛」の視点から感想を記したことがあるが、事、「老年」という問題からこの作品を考える時、ピアスは、老年という可視的現象の中に、はじめて人間のふくらみを指摘したことになる。老年でないものが深くはいりこめる老年。老年の中に息づいている非老年の提示。少年トムとハティのあのすぐれた出会いの表現は、じつは、老年の中の人間の発見だったともいえる。
 それにしても・・・・・・とイーヨーは考える。物語は感動的抱擁のうちに終ったが、そのあとバーソルミューおばあさんはどうなるのだろうか。物語は、その先のことを書いていない。バーソルミューおばあさんがひとりの少女であり、少年トムとおなじ(同質の)「子ども時代」を生きたことはわかった。他人によるその了解が、バーソルミューおばあさんを、イーヨーのばあさまとは異質の「老年」に押しやるのだろうか。物語があまりにもみごとな結末を用意しているため、バーソルミューおばあさんまで、ほのぼのと希望にみちた存在に感じさせるが、ほんとうはそうではないだろう。バーソルミューおばあさんは、繰りかえし回想にひたるだろうが、もうトムには出会えないだろう。トムは、バーソルミューおばあさんの回想の中に繰りいれられる。そして、回想の反芻のうちに、バーソルミューおばあさんは天国に召されていく。
 イーヨーの考えていることは、孤独ということである。物語の終ったあと、バーソルミューおばあさんは再び一人ぼっちにもどるということである。トムとバーソルミューおばあさんの関わり方に感動した読者は、その感動だけを抱きしめるだろう。そして、たぶん、「その後のおばあさん」のことを考えることはないだろう。もし、物語の続きを、現実生活の中で見ることができるとすれば、たとえば、中勘助の『銀の匙』の「わたし」と「おばさん」の再会のようになるのではなかろうか。かつての「わたし」にとって、必要不可欠な存在だった「おばさん」が、もうそうは感じとれないという深い溝の提示。
 イーヨーは、中学2年の時、『銀の匙』のそこへきて、ぽろぽろ涙をこぼしたことがある。主人公の「おばさん」への反応に耐え切れなくなって、文庫本のその頁をなぐりつけた記憶がある。今はどうだろう。たぶん『銀の匙』をそんなふうには読まないだろう。「わたし」が、再会した「おばさん」に、駆け寄ることができない距離を感じたように、イーヨーと『銀の匙』のあいだには距離ができているだろう。それは、人間の感動が、おのまま人間の尊重につながらないこと、また、時には感動そのものが、人間を現実から引きはなすことに気づいているからかもしれない。いずれにしても、バーソルミューおばあさんに感動したことは、現実のおばあさんに目を向けることとはつながらないのだ。だから、ピアスのその作品を読んだ読者は、だれも、バーソルミューおばあさんが人工肛門を必要としたかどうかを聞きはしない。また、バーソルミューおばあさんが、胸をときめかせた思い出すら忘れ果て、「老人性痴呆」の状態で植物人間化することを想像もしないのだ。

 考えてみると、ベシル・E・フランクワイヤーおばあさんも、おりんおばあやんも立派だ。人生の教示者や、生きざまのパイロットみたいに毅然としている。イーヨーのばあさまと雲泥の差があるように見える。しかし、「より抜き」のこのおばあさんたちを前に掲げ、イーヨーのばあさまのような「老年者」をシッタゲキレイすることは、すでに手おくれた話なのである。それに、そうした発想の中には、どこか「非老年的」なものがある。晩年の生きざまは、晩年以前の生きざまの中でつちかわれるものなのである。ばあさまにUターンをせまることは、あるいは「非老年者」の身勝手かもしれない。イーヨーは、こんなおばあさんだっているのに・・・・・・と思いながら、一方では、そんなおばあさんにならなかったばあさまを見ている。
 物語や絵本には、魅力あるばあさまがみちている。それは、棄老の時代に、棄老の文化を否定しようとするものなのか、それともまた、無意識なる棄老の発想なのか、どちらなのだろう。イーヨーは考えくたびれて、支離滅裂の思いのまま眠る。

 某月某日、ばあさまの帰宅。担架でベッドに運ぶ。ばあさまは病院車でゆられたせいか、ひどい下痢である。人工肛門からあふれたうんちは、ばあさまの下半身をおおっている。その匂いのすごさは、ばあさまのいる下の部屋だけではなく、家中を漂い、2階のイーヨーの部屋にもあふれる。「試験帰宅」どころか、これがそのまま、ばあさまとの共存生活の「はじまり」である。そして、ばあさまの生けるしるしでもある。イーヨーは鼻をつまみながら、「よく匂う。故にばあさま在り」とデカルトのようにつぶやき、うんちに突進するやせたかみさんを見送った。

テキストファイル化山口雅子