片隅の女性論

上野瞭
『ネバーランドの発想』(上野瞭 すばる書房 1974.07.01)

           
         
         
         
         
         
         
    
1

 上坂冬子の『何とかしなくっちゃ』(講談社)という新刊広告を見た時、わたしは正直いって、「待ちびときたる」というような気持ちがした。「私のBG脱出体験記」というサブ・タイトルのついた新聞広告を、一種の感慨と共に読みかえした。本屋の書棚で、それを取り出した気持ちはきわめて複雑なものがある。推理小説の最終頁を前にしたような、いや、そうした完ぺきな論理の帰結ではすまされないような、ともかく上坂冬子の肉声を聞きたい、聞かねばならぬというような気持ちだった。
 変な奴だ……と思う人があるかもしれない。しかし、わたしは、変でも何でもなく、かつて『職場の群像』(中央公論社・昭34)を切実な問題として受け止めた一読者として、上坂冬子に「聞かねばならぬこと」があったし、また上坂冬子も「言わねばならぬこと」があったはずだと考えていたのである。
 「私の戦後史」と銘うたれた『職場の群像』もさることながら、十年前のその一冊の記録のあとにつけられた『企業の中のH・R論』一篇は、たしかに私の内部に強い共感を呼びおこしたものだった。
 上坂冬子は、その中で、明確な論理的ピリオドを打つかわりに、まるで切なる祈りのような終章をつけ加えたのだ。それは、今読みかえしてみても、切実な叫び声に聞こえる。腐臭を発した活字とは思えない。

 「くたばれ!八幡製鉄」とカツを入れて私たちを叩き起こそうとする雄々しい人達。また、「サークルを機能的集団の方向へ近づけようとすると、必ず人畜無害になり易い。サークルを共同的人民公社の方向へ近づけようとすると、かならず足ぶみ状態におちいりやすい。しかし、ぼくは後者のサークルに期待しながら、農本主義的努力で、第三の論理を模索する」と呼びかけて、私たちをゆり起こそうとする真面目な人たち。しかし本当に申し訳ないけれど、催眠圏内で手足がしびれ、目つきのもうろうとした私たちには、あなた方のその雄々しさ、真面目さを見るのが負担になってきている。
 私たちが本当に望んでいるのは、サムライでも農夫でもなく、私達に「催眠術」を教えてくれる近代人なのだ。かけられたらかけ返すことのできる術を、そして真の「生産性」の意味を奪い上げる術を。
 術と術との果し合い、これはおそらく根気と作戦の続くかぎりの永久運動になるだろう。わずらわしいことである。芯の疲れる話である。出来ることなら抜け出したい。ああ、それよりも一そ眠ってしまいたい。しかし、私たちは眠りこける寸前で本能的に睡魔と闘い、うす目をあけながら催眠術の獲得を熱望しつづけるだろう。


 改めて、これを写しながら、わたしも「芯の疲れる」思いをしている。なぜなら、昭和四十二年、雑誌『日本児童文学』いん、『児童文学における戦後の問題』を連載していたわたしは、その年の四月号でも、この個所を引用したからだ。引用しながら、その時も「催眠圏内」にいる自分を感じていたから、次のように、わたしは書いたのである。

 上坂さん。わたしは、最近――と言っても、もう半年くらい前かな――あなたがテレビに出ているのを見ました。その姿は、わたしがずっと以前、はじめて『職場の群像』を手にして、それを一晩で読みあげた時の、あの激しい感動におそわれた時の著者であるあなたのイメージとかけ離れていました。あなたは、『職場の群像』の中で、体ごと、目に見えない人間の心の壁にぶつかり、それにはねかえさて、それでもなおまた、ぶつかっていかねばならぬというような、そんな美しい人でした。そして、その美しい人のイメージは、わたしの中で、ずいぶん長い年月が経ったのに、こわれることもなく、今日まで持ち運ばれてきたのです。しかし、テレビのゲストとして、坐りこんでいたあなたは、とても思慮深く、落ち着いておられた。その姿に、わたしは、裏切られたとは言いません。しかし、なんだか、すっぽかされたような淋しさが、ほんの少し胸を疼かせました。あのように、落ち着いて、ことばを選んで話しておられるあなたの中で、あの『企業のH・R論』で吐き出された「眠り」との戦いは終わっていたのでしょうか。それとも、「眠りこける寸前」それを打ち破る「催眠術」を獲得されたのでしょうか。

 今、わたしは旧稿の一部を写しながら、読み終わったばかりの『何とかしなくちゃ』の、そこここを思い出している。はじめてのテレビ出演の上気した気持ちや、やがて、それにも慣れながら、つとめ先に気がねして出ていく話などを思いかえしている。わたしの旧稿は、何となく、上坂冬子の服装や物ごしにこだわった所があって、改めてみたい気がしないでもない。それは、「私はいつもろくなしゃれをしていない。かなり無理してお金をかけても、その割にあんまりパッとしないのは、ボデーにも難もあろうけれど、それ以上にセンスが乏しいのだ。何も着てもどことなく、山奥の小学校の先生のような雰囲気がニジミ出てしまう」など、楽屋話を読んだせいだろう。読まなければ、それはそれでいい。読めば、それなりに訂正が必要だろうし、改めてみたい気持ちもするが、改めるまでもないだろうと思う。わたしが『職場の群像』の中から受けとった「美しい人」のイメージは、もともと服装・物ごしに左右されるような、そんなものではなかったはずである。一女性の「生きる姿勢」を「美しい」と受けとったのである。だから、次のようにも、わたしは書いたのである。

 あなたは、組合に最初無関心で、集団生活をきらい、こっそり文庫本などを持って、孤独を愛した少女だった――と記しています。それが、否応なしに、人間と人間の葛藤の中にまきこまれ、やがて、それを直視する目を育てあげ、企業の中で、個人が魔法にでもかけられるように、「眠り込まされていく」ことに気づかれたのです。あなたは、しめくくりの論文で、催眠術を渇望している。勇ましい男たち、雄々しい学者や評論家どもの「りっぱな意見」が、体制の提示する価値観や人間操作に無力であることを告げておられる。
 わたしは、そこで、ひそかに手を叩き、わたしもまた、かけられつつある催眠術と、どう戦うか、その方法を渇望してきたのです。今も、それを望んでいる。あなたは、それも入手されたのか。それは、白土三平の描き出す忍者のように、きびしく恐ろしい死臭にみちた方法なのか。それともまた……。


 まだ、あとがある。しかし、綿々と旧稿を切り張りして何になるだろう。要するに、肩入れしていた少女が、ひとりのおばさんに変わったことを嘆いているように受けとられかねない。もちろん、わたしに、そうした気持ちがなくても、である。
 わたしは、この「上坂冬子への手紙」ともいうべき小論を書いたすぐあと、新聞で、上坂家に泥棒がはいったことを知った。短いものだったが、「談」として、上坂冬子がその時の感想を述べているのを読んだ。捜査にあたった警察官が、テレビでみている『七人の刑事』そっくりだった。それに感心した、というような内容だった。「談」だから、信憑性は乏しい。しかし、その発言は、わたしを軽い失望へと押しやった。『職場の群像』の上坂冬子ともあろうものが……という気持ちがあったからだろう。これは、上坂冬子にかかわりのない手前勝手な論理だ。それは理解しているつもりなのに、自分勝手に裏切られた気持ちになったのは、上坂の「談」の中に、実像と虚像の混同を読み取ったからだろう。
 いうまでもなく『七人の刑事』は虚像である。実像は、それほどヒューマンなものではないという意識がある。無表情に警棒をふるう機動隊と、血まみれになって両手で頭をかかえている若者の姿に結びついていく。そこで、

 これは『七人の刑事』だけの問題ではない。

と、かつて書いた。「上坂冬子への手紙」にも似たその小論の冒頭で書いた。

 対独戦争を描いたテレビ・ドラマ『コンバット』の問題でもある。「丘は智に染まった」は、一部と二部、二回にわけて放送されたエピソードのひとつだが、そこには、遮蔽物ひとつない丘の上のドイツ軍のトーチカめがけてつき進むアメリカ兵がいる。機銃掃討によって、つぎつぎと倒されていくGI。無駄な血は、丘の土に吸い込まれていく。それにもかかわらず、攻撃の続行を命令するヘンリー少尉。その苦悩は、あますところなく描き出される。しかも、トーチカを潰し終わった直後に、本部から来る命令は、その攻撃が不必要になったということである。兵士たちは、血に染った丘を眺めて、声なき呪詛の声をあげる。戦争のむなしさ。おろかな死への抗議。それは、テレビ・カメラが、ひとりひとりのGIの苦痛に歪んだ表情をとらえることによって、ほぼ完全に伝わってくる。視聴者は、そこに「人間」を感じる。戦友の死を悼み、「正義」の代行者たるアメリカを見る。そして、この虚像への感動は、そのままだぶっていって、この時点で、四十万からの兵士をベトナムに投入しているアメリカの、実像に対するアリバイとなっていく。対独戦争での「正義」と、虚像としてのGIが、ベトナムで現に行われている無造作な人間抹殺の実態を、もののみごとに背後に押しやってしまうのである。

 虚像が実像をおおいかくす。少くとも醒めた目で、職場の人間関係をみた上坂冬子なら、泥棒の捜査員と、『七人の刑事』をだぶらせることが、どんな方向へむかう考え方か、解らないはずないだろう。そんな気持ちがあったわけである。「催眠術」を問題にするなら、テレビという媒体による「催眠術」も考慮にあったはずだ。そうした先取りした受けとめ方があったため、わたしは、軽い失望をおぼえた。「術をかけられたら、かけかえす術」を渇望している人間が、虚像の効用を知らないはずはない。そう思った。これは、ぐちだろうか。たしかに、「催眠圏内」にいる「囚人」のぐちともいえないでもない。

2

 『何とかしなくちゃ』に対する期待は、以上のべたとおりの、上坂冬子に対するわたしの受けとめ方からきている。「術」という、いかにも古めかしい言い方が、実は、現代の諸企業内で「催眠」にかかっている人間の渇望を、ぴたり指摘していること。同時に、多数の進歩的発想の理論が、その渇望の分析や批判や方向づけをやる時、実は、多くの被催眠者にとって、「申し訳ないけれど」「負担になり」そこすれ、被催眠者の催眠状態の破壊力あるいは破壊のための起爆的役割をさえ果たしていないということ、この両面を指摘していることを、わたしは、それから受けとっていたということである。
 そうした期待が『職場の群像』というすぐれた記録から十年たって出た『何とかしなくちゃ』に受けつがれたとしても、変ではないだろう。何度も記すようだが、上坂冬子は、十年前の「あとがき」で、切実な囚人の歌を聞かせてくれたのである。

 ここに記録された問題が、まだ何一つ解決には向かっていないものばかりだという思い、言いかえれば企業に属する人間が、決して生涯をかけたたのしい気持ちでは暮らしていないということを、私が身をもって知っているのです。

 『何とかしなくちゃ』は、当然、わたしにとって、『企業の中のH・R論』の延長線上に出現したものとなる。その問題意識を引きついだものだという考え方になる。
 これが、先の泥棒の話と『七人の刑事』の連想のように、わたしの身勝手な先入観であることは否定しない。否定しないとしても、この受けとめ方が、一読者としての姿勢であることも、上坂氏には解ってほしい。そして、こうした期待、こうした姿勢があるからこそ、『何とかしなくちゃ』が、私を軽い失望につきやった……ということになる。この一言をいうために、わたしは、ひどくまわりくどい言い方をしているのである。
 十年目のこの本は、さきに記した泥棒の被害と、それから立ち直ろうとする決意の個所で終わっている。それがどうだというのか。この一冊は、ひとりの企業内女性が、『職場の群像』をまとめたあと、少しずつ、ジャーナリズムの仕事にのめりこんでいく内輪話としてはおもしろい。睡眠時間をさいて、自分の仕事の領域を獲得していった点もりっぱだ。
 ただしかし、「かけられたら、かけかえす術」を渇望していた上坂冬子。あの彼女はどこへ行ったのだろう。ここにいる……と言われればそれまでだ。たしかに彼女は、いわゆる規則にしばられた企業内から、睡眠時間をさくことで脱出していった。眠りこむかわりに、ひとりの文筆業者として自立の道を切り開いた。そこに何ひとつ異議をさしはさむ気持ちはない。それはそれでいいと思う。しかし、「術」を渇望して「催眠圏内」に睡魔と戦っている、文筆業者を志さない(あるいは、志しても無理な)大多数は、どうすればいいのか。上坂冬子には、問題を提示した以上、答える必要はないのだろうか。もちろん、十年前に上坂冬子の記した次のことばを知らないわけではない。

 ハタ目には転向と見える問題の中で、実はどっちへ転向したって満たされっこないというしらじらしさを、お互いに承知し切っていることに、私自身救われる思いがすることです。中間文化とか、大衆社会状況とか、傍若無人の新世代とかの軽快な回転が、まるで直接日本の未来に関係あるかのようにいわれますけれども、あらためて考え直してみる時、始終動いている部分に、いったいどれほどの意味があるというのでしょうか。お互いにそういう目まぐるしさを発散し吸収しながら、でも人のほんとのいのちなんて、その動きの底でじっとよどんでうずいているものではないでしょうか。そうやすやすとしたものではありますまい。

 なるほど、流動する社会現象は問題ではあるまい。巨大化する企業と、細分化される労働状況。強化される管理体制。こうした状況の中の個人はしぼられていく。状況変革の志を喪失した被催眠者が、わたしの問題でもある。
 じっとよどんでうずいている。そうした人はどうなるのか。上坂冬子は、九州公演旅行のある夜の出来事として、ひとりのそうした人の訪問を次のように記している。

 この人は私と同じ年だ――。そう考えた途端にひとごととは思えなくなってしまったのである。妹や弟が追いつき、追い越して行く中で、じっと運命にたえている三十娘。
 職場ではもとよりのこと、家の中でも、たぶん誰一人として胸の中を話せる相手もなく、単純な仕事に青春を埋めつくしてきたこの人――。
 若し私が、あのまま地方の小都市でサラリーガールをつづけていたとしたら、たぶんこれはこのまま私の姿ではなかったろうか。一思いに東京へとび出して来たあの日のことが、再び、きのうのことのように私の頭の中を走り、そして次の瞬間、私は、ああ助かった――と思ったのである。
 冷酷ないい方だけれど、私は彼女の中に私のもう一つの運命をそのまま見たような思いがし、自分が助かったんだと考えると、何ともいえない安心感がこみ上げてくるのをどうすることもできなかったのである。

 上坂冬子は正直に書いている。「冷酷」と自己批判しているが、屈折した「青春」から脱出できた現在を素直によろこんでいる。たぶん、このよろこびや安心感は、わたしの中にもあるいやらしさであろう。それを責めることのできる者は、まったく「自己」の殻を抜けきった人しかない。あるいは、羨望者、ひがみぬいた人ともいえよう。しかし、この「自己」に固執した立場は、それはそれで認めるとして、こうした安心感の底に、一抹のじくじくたる思いが湧かなかったのだろうか。「催眠圏内」のひとりとして、企業の中の人間関係を論じた「自己」のいたことを、自分の中の片隅で思いかえさなかったのだろうか。冷酷といえば、ひとりの女性の中に「もう一つの運命」を見て「助かったんだ」と思うことよりも、そう思いっぱなしにして、何の疑いをも抱かない点が冷酷でもある。BGとジャーナリズムの世界を全く別次元としてとらえ、文筆の世界では「催眠術」の問題が不在であるかのような意識がつっ走っている点が冷酷である。
 あちら側の世界で身にしみて提起された問題は、こちら側では不要である。こういえば、これこそ先走った規定になるが、右のエピソードは、そうしたあらぬ疑いを抱いてみたくなるものを含んでいる。上坂冬子は、「かけられたら、かけかえしたい」という「術」の圏内を完全に脱出したというのであろうか。それとも、まだまだ、その問題にとっかかるまで安定していないということだろうか。
 いずれにしても、あの十年前の「叫び」に似た声は生きている。たとえ、上坂冬子はもはや叫ばないとしても、第二、第三の、上坂冬子が叫びを引きつぐだろう。ともかく、わたしは、『何とかしなくちゃ』を読むことで、「なんとかしなくちゃだめ」な問題がそのまま残されていることを知ったのである。

3
 上坂冬子の静止した時点から、中村きい子の『女と刀』(光文社・昭41)は生まれてきたともいえる。上坂冬子の場合、『何とかしなくちゃ』のところどころに顔をのぞかせているように、結婚、過程、平穏安息な巣のイメージがある。「初恋の人の夢を見たその夜」の章で、上坂冬子は書いている。

 もし、すべてがスムーズにいって、彼と結ばれていたとしたら、今頃私は、平凡な主婦の座におさまっていただろうな。ああ、やっぱりそんな人生の方が幸せだったかもしれないわ――。

 もちろん、すぐに、この想念は否定される。ただ前進あるのみという強い考えでねじ伏せられる。しかし、厳しい決意の基層には、年齢、後悔、別の可能性が、小さくなって息づいている。いや、息づいているのを感じる。他人のそうした意識をも、粉々に踏みくだいてやろうという怨念はない。怨念にまで結晶する思想がないのだ。

   ―――いったい、わたしという女はなんであろう。
   ―――女が女であるというしるしは、子どもを産むということのみにあるのか。

   ―――わたしを真の女として立たしめ、情を燃え立たせるものがほしい。

と、『女と刀』のキヲは思う。

   ―――父さま、ここに四十六歳にもなって、まだいささかの男としての情を示さぬ相手の八人めの子を産もうとしている愚かな女がおり申す。まったく、ものわらいとなる女でございもす。そのような男の子どもを一人産むも八人産むも、おのれのこころを侵されたということには変わりございもさんめ。それゆえ、この女にとってせめて、これからの生き方を、おのれの意に叶った方法でやりとうございもす。それには、どうあろうともこの刀が必要でございもす。

 キヲは、父の直左衛門から一尺五寸の黒鞘をもらう。

   ―――これから、この刀のこの重量と向きあって、生きていかねばならぬ。
   ―――女は男によってつくられると、きくけれど、わたしがこのようにこれから生きていくということは、それはまた、もはやわたしにとって男すら存在しないところで、わたしの女というものを、うちたてていかねばならぬということではなかろうか。あつく灼かれた鉄の肌が、わたしのこの女という肌をうつす唯一の魂の鏡となる。


 「男すらも存在しないところ」で、女の自立をはかる姿勢。これは、上坂冬子にはなかったものである。中村きい子の出現は、相対的な「平和」を支えている近代人意識、いや、上坂冬子にあって「脱出」の方向として選ばれた合理的な世界を垂直にたち切るものであった。上坂冬子が、『職場の群像』で、「資本金六十億。発行株数一億三千万、二割配当。従業員約六千人」の企業の中に、個人と個人の対等の原理を持ち込むことによって、ポジディブな近代意識の評価をする時、中村きい子は一ふりの刀に女の自立をかける近代以前の人間像を提示することによって、その対等の原理の「擬制」的性格をつきあげたといえる。

   ―――ひとふりの刀の重さほども値しない男よ。

 キヲは夫を軽蔑することによって、男女対等の擬制に手をかけた。これは、上坂冬子のよって立つ「自立的世界」の幻影を、踏み砕くものではないのか。上坂冬子は「催眠術を教えてくれる近代人」を待ち望んだ。しかし、中村きい子はキヲを通して、その「待ち望む」姿勢を切りくずす。

 つまり、わたしの孤独もまた――いついかなる場合においても「血」は破ってはならぬ、ながしてはならぬとしているこの日本の体制というくせものに、たえず向ける刃であらねばならぬ――ということなのである。

 こう、きっぱりいい切ることによって、「解放」された「戦後意識」と、「解放」を目ざす「戦後意識」の基層にある「もろさ」を裁断した、ということである。

 「家」のきまりが容赦せぬ、あるいは「体制」というものが容赦せぬとしている側で生きようとすることで、世間から疎外されているものに対しては、――そうあることで、なおいっそうにおのれをくっきりと、この世に存在せしめねばならぬ――と、わたしはわたしのもつあらんかぎりの力をそえてやろうとするのである。

 これは、みずから醒めたものの声である。催眠術をかけられるといい、かけかえすといい、それは大企業の給与と地位にからんだ企業内闘争ではないか。「まったく、ものわらいとなる女でございもす」と知った時、「この女の肌」をうつすのに、なぜ殿御の「術」がいり申そう。おのれを、血をすすった刀に対峙させ、「男すらも存在しない」地点に立つことによって、今日の擬制の民主主義をじりじりと追い申そうではないかという姿勢なのである。
 『職場の群像』が挫折した地点から挫折した個人の基底の甘さを否定するものとして『女と刀』は生まれてきた。「催眠術」への渇望を望む状況の中で、そうした渇望の姿勢を、内面から切りくずすものとして、中村きい子は、キヲという人間を刻み出してきた。これは、『何とかしなくちゃ』に期待しようとしたわたしへの鋭い刃でもある。待つことによって何かを果たしうるとする幻想への葬送曲でもある。
 キヲは、刀を前に、みずからの頽落を切りすて、擬制の対等の原理を裁断した。今、その立場を、さらにこえようとする茅辺かのうの『階級を選びなおす』(思想の科学・載)という姿勢を前にしている。日本のシモーヌ・ヴェーユなどと、知ったかぶりをいうまい。キヲが、どっしり腰をすえたその批判の原点を、茅辺かのうは、相対視する目をもっているのだ。
 思えば、上坂冬子への手紙を書いたわたしの甘さが、いかにコミックであったことか。
 「かけられたら、かけかえす」術を待ち受ける愚かさが、身にしみるのである。ひとふりの刀を持たぬ男として、みずからの立場を選びなおすことのできぬ男として――そのひとりとして――わたしは、これらの「女」の「自立史」をみつめている。
 『何とかしなくちゃ』は、すでに数十歩うしろの声である。今、わたしたちは、つぎのようにとわねばならぬ時点にいるのだろう。

 うしろの正面だあれ……。

テキストファイル化鍋田真里