昭和十四年から南吉が喉頭結核で死去する昭和十八年まで、(とりわけ、死を目前にした昭和十七年)南吉は、その代表作と目される童話を次々に脱稿したことになる。中でも、『鳥山鳥右衛門』や『百姓の足、坊さんの足』や『花のき村と盗人たち』は、『いぼ』『かぶと虫』といった子どもを主人公とした作品と並んで、もっとも新美南吉的な世界、いいかえれば、南吉童話の独自の領域をきりひらいたと評価されるものである。いったい、子どもを主人公とするにせよ、大人を主人公とするにせよ、そこで、南吉は何を語りかけたのであろうか。そもそも、南吉の作品を、大人と子どもという二系列に分類することで、納得していいものかどうか。今、南吉の最後の作品をみてみると、次のようなことに気付く。(最後の作品というのは、もちろん、未完に終わった『天狗』のことではない。『狐』と『いぼ』『かぶと虫』のことを指している)
 『狐』(昭18・1・8)は、文六という少年が、もし、狐になったらどうしようと心配し、それを、母親が、それじゃ、自分も狐になりましょう、もし、猟師や猟犬が来たならば、自分がかまれたり捕えられたりしている間に、文六ちゃんが逃げればいいという、いわゆる「心あたたまる」愛の提示を中心にすえた作品である。これに反して、『いぼ』(昭18・1・16)は、松吉・杉作という田舎の兄弟が、町の子どもである克巳にすげなくされ、「つきおとされたように感じました。じぶんの立っている大地が、白ちゃけた寂しいものにかわってしまいました」という構成である。せっかく、夏休みに仲良くなり、自分のいぼまでやろうとした克巳なのに、久しぶりに会いに来てみると、「何という、間のぬけた、はぐらかされたような心持ちでしょう。考えてみると、今日は、あほ臭いことでした。第一、克巳に知らん顔をされました。第二に、駄賃がもらえなかったので、帰りも電車に乗れませんでした。第三に、やはり駄賃が貰えなかったので、雑誌や模型飛行機の材料を買う夢がおじゃんになってしまいました」
 しかし、である。帰り道で、松吉は考えるのである。
 「きょうのように人にすっぽかされるというようなことは、これからさきいくらでもあるに違いない。俺達は、そんな悲しみに何べんあおうと、平気な顔で通りこしていけばいいんだ」
 ここに提示されていることは、報われざる友情である。報われざる善意である。人生は、そうした不測の裏切り、予測せざる悲哀にみちているということと、それに耐えて生きねばならぬという人生態度の提示である。これは、『かぶと虫』の主人公、太郎の「悲しみ」つまり「小さい太郎の胸に、ふかい悲しみがわきあがりました。安雄さんはもう、小さい太郎のそばに帰っては来ないのです。もう、いっしょに遊ぶことはないのです。おなかがいたいならあしたになればなおるでしょう。三河にもらわれていったって、いつかまた帰ってくることもあるでしょう。しかし、おとなの世界にはいった人が、もうこどもの世界に帰ってくることはないのです。(中略)いま、小さい太郎の胸にひろがった悲しみは、なくことのできない悲しみでした」という考え方と等質のものであり、等質であることによって、『狐』の世界と対照的なものなのである。一方は、善意や愛の流通がスムーズにかわされる世界。一方はそれが遮断され、交流されることもないままに耐えしのばねはならぬ世界。これは、愛と孤独の提示であり、新美南吉におけるその作品のライトモチーフをなすものだといえよう。
 人生を知覚することの悲哀。これは『久助君の話』(昭14)から『花を埋める』(同)、『屁』(昭15)や『川』(同)を経て、『鳥山鳥右衛門』(昭17)にいたる作品の中に一貫している主題である。
 たとえば、『久助君の話』では、不意に遊び相手である兵太郎が、「見たこともない、さびしい顔つきの少年」に変貌することを発見し、「久助君は世界がうら返しになったように感じた」「わたしがよく知っている人間でも、ときには、まるで知らない人間になってしまうことがあるものだと。(中略)そしてこれは、久助君にとって、一つの新しい悲しみであった」(傍点、筆者)と提示される。また、『屁』では、すべての放屁を、石太郎という少年に押しつけて恥じない人間を発見し、主人公の春吉君が「自己嫌悪の情がわく。だが、それは強くない。心のどこかで、こういう種類のことが(つまり、罪を他人になすりつけて、素知らぬ顔をしていることを指している)人の生きていくためには、肯定されるのだと、春吉君には思えるのであった」と記し、人生には醜さの常在すること、ただ正直であるわけにはいかないことを告げる。
 「もとから久助君は、どうかすると見なれた風景や人々のすがたが、ひどく殺風景にあじけなく見え、そういうもののなかにあって、じぶんのたましいが、ちょうど、いばらの中につっこんだ手のように、いためられるのを感じることがあったが、このごろはいっそうそれが多く、いっそうひどくなった。こんなつまらない、いやなところに、なぜ人間は生まれて、生きなければならぬのかと思って、ぼんやり庭の外の道をながめていることがあった。また、つめたい水にわずか五分ばかりはいっていただけで、病気にかかり死なねばならぬ(久助君には、兵太郎君が死ぬとしか思えなかった)人間というものが、いっそうみじめな、つまらないものに思えるのであった」という『川』の中の人生提示。これは、死んだと思っていた兵太郎君が、再び学校に戻ってくることによって、久助君の中に救いが与えられるのだが、『鳥山鳥右衛門』では、ついに、救いのないものとなっていく。すなわち、鳥右衛門は、しもべの平次の沈黙の非難に耐えかねて、自分の人生の清算をすることを決心し、「人のためになる生き方」を探し求めて努力を続けるが、結局、不完全な努力のために発狂するわけである。この報われざる努力、それは『花を埋める』の中の「わたし」が、ツルに抱いた感情の崩壊、あるいは、『最後の胡弓ひき』の木之助の悲哀にも結びついている。
 ツルが埋めたはずの花を、必死になって探し求めるわたし。それを、林太郎から、「まだ、さがしとるのけ。ばかだな。あれ、うそだったよ。ツルぁ、なにもいけやせんだっただ」といわれ、不意に「美しいもの」の不在を知る主人公。「それからのち、常夜灯の下は、私にはなんの魅力もないものになってしまった。ときどきそこで遊んでいて、ここにはなにもかくされていないのだと思うと、しらじらしい気持ちになり、美しい花がかくされているのだと思いこんでいた以前のことを、なつかしく思うのであった」ということにより、人生の幻滅を提示するやり方。成長するすることは、(子どもから大人へ移りかわることは)夢や希望が壊れる悲しさを知ることであり、それが人生なのだという考え方である。これは、木之助の場合、文明開化に裏切られる人間という形をとる。
 「人間がりこうになったので、胡弓や鼓などの、間のびした、ばからしい歌には耳をかさなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということは、どういうつまらぬことだろう」と、木之助にいわしめるのである。
 いつも、木之助の胡弓を愛してくれた「味噌溜」の主人の死。その結果、「長いあいだ木之助の毎日の生活の中で、わずらわしいことやくだらぬことの多い生活の中で、竜宮城のように楽しい思いであったこの家も、これからはふつうの家になったのである」
 『貧乏な少年の話』(昭17)も同じである。主人公の加藤大作が、他人の家の麦を肩にして、必死で走りまわっている父親を見た時、そして、それが、父親の冗談でも若さでもなく、唯、そうすることによって、少しでも能率をあげ賃銀をかせぐためのものだと知った時(人生の実態を知った時)、「顔がこわばってきて笑えなくなってしまった。そして、わらえなくなった顔の、ぎゅっとひきゆがむのが感じられた。深い悲しみが大作君をおそった」ということになる。
 これらの悲しみは、しかし、耐えねばならないものである。耐えることによって、超えねばならぬものでもある。南吉は、そうした作品を、全く救いのないものとするかわりに、個人の心情の中で、それをはねかえし、押しかえしして生きる必要を自覚させ、そうした観念内の回心によって、一つの救いを提示したともいえる。すなわち、松吉・杉作兄弟も、小さな太郎も、加藤大作も、久助君も、みな、耐えることを知った少年たちなのである。そして、これが、『耳』の中の久助君のように、「きっぱりしたやり方」であり、『おじいさんのランプ』の巳之助のように、「世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいをすてて、世の中のためになるあたらしいしょうばいにかわろうじゃないか」という回心につながっていくのである。なかには、木之助のように、打ちのめされたまま、その悲哀をかみしめる主人公もいる。
 みたされなかった南吉の体験が、人生を「悲しみ」として知覚させ、その知覚が、『でんでんむしのかなしみ』から『いぼ』にいたる人生の提示として結晶していった……といえるならば、それでは、『狐』におけるうつくしい愛、『和太郎さんと牛』や『牛をつないだ椿の木』、あるいは『花のき村と盗人たち』における誠意や善意の報われることは、それと、どうつながるのであろう。
 いうまでもなく、初期の作品において触れたように、それらは、現実に裏切られた南吉の「かくあれかし」「かく、ありたい」という願望の投影であり、祈念の結晶だったと、わたしは考えるのである。南吉は、『花を埋める』の中で、砂の中に埋めた花を、
 「どこかはるかなくにの、おとぎばなしか夢のような情趣をもった小さな別天地」であり、そのくせ「無辺際に大きな世界がそこに凝縮されている」といったが、「花のき村」は、盗人たちをも人間らしくすることにおいて、南吉の祈念が凝縮された別天地であり、小さく、しかも大きい今ひとつの世界だったのである。
 海蔵さんの誠意が通じて、「しんたのむね」に井戸が出来あがる話(牛をつないだ椿の木)。子どもが欲しい、子どもが欲しいと願っている和太郎さんにどこからともなく子どもがさずけられる話(和太郎さんと牛)。あるいは、米粒を踏みにじったことを、本心からすまなかったと思うことによって、極楽へ迎えられる菊次の話(百姓の足、坊さんの足)。これらは、みな、現実において、裏切られたり、すっぽかされたりした松吉・杉作兄弟や、久助君や、木之助たちに与えられた救済だったともいえる。先に、わたしは、観念内の回心ということをいったが、その証拠にこの「善意の流通する世界」の救済は、『牛をつないだ椿の木』を除いて、みな超現実的な方法によっている。和太郎さんの赤ん坊は、どこから来たのか、誰がくれたのか解らない。唯、その素朴な人柄への神からの贈り物でというふうになっている。また、菊次の後悔心の通じるのは、この世の話ではなく、あの世においてである。そうした設定になっている。むろん、『花のき村』の場合も例外ではなく、お地蔵さまらしき少年の力によって、盗人たちは真人間に戻っていく。こうした救済法の中で、『牛をつないだ椿の木』は、その例外だとはいったが、これとて、考えてみれば、右の奇蹟とさほど遠いものではない。すなわち、「しんたのむね」に井戸を掘ることを、がんとして拒み通した所有主の老人が、海蔵さんの告白(こんな老人は、しゃっくりが止まらずに死んでしまえばいいと思っていた。しかし、それは鬼にもひとしい心であった。どうか長生きしてください)を聞いて、いままでのかたくなな心を一ぺんに崩し、海蔵さんに井戸を掘る許しを与えるというのだから、美しすぎるといえば美しすぎるのである。しかし、人間は美しくなければならないのであり、美しくあるべきだったという南吉としては、こうした仏性に、その祈念を仮託しないではいられなかったのだろうと思う。
 
 <久しくうっちゃってあった、法蓮華経を出して、少し読んだ>(昭16・12・23)
 <「たわむれに仏の世を信じてみたり」するつもりである。あわよくば、極楽浄土を信じたいものである。学問に毒された懐疑漢としては、むりな願いだろうか>(同・12・24)
 といい、
 <宮沢賢治や中山ちゑもあちらの世界にいるのだ、と思うと、あちらに行くこともそれほどいやでなく思われた>(昭17・1・11)
とも、南吉は書いている。たわむれにせよ、そう考えることによって、みずからの悲哀を超えること。それが、百姓の菊次や、また、盗人たちの世界にも投影されたのだろうとわたしは考える。しかし、南吉は、賢治のように信仰者ではない。だから、極楽や、お地蔵さまや、海蔵さんの誠意を提示しながらも、結局、耐えねばならぬ孤独の提示へ、すなわち『いぼ』や『かぶと虫』に戻っていったのだと思う。
 <僕の青春というのは外語を卒業するまでであった。卒業してまもなく、失業と、失恋と、肋膜炎のため、老人になってしまった>(昭17・1・12)
 <世のつねの喜び、かなしみのかなたに、ひとしれぬ美しいもののあるを知っているかなしみ。そのかなしみを、生涯うたいつづけたい>(同・7・10)



 わたしは、はじめに「おもしろい南吉童話の中にさえ」ということをいった。「すでに、今日の児童文学のおもしろくなさの原因が内在している」と指摘した。そして、それは、ほぼ十年前の日本児童文学の壁を検討するために持ち出したことである……とも記したわけであるが、それではその時、わたしが何を考えていたかということに触れなければならない。
 わたしは、その小論の中で、(というのは、一九五五年『馬車』三号載の『児童文学のおもしろさについて』のことである)新美南吉の作品は「葛藤」を提示していないこと、その無葛藤の作品構成が、戦後のその時点まで尾を引いて、児童文学のおもしろくなさの原因となっていることを記したのである。
 無葛藤というのは、たとえば、対立相剋しあう人間関係を描き切ることによって、作者の思想なり主題を展開する方法ではなく、『和太郎さんと牛』や『正坊とクロ』のように、善人の提示におわるもの、そうした人物に作者の思想なり心情を仮託し切る方法である。こういえば、『百姓の足、坊さんの足』あるいは『鳥山鳥右衛門』には対立しあう人間関係の提示があったではないか。そこでは、菊次と雲華寺の和尚が、また、しもべの平次と鳥吉衛門の葛藤があったではないか……という反論の出ることも予測できる。しかし、ほんとうに、それらは、人間の葛藤を描き出していたか。対立相剋しあう人間関係の提示が、そっくりそのまま、グローバルに、作者の思想の提示となっていたかということである。
 結論をいえば、南吉は、それらの作品において、一つの観念を提示するために、主人公に対立する人物を登場させたにすぎないのである。ということは、しもべの平次にせよ、雲華寺の和尚にせよ、これらの人物は、鳥右衛門を、また、菊次を、作者の予定していたテーゼ(善意・誠意は報われるものなり。あるいは、ついに報われざるものなり……という考え)に近づけるためにだけ提示された存在であって、菊次や鳥右衛門同様に(同じ比重で、といってもいい)描き出されていなかったということである。つまり、かれらは、主人公の回心の動機となるように持ち出された存在であって、たとえば、しもべの平次のごときは、人間というより、不動の善の化身とでもいうような提示の仕方をされているのである。両目を射潰され、乞食となり、それでも、唯、鳥右衛門の前に、「人のためになる生き方」を教示するために出現するだけの人間。すでに、平次という存在は、鳥右衛門と等質の人間の次元にあるのものではなく、観念それ自体、つまりは作者の意のままに操作される価値観だといってもいい。
 このことは、『いぼ』における克巳、『かぶと虫』における安雄、あるいは『屁』における石太郎や『川』における兵太郎、さらに『嘘』における太郎左衛門に共通した役割である。すなわち、克巳も安雄も兵太郎も、松吉や太郎や久助君たちが、人生を知覚するための手がかり、あるいは、それが悲しいものであることを考えるための手がかりにすぎないということである。もっと極端にいえば、この場合、南吉は、人生を「悲しみ」として提示するために、これらの人物を、便宜的に配したのだともいえよう。
 つまり、南吉は、一見リアルな生活描写をしているかに見えながら、実はリアルに生活なり人間関係を描くよりも、自己の価値観を、それにふさわしい人物を提示することによって表現したのだといえる。
 その結果、現実に内在する多くの問題に対峙するというよりも、作品の中で、自己の悲しみと対峙したといってもいい。『久助君の話』にしても『屁』にしても『かぶと虫』にしても、農村を背景にしながら、ついに、そこに内在する問題を中心にせず、抽象的な人生観の提示に終わるのである。『耳』もそうだし『いぼ』もそうである。そこで繰りかえし南吉の語ったことは、人間の心の持ち方である。しかし、これらの作品が、他の同時点の童話にくらべて、そのおもしろさを評価され、今日までも受けつがれてきたのも、また、そうした抽出された人生提示の故である。南吉は、「童話における物語性の喪失」を嘆き、そのおもしろさを回復するために、ストーリーを……といったが、それは、葛藤を喪失することによって、一つの限界を持っていたのである。
 それにしても、である。
 <なんにも大声でさけぶほどのことはない。この人生には。否定する場合の外には>(昭15・3・21/日記より)と、南吉は書き記していた。たぶん、この覚書もそうしたものになるのであろう……。
 テキストファイル化清水真保