児童文学はどこまできているか

上野瞭
『ネバーランドの発想』(上野瞭 すばる書房 1974.07.01)

           
         
         
         
         
         
         
    
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 たとえばこれが、「児童文学の楽しさ」というような話なら、ぼくは、たちどころに喋りはじめるような気がするのだ。
 フランソワーズ・サガンの『ブラームスはお好き』ではないが、きみは、E・L・カニグズバーグの『クローディアの秘密』はお好き?・・・・・・。いや彼女の『魔女ジェニファとわたし』もいいけれど、なんといっても、現代の冒険とは家出じゃないのかな・・・・・・など、ぼくは、ひどく饒舌になるような気がするのだ。
 もちろん、ぼくは、シド・フライシュマンの『ぼくのすてきな冒険旅行』の話もするだろうし、J・R・タウンゼンドの『さよならジャングル街』の話もすると思う。
 文句なしに、『トムは真夜中の庭で』はいい。けれど、そうだからといって、フィリパ・ピアスの『まぼろしの小さい犬』をけなすのはどうかな、児童文学って何だ・・・・・・と、きみは首をひねっているが、この物語の最後の少年の叫び声を、どうして、その解答の手がかりにしないのか・・・・・・なんて、調子のいいことを喋ると思うのだ。
 ところが、「児童文学はどこまできているか」とか、「児童文学はここまできている」という話になると、どうして、ぼくの舌はもつれるのだろう。わらわらと、とたんに、いろいろな作家や作品の名前が浮かんできて、ぼくは饒舌どころか沈黙におちこんでしまうのだ。これは、いつか、児童図書の編集者が声をひそめて、ぼくに語ってくれたことと関係があるのか。その編集者は、ぼくを、日本児童文学のアウトサイダーと考えたらしい。だから、こんなふうに、ささやいたのだ。
 「十年前の日本の児童文学者は、大人の文学に対してコンプレックスを抱いていました。でも、今の日本の児童文学者は、翻訳児童文学に対して、コンプレックスを持っているのです」
 今、ぼくは、そのことばを思いだしながら、じぶんの舌のもつれが、なんだか、それだけではないような気がしているのだ。
 そんなこともあるかもしれない。しかし、それだけじゃないな。それよりも、日本の児童文学の世界が、「だれも知らない小さな国」であること。そう、佐藤さとるが、いみじくもつけた作品名が、そのままクローズ・アップして、日本の児童文学の世界とオーバー・ラップし、この小さな国の国家構造のようなものがよく解らなくて、ぼくの舌は、もつれてくるように思うのだ。
 いったい、この国は、共和国なのか、合衆国なのか、それとも、独裁国なのだろうか。出来れば、ぼくは、国家論などをやらずに、いくつかの作品をあげて、この国の国籍を持たない人に、『ブラームスはお好き』式に、問いかけるだけですましたいのだ。たとえ、その人が、きみのように、サン・テグジュペリの『星の王子さま』は知っていても、クララ・アッスル・ペンクホフの『星の子』など知らないとしても・・・・・・。
 しかし、ぼくの舌は、口からとびだそうとするいくつかの作品を、まるで嚥下不能物を呑みこもうとするかのように、もとへ押しこんでしまうのだ。これは、日本の児童文学が、奇妙な党派性を抱えているからではないだろうか。いくつかの傑作をその中に抱えながら(そして、子どもたちには、ニコニコしながら)、「だれも知らない小さな国」のオピニオン・リーダーたちは、「誠実に」じぶんの仲間以外の作家と作品を、無視するか軽視するか、時には、敵視するかしているからではないだろうか。
 もちろん、「だれも知らない」この「小さな国」にも、CMの時代にふさわしく「国家案内書」が用意してある。「ブックリスト」とか「子どもの本案内」とか「子どもの国への入門書」といったものがそれである。それさえ手にすれば、この国の「全貌」が解る仕掛けになっている。少くとも、この国で生産される商品の数量は、きみにもおぼろげながら解るのではないだろうか。
 (ゲイジュツに「生産高」なんて、なんと無礼な言い草・・・・・・と、きみはいいたそうな顔をしているけれど、そうだろうか。エンツェンスベルガーの『意識産業』って本は、あれは西ドイツだけの話だと思っているんじゃないだろうな。そんなふうにしか本を読まない人がいるとしても、きみは、そうじゃないはずだ。彼の『ハバナの拷問』を読んだ時、きみは、これこそジャーナリストのほんとうの仕事だと、じぶんの今の仕事をふりかえったくらいだから・・・・・・。ゲイジュツだって、売り買いの対象であることは、はっきりしている。そうでなければ、どうして、こんなにもたくさんの出版社が、「だれも知らない小さな国」にエイジェントを送りこむだろう。話はとぶけれど、日本の児童文学は、この情報産業のおかげで、ここ十年ばかりのあいだに、「量の時代」にはいったのだ。「だれも知らない小さな国」の住民の中には、ゲイジュツ生産の純粋性しか見ようとしないチカメもいるけれど、そしてじぶんの本が売れることを、じぶんのその純粋性の結果だと、かたくなに信じているようだけれど、それは、きわめて稀なケースになりつつあるんじゃないだろうか。ライナー・ツィムニックの『タイコたたきの夢』じゃないけれど、多くの本は、子どもの本のタイコタタキのその音色、音のひろがりぐあいに関係しているんだ。そこで、話は「だれも知らない小さな国」の「国家案内」にもどるんだが、まず、このカッコをはずそう・・・・・・)
 ぼくは、「国家案内」で、「全貌」が解る仕掛けだ・・・・・・といった。しかし、多くの学校の「入学案内」がそうであるように、「案内書」というものは、都合のいいことしか記してないもんなんだ。たとえば、これは「案内書」ではないけれど、「だれも知らない小さな国」の「国土開発推進計画書」なんだが、二種類ある。たぶん、もっとたくさんの「国土開発計画」があるんだろうけど、たまたま、ぼくは二種類しかもっていないんだ。そこで、この二種類を例にして、きみに喋るんだけれど、お互いに、相手の「国土開発」の状況なり進捗具合なりを、報告したり検討したりしないんだ。
 こういえば、あまりにも比喩的過ぎて、この国は、ますます「だれも知らない小さな国」になってしまいそうだ。そこで、この二種類が、雑誌『日本児童文学』と『児童図書館』だと、まずいっておこう。
 ぼくは、その『日本児童文学』の発行先、日本児童文学者協会の会員だ。そういうことになっている。ずうっっとそうだったし、今もそうだ。たぶん、「やめてくれ」といわれるまで、ぼくは、この集団に所属しているのだろう。そんな気がする。これは何も、この集団が、「だれも知らない小さな国」の、国籍授与権を持っているからではなくて、ぼくが、この国の存在を知った十数年前、この国の「国土開発計画」を意図している集団が、これだった・・・・・・というだけの理由だ。児童文学文芸家協会という別の開拓団があって、そこでも「国土開発計画」を持っている・・・・・・と知ったのは、ずっと後の話だ。要するに、ぼくは、この国の生産物が、ネリハミガキでもなく、カメノコタワシでもなく、「未来の大人」の心情・思想に関する可能性の開拓や培養にあると思ったから、「国土開拓団」に参加したのだが、そうだ、思いだすんだな。きみが今、ニヤニヤ笑っているのを見て、一つ、ゴシップを紹介したくなった。
 この開拓団にはいったばかりの頃だった。どういう風のふきまわしか、「児童文学実験集団」というのが結成されたのだ。ただ一回の発会式に出席したきりだが、そして、ぼくは、そのあとすぐに、日本脳炎にかかって入院してしまったのだが、この発会式のあと、たまたま小学館のエイジェントに、こういわれたことがあるのだ。
 「若い身そらでジドーブンガクをやろうなんて粋狂ですな」
 この人は、子どもの本の編集者だった。きみはニヤニヤ笑っているが、この人は、唇のはしを歪めるような笑いを見せた。冷笑とか嘲笑というのは、これだな。今よりも、もっと「だれも知らない小さな国」だったその頃の日本児童文学の世界に、すでに、メフィストフェレスがいたんだな。雑誌『ぼくらマガジン』に、永井豪が『魔王ダンテ』という、「戦慄マンガ」(?)を連載しているが、後に、児童雑誌の編集長になったこの人は、まさにその「魔王ダンテ」だったなと、今思う。「可能性の開拓や培養」ということばで、たぶん、きみも、ストロベリイののったチョコレート・サンデーを連想しているんだろうけれども、むりもないや。

 ・・・・・・子どもの言語を研究することは、当時では気違いざたと思われていたのである。子どもを尊敬するということは、「公衆」から軽蔑されることを意味していたのである。『二歳から五歳まで』

 ソヴィエトでも革命後、ながい期間にわたって、チェコスフキーが、右のように記さねばならぬ状況があったのだ。イターロ・カルヴィーノの『マルコヴァルドさんの四季』をいいというきみが、ぼくのことばにニヤニヤ笑う限り、やはり日本の児童文学は「だれも知らない小さな国」でありつづけるだろう。
 話はとんだが、『日本児童文学』のことだ。ぼくが、この開拓団の一員であることは、すでにいった。しかし、この開拓団の一員であるということは、この開拓団の「国土開発計画」を、すっかり知っているということにはならないのだ。ぼくは、寺山修司じゃないから、「東京へ行こうよ。行けばいったで何とかなるさ」なんて口ずさむこともないし、したがって、開拓団の運営なども、月々郵送されてくる「国土開発状況書」、いや、『日本児童文学』で知るだけだ。ただ、いつも、この「報告書」を手にしながら、釈然としないのは、開拓団の連中が、故意か偶然か、特定の作家や作品を完全に黙殺してきたことだ。さきに、『児童図書館』という「国家案内」をあげたが、この「国家案内」は、完全に黙殺された作家によって、ごく最近、発行されはじめたものである。ほぼ十年にわたって、『日本児童文学』開拓団のオピニオン・リーダーが、なぜ、そのブックリストからも、作品評価の場からも、おなじ「だれも知らない小さな国」の住民を黙殺してきたのだろう。ぼくらにとって大切なのは、この国を、豊かな大きい国にすることであって、それも何のためにかといえば、どうしても一度は、この国を通過する子どもが存在するからなのである。
 子どもにとって、どれが『日本児童文学』の本であるのか、『児童図書館』の本であるのかなど、第一義の問題だろうか。ぼくの舌がもつれるのは、こうした「国土開発団」の内部事情が、どうもよく解らない上に、いつのまにか、レッテルをぺたぺたはられてしまうことの気持ち悪さだ。海外旅行用のトランクじゃあるまいし、いやな話だと思う。
 「児童文学はここまできている」の、これが第一点だ。きみは、「ここまで」ということばで、高度経済成長のようなイメージを持っていたんじゃないだろうか。「ここまで」きたって場合は、何も「進歩・発展」の一面ばかりとは限らないのだ。

 ・・・・・・たしかに、ドイツの観客は、つい先ごろ『アンネ・フランクの日記』の劇化には感動した。しかし、この『日記』の恐怖ですら例外的に記憶を喚びおこすものにしかならなかった。しかも、それは、収容所の<内部で>アンネに起こったことは示してはいないのである。ドイツでは、そういうことを求める需要がほとんどないのだ。過去は忘れろ。働け。金儲けしろ。新しいドイツは未来のものだ。ごく最近、ヒトラーという名まえの意味するところを質問されて、非常にたくさんのドイツの子どもの返事は、ヒトラーとは、アウトバーンを建設したひとで、失業をなくしたひとだというのであった。この子たちは、ヒトラーが悪い男だったと聞いたことがあったのだろうか。聞いたことはあったろう。しかし、ほんとうは、何故かわかっていなかったのだ。ナチ時代の歴史について、子どもたちに語ろうとする先生たちは、官公庁のその筋から、そういう問題は子どもたちにふさわしくないといわれていたのである。それを執拗に言いはれば、親や同僚の強い圧力に押さえつけられたり、転任させられたりしたのだ。どうして、過去のことなどほじくるのかね。
                      『空洞の奇蹟』深田甫・訳より

ジョージ・スタイナーは、『言語と沈黙』の中で「ここまできている」ことを語っている。「ここまで」くるということは、なにもプラス面ばかりとは限らない。マイナスの「ここまで」もある。きみは、それにへきえきして、別の側をのぞきこんでいる。ぼくもまた、うんざりして、饒舌からはるかに遠いのだ。

テキストファイル化鍋田真里


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 ところで、「だれも知らない」この「小さな国」で、ぼくがはじめに記したような「楽しい児童文学」の創造が開始されたのは、まさにこの『だれも知らない小さな国』あたりからなのだ。
 年表を見れば解ることだし、ぼくもまた啓蒙的解説者じゃないから、こまかな説明はとばしてしまおう。きみは、たしか、上坂冬子の『職場の群像』に感激し、二、三年前に出た『何とかしなくちゃ』で裏切られた……など口走っていたからいうが、佐藤さとるのこの作品が出たのは、その『職場の群像』が出版された年なんだ。これもまた、きみの好きな佐藤忠男が、『思想の科学』に、『少年の英雄主義について』を発表した年でもある。町の本屋にいけば、なんとなく、いつごろから、そこにあるように思っている『少年マガジン』と『少年サンデー』、あれも、この年、創刊されたし、その前年度に、日本のテレビ台数が百万台を突破している。こんな社会現象的なコメンテールを付けるのは、情報過多の時代がスタートし、それに比例して、情報産業の拡大、その波が、「だれも知らない小さな国」にも押し寄せた。その結果、長篇書きおろしの児童文学作品が、年々、輩出するようになったことをいいたいためなのだ。
 この転換期の事情なり、それ以後十年の趨勢を知りたければ、新装再版された山中恒の『とべたら本こ』の二つの「あとがき」を読めばいい。山中恒は、日吉ミミの歌を引いて、この十年の推移を語っているが、ぼくは、日吉ミミの哀調もいいけれど、やはり、ここは、ボブ・ディランだな、『時代は変わる』だな、と思うのだ。
 だれが今日のかくも多数のオリジナル作品を予想しただろう。ぼくは、硬直化した「戦後」の児童文学が、「だれも知らないこの小さな国」で、ほぼこの十年のあいだに、やっと「現代」の児童文学への道を踏みだしはじめたように思うのだ。
 きみは、今、谷岡ヤスジのマンガを見て、ニヤニヤ笑っている。ボブ・ディランの歌では一致するけれど、『時代は変わる』ってのは、マンガの世界じゃないのか……といいたそうだ。しかし、ほんとうに「メタメタ」とは、「鼻血ブー!」ってものだろうか。
 パブロフの条件反射のような鼻血の噴出。短絡な性的反応。これほど明確に「性衝動」を肯定した発想の、どこが「メタメタ」なのだろう。「メタメタ」とは、もともと、こうした性衝動をも含めて人間の「寄りどころ」とするものを一切、絶対視の視座から追い落とすものではなかったのか。ぼくだって、結構、その「大ハレンチ」ぶりをニヤニヤ笑って眺めているけれど、そして、これだけ直截に「若き飢エテルの悩み」を表現したものはないとは思うけれど、でも、これは「メタメタ」ではない。「メロメロ」なんだなと思うのだ。永井豪もそうだったけれど、人間の生理衛生的な発想を生みだすには、その子ども時代に、よほど不消化な「民主主義」をつめこまれたのに違いないのだ。ほんとうは、柔軟な可変的な思想であるはずの「戦後理念」が、硬直化した「形而上学」となって押しつけられたばかりに、大きくなって、形而下的ともいうべき「鼻血の噴出」や「スカートめくり」の発想法となったのではなかろうか。
 ぼくが、こんな話をするのは、多少とも日本の児童文学が、この形而上学形成に力を貸してきたと思うからだ。少くとも、一九六〇年前後の、新しい書き手たちの輩出までは、「だれも知らない小さな国」を、そうした「国土開拓」の仕方が大手をふって歩いていたのだ。それは、たぶん子どもたちを緊張させる、布教師・伝道師たちの「民主主義という名の形而上学」だったに違いない。その時代に、この「だれも知らない小さな国」を通過した子どもたちは、たぶん「遊び場」や「遊び時間」のないのに、うんざりしたことだろう。学校で学習、児童文学でも学習なら、大きくなって鼻血を出さないほうがどうかしている。
 ぼくは「整理学」なんてものをあまり信用しないから、きみに手ぎわよく、「だれも知らない小さな国」の、歴史区分をやってみせようとは思わないが、それでも、「鼻血ブー!」の「かつての子どもたち」を見ていると、つい、つぎのようにもいいたくなるのだ。
 日本の児童文学者は、「空想より科学へ」というテーゼを、その頃、忠実になぞっていたのだろうな。たぶん、つぎのようなことばは、新しい書き手たち(といっても、今では「だれも知らない小さな国」のオピニオン・リーダーたちだが……)が注目するまで、全く耳にはいらなかったのに違いない。

 ……なぜ、わが国の児童文学者は、「空想」ということばを罵倒のことばとしたのだろうか。何の名において、かれらは幼児の心理からそれを追いだそうとしたのか。リアリズムの名においてか。だが、リアリズムにもいろいろある。ベーコン、ゴーゴリ、メンデレーフ、レービンのリアリズムもあれば、穀物商人のまぬけづらの息苦しいリアリズムもある。サモワール、油虫、キノコのリアリズムもある。このリアリズムについて、わたしたちは苦労しなければならないのか。その本名は俗物根性ではなかろうか。 『二歳から五歳まで』

 きみは、もちろん、「空想」ということばを「リアリズム」に、「リアリズム」という個所を「空想」ということばに、置きかえて読むこともできるだろう。それは、君の自由だ。チュコフスキーのこの指摘は、クソ・リアリズムと杓子定規な「科学万能主義」に対する批判だし、俗流連帯主義に対する反論でもあるのだから……。もし、このことばを、文字どおりにきみが受け取ったとすれば、山中恒の『ぼくがぼくであること』に対するきみの評価は混乱するだろうし、なんのために、ぼくらが、「これはいいね」「おもしろいな」など話しあったのか解らなくなる。
 たしかに、六〇年代は、硬直化した「空想より科学へ」の道を否定して、「科学からさらに空想へ」の道を歩みはじめるものだった。コルネイ・チュコフスキーのことばは、その点で、なかなか興味深い。しかし、六〇年代の新しい書き手たちが、このことばで新しい方向を見いだした……ということではない。谷岡ヤスジの場合ではないが、五〇年代の児童文学の狭小性に、新しい書き手たちは、いらいらしていたと思うのだ。その意味で、敗戦以来、五〇年代までを支配していた俗流「空想より科学へ」派は、まさしく反面教師の性格を持っていたのだ。そうした「開拓団」の硬直化の中から、新しい「国土開発計画」の生れてくるのは、これは当然の話である。人間だれしも説教ばかりたれていては、「国土開発」もあったものじゃない。
 いま一つ、「科学よりさらに空想へ」といったが、このことは、なにも「空想物語万能主義」が「社会科学的万能主義」にとってかわったということではない。連帯や団結の必要性だけを、生硬に子どもたちへ送りこもうとしていた「開拓団」の中にあって、それを成立させる個とは何か、個の自立とは何かという追求が、この時期にはじまったことだ。これは落とせない。さっき、十年の推移と変貌は、山中恒の『とべたら本こ』の二つの「あとがき」を読めばいいといったが『とべたら本こ』こそ、その起点であって、それが、きみと話しあった『ぼくがぼくであること』まで一貫してつづいている。空想の復権は、ネズビットの『砂の妖精』のように、不可能を可能にする物語を生みだすだけではなく、現実の子どもに密着して、その心情や行動を先取りし、みごとな「葛藤」を生みだしたのだ。「葛藤」なんてことを、今ごろ……つまり、六〇年代の書き手を待って、はじめていわねばならんとは、なんとも悲しい話だけれど、実際の話、この「だれも知らない小さな国」ではその時点まで、まるで「葛藤」なんてことばは、網だなの上に置き忘れられていたんだ。きみは前に、「小川未明ってえらいのだろうな。しかし、考えてみれば、美しいイメージはあるが退屈するね」といったが、そのとおりだな。六〇年前後で、やっとこさ「葛藤性」が確立されるんだから、昔はおして知るべし……ということではないだろうか。
 それにしても、「空想から科学へ」、そして「科学からさらに空想へ」と展開してきた……なんていったが、きみはまた笑いたそうな顔をしている。わかっているんだ。一人の子どもが、ここで登場して、つぎのようにいえばいい……と考えているんだろう。
 「つまり、ぼくらが読んでおもしろい本がつくられるようになったってことだろ。それだけの話だろ。ためになる本が、むかしは多すぎたってことだな。おとなって、そんなことのために、十年もかかるの?」



 「ここまで」という時、きみは『トンカチと花将軍』(舟崎克彦・舟崎靖子)を、まずあげる。「だれも知らない」この「小さな国」にも、やっとこさ、『くまのプーさん』の世界が誕生したってわけだな。きみは、この作品について、たぶん、ぼく以上に饒舌になるだろうと思うから、ぼくは、別の作品をあげよう。
 変な話だが、ぼくは、山下夕美子の『ごめんねぼっこ』を読んだ時、ああ、やっとこさ、こんな楽しい物語が生れるようになったのかと思ったのだ。主人公の少年のオヤジサンが、会社で苦情うけたまわり係か何かをしている。いつも、お客にむかって、ぺこぺこ頭をさげてまわっている。だから、この男の子、夏平といったかな、それを知って、断然、人にあやまるまいと決心をするのだ。とりわけ、この夏平のやつ、きわめつけのいたずら坊主ときているから、日に一度は「ごめんね」をいわねばならぬようなことをしでかす。そいつを、あやまらずにがんばりとおすのだから、なかなか見あげた坊主だ。ところが、見あげてばかりいられないことが、夏平に起ったのだ。ある日、夏平そっくりの男の子が、突如として夏平の前に姿をあらわし、(といっても、夏平にしか見えないんだな……)夏平のかわりに、かたっぱしから「ごめんね」をいってまわりはじめたのだ。この奇妙な男の子が「ごめんねぼっこ」で物語は、そこから展開していくのだが、筋書きの紹介はやめよう。ぼくは、これを読んで、一つの「ここまで」を感じたのだ。
 もちろん、コロボックル物語の、(佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』シリーズを指していることはいうまでもない)あの緻密な構成と展開、それに、いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』の重厚性を知っているきみは、この評価を意外に思うかもしれない。事実、ぼくだって、「こめんねぼっこ」の登場によって、主人公の夏平が「ごめんね」をいうようになる結末近くの設定を見ていると、いろいろなことを考えてしまうのだ。「ごめんね」と素直にあやまることが、「いい子」だというのだろうか……とか、「ごめんね」とあやまることがいやさに、いたずらをしなくなるというのはこれはどうなんだろう……とか。
 いつか、きみと、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』や『屑屋の娘』について話しあったことがあるが、アラン・シリトーが、繰りかえし描きあげる非行少年の世界、これこそが、すっぽりと、すべての人間を包みこんでしまう体制内「いい子」育成運動に対する今日の抵抗の原点である……というあの話。あれが、ぼくらの意見であることを考えてみれば、『ごめんねぼっこ』はどうなんだ……ということだ。むしろ、ぼくは、武内孝夫の『わんぱくたいふう』を持ちだして、「わんぱく万歳!」論を一席ぶつほうが、筋にかなっているのじゃないだろうか。それに、ヒロシマの原爆被災者のおばさんと夏平が、戦争犯罪について語るあたり、とてもうまく「ごめんね」ということばが使われているけれど、(そして、ぼくは、これは成功していると思うけれど……)やはり「いい子」育成のイメージが強すぎはしないか……と、考えないでもないんだ。
 しかし、そうした問題点を頭の片隅に置きながら、なおかつ、この作品を「ここまで」の一例とするのは、この物語全体が、そうした問題点に「奉仕」していない点なんだ。「奉仕する」といういい方は、適切じゃないと思うけれど、空想の開拓作業が、あげて一つの理念提示の道具になっていない……ということなんだ。大人の書き手が、じぶんの心情告白のために奔放な空想力を駆使する……ということは、従来にも多くあった。今もあるし、これからもあるだろう。それはそれで、一つの役割を果たしていくとは思うんだが、『ごめんねぼっこ』の場合は、そうじゃないんだな。あの、噴きだしたくなるような夏平と「ぼっこ」の奇妙な共同生活、あれこそすべての説教にたちまさって、ぼくらを魅了するんだ。ということは、ここに、完全な「子どもの遊び時間」があるということにはならないか。「いい子」学習のための「ごめんねぼっこ」の登場が、じつは反対に、「子どもの遊び時間」を提供しているという点、ぼくは、すっかり楽しくなってしまうのだ。奔放な空想が、しかつめらしい「主題」を裏切って、のこのこと、一人歩きしているおもしろさ。そして、いくつかの問題点をあげたが、それをはるかに引きはなしている点で、「ここまで」というんだ。
 ぼくは、谷岡ヤスジのマンガを、「メロメロ」だといった。「メタメタ」とは、生理衛生的な発想であれ、深遠高尚な発想であれ、それを絶対視の視座から引きずりおろすことだ、といった。ぼくが、「メタメタ」でいいたかったことは、子どもの本の書き手へ、空想物語であれ、リアリズムであれ、じぶんの本のうしろで、そっくりかえるな……ということだ。じぶんの存在と、特定の価値観を不動のもののように思いなして、その態度を疑わないことを、疑ってみろ……ということだ。「メタメタ」とは、書き手であるじぶんをも、その信条ともども対象化し、相対視する発想なのだ。『トンカチと花将軍』がいいのは、その「メタメタ性」があることであって、書き手が、特定の信条の椅子にふんぞりかえっていないことだ。大人のくせに、じぶんもまた、トンチンカンな世界に参加して、じぶんの愚かしさを充分に発揮している。楽しいはずだ。ここで、大人は、えぼってはいない。子どもは、えばっている大人など大きらいだ。「だれも知らない」この「小さな国」では、子どもの頭をなでながら、えばっている大人が多すぎたのだ。子どもの国でだけえばっている大人なんて、こりゃ草津の湯でも治らないよ。
 「遊び時間」を与えてやっている……ではよくないんだな。どんなにすばらしい物語を書きあげても、その物語の提供者が「正義の化身」みたいなのは頭にくるな。おおえひでは『八月がくるたびに』を書いて、そっくりかえっていただろうか。決してそうじゃない。あの物語の背後で、作者は、これでいいのかと、ひっそり、じぶんをみつめていたのじゃないかな。そら、きみも読んだG・スタイナーの『言語と沈黙』の中の「ある意味での生きのこり・補遺」の、いちばん最後のことば。あれを「だれも知らない」この「小さな国」のオピニオン・リーダーたちに、そっと読んで聞かせてやりたいな。つまり、「ここまできている」んだよ……。

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