児童文学この一冊

20.家出しちゃうもん
上村令

           
         
         
         
         
         
         
     
 三か月まえ、弟がやってきた。弟の顔はおさるだった。泣いているか、おっぱい飲んでるか、うんちしてるだけで、かわいくなんか、ぜんぜんない。なのにお母さんは、弟ばっかりかわいがる。ふん、いいもん、わたしはすてごになって、すてきなお家にもらわれちゃうからね――。
 『ごきげんなすてご』(伊東寛作/福武書店刊)の冒頭は、弟や妹のいる子どもの気持ちをぐっとつかまえます。今までの自分の場所が奪われてしまうのは、つらいもの。忙しいお母さんは、上の子が「家出しちゃうよ」なんていっても、「はいはい」と生返事をするだけ。もう頭にきちゃう…こうなったら自分の場所=すてきなお家を見つけるだけ!
 家出した「あたし」は、新しい家はこんな家、と夢をふくらませ、「拾いやすいよう」にいろいろ工夫をこらします。迷子の犬や野良ネコやなぞのカメも仲間になって、「すてご」たちは元気いっぱい、「あたし」は親分格として大活躍。ところが、カメが男の子にもらわれ、ネコがおばあさんに引き取られ、最後に残った犬も、もとの飼い主があらわれて、「あたし」はひとりぼっちになってしまします――。
 一方、『ロッタちゃんのひっこし』(リンドグレーン作/山室静訳/偕成社刊)の主人公、ロッタちゃんが家出したのは、兄さんがロッタちゃんのだいじなぬいぐるみのバムセちゃんをぶった夢をみたからでした。兄さんや姉さんがいる子には、それはそれで悩みがあります。なにしろ相手は、どこまでいっても自分より年上で、自分より強いのです。
 さて、ロッタちゃんは、すてきな新しい家を見つけ、おとなりのおばさんに手伝ってもらって、きれいに飾りつけをします。兄さんや姉さんも手伝いにきて、なんだかうらやましそう。でも、夕方になって、新しい家でひとりっきりで寝なくてはいけなくなったとき、ロッタちゃんもやっぱり、さびしくなって――。
 家出したい、という子どもの気持ちには、子どもなりの正当な理由があります。この二つのお話のお母さんたちは、忙しさにまぎれているせいもあるでしょうが、子どもの家出をとめたりはせず、気持ちよく送り出してやります。それで子どもたちは胸をはって、新しい世界をさがしにいけるのです。
 夕方になって、本当に帰る場所が必要になると、子どもたちは帰ってきます――さみしくなり、くたびれて、世の中はうまくいかない、ということを知らされて。でもその時に、子どもたちを迎える大人の態度があたたかければ(この二つのお話のラストでは、親たちの対応にご注目です)、子どもたちはまた元気を取り戻し、「ああ、大冒険した!」という満足感を、改めて味わうことができるのです。
 こうした「家出」と「帰宅」の経験を繰り返すたび、子どもたちはちょっぴりずつ大きくなっていくのだと思います。やがて本当に親の家を出て、「自分自身の場所」を自分の手で、作ることができるようになる日まで――。
福武書店「子どもの本通信」第22号 1991.12.10
テキストファイル化富田真珠子